松平信康の死因と最後!信康事件の戦慄の顛末とは?

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2023年NHK大河ドラマ「どうする家康(どうするいえやす)」は、物語も中盤に差し掛かり更に注目が集まっています。

この作品は、江戸幕府を開いた徳川家康の若き頃からを描いた松本潤さん主演の歴史エンターテインメントです。

6月25日放送の23回「瀬名、覚醒」では、家康の妻・瀬名が、息子の松平信康(まつだいらのぶやす)のためにある行動を移すこととなります。

松平信康を演じているのは、若手俳優の細田佳央太(ほそだかなた)さんですね。

そして、松平信康がこの後どのような最後を迎えるのか気になる方も多いと思います。

実はかなり衝撃の最期が待っているんです(>_<)史実では「信康事件」「築山殿事件」などと言われる、徳川家康にとってあまりにも有名な戦慄の顛末が待っています。

今回は大河ドラマ「どうする家康」で細田佳央太さん演じる松平信康の死因と最後についてご紹介します。

公式ガイドブックのネタバレを含みますので、知りたくない方は閲覧ご注意ください!

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目次

松平信康の最後とは?ついに信康事件が訪れる!

五徳姫と瀬名の不仲の震撼の史実の顛末とは?

松平信康とは?心優しき息子だが戦続きで心を病む?

徳川家康(松本潤)の嫡男である松平信康は、細田佳央太さんが演じています。

家康の人質時代に駿府にて誕生した信康。当時の名前は竹千代でした。

母親は、家康の正室の瀬名(有村架純)ですね。

後に家康の本拠地の岡崎に移り、織田信長(岡田准一)の娘・五徳と幼いながらも結婚しました。

幼いころの信康を演じていたのおは、語りを担当する寺島しのぶさんの息子・寺嶋眞秀くんでしたね。

心優しく虫も殺せない信康でしたが、のちに立派な武将に成長します。

父・家康が浜松城に行くことになり、岡崎城の主となった信康。

自ら戦場にも赴き、槍を振るう勇猛さも備わり、家臣団からの信頼も高まっていきます。

幼いころは喧嘩ばかりだった五徳(久保史緒里)との夫婦関係も良好なようで、娘も誕生し順風満帆な未来が待っている?

かに思われましたが、長篠の戦いでの織田軍が武田軍を次々に鉄砲にて殺戮していく姿を見てから、信康の繊細な心は病んでいくことになるのです。

戦において、父・家康に意見し反発することも多くなりました。

あるときは、鷹狩りの帰りに無実の僧を切り捨ててしまいました。

平静を取り戻した信康は「皆が強くなれと言うから・・・しかし私でなくなりました。いつまで戦えばよいのですか?」と母・瀬名に涙ながらに訴えます。

元々は、虫も殺せぬ優しい性格の信康。

数々の戦を経験した事で、ついに限界が来てしまったのかもしれませんね・・・

そんな信康の姿を見て、母・瀬名はある決意を固めて、武田家の重要人物を自らの住まう築山に呼び出す。

23回で描かれたのは、ここまでです。

果たして、この後信康と瀬名にどのような運命が待ち受けているのでしょうか?

以降で、NHK公式ガイドブックからネタバレ紹介していきます。

知りたくない方は閲覧ご注意くださいね。

松平信康の最後!信康事件の衝撃すぎる死因とは?

於愛の方の史実とは?お葉との関係は?【家康の側室】

戦いの日々に疲れ、戦で人を殺すことに悩みを感じ始めた信康。

息子をなんとか救いたいと瀬名は動き出します。

築山に千代(古川琴音)と共に武田の重臣・穴山信君(田辺誠一)を呼びだしました。

穴山は、医師の滅敬と名乗り瀬名の前に現れます。

さらに別の日には、家康の母・於大(松嶋菜々子)とその夫・久松長家(リリーフランキー)や、今川の元当主・今川氏真(溝端淳平)とその妻・糸(志田未来)も築山に姿を見せていました。

そんな築ででの様子は、ついに家康の耳に入る事になります。

妻・瀬名が武田に内通しているなど、信長に知られるわけにはいかない家康。

少し前には武田と内通を疑われた叔父の水野信元(寺島進)成敗したばかりですから。

意を決した家康は、家臣たちと共に築山にやってきて瀬名から話を聞くことにします。

するとそこには、瀬名と信康以外に、千代と穴山信君もいたのです。

瀬名は、穴山たちと戦をせずに助け合う道を探っていたと自らの考えを家康に語ります。

「奪うのではなく、助け合う」

三河、遠江、駿河、甲斐、信濃、相模、越後、奥州にて共通の通貨を作り経済を回す。

こうすれば戦のない世の中が出来上がる。

そんな瀬名の考えに賛同し、武田勝頼を説得すると言う穴山。

家康はにわかには信じられなかったものの、その後高天神城での武田との戦では、お互い空砲を撃ち戦のふりを続けます。

穴山の説得もあり、武田勝頼は瀬名の策に乗ってくれ、それから2年徳川と武田の戦は膠着状態が続きました。

しかし信長は、高天神城が落ちないことにいらだち始めます。

すると勝頼は良い頃合いだと、徳川と武田が結んでいるという情報を流してしまったのです。

こうして瀬名と信康が武田と内通していたことが信長に知られてしまいます。

信長は家康に「お前が決めろ。間違っても己自身の幸せを望むな」と言いました。

それはすなわち、瀬名と信康を家康自身で処刑しろという意味だったのです。

松平信康の死因は自害!信康事件はどうする家康でどう描かれる?

信康は「私が腹を切る」と家康に言いますが、家康は到底納得できません。

「お前を死なせるくらいなら、わしが腹を切る」

「それこそ徳川が滅ぶことでござる」

そんなやり取りをする父と息子。

家康は、信康がこれほどまでに器の大きな男に成長したと感じ、「断じて死なせはせん」と決意するのですが・・・

一方で信長のもとは酒井忠次(大森南朋)が、五徳の書状を届けていました。

そこには、瀬名が悪人であり、信康の暴虐について、瀬名が唐人医師と密通しているなど12項目が書き連ねてあります。

「いかに処罰する」と尋ねる信長に「ともにご自害していただく」と答える忠次。

こうして家康の思い虚しく、信康の処分が決定。

覚悟を決めた信康は、五徳と娘たちに別れを告げて、岡崎城を去ります。

その後遠江の二俣城に幽閉されたのち自害。享年21歳。

「わが首を信長に届けよ。信康は見事に務めを果たしたと父上に伝えよ」と言い残したと言う。

そして信康の母・瀬名も、信康の死から十数日前に最期を迎えていたのでした。

より詳しいネタバレは以下の記事にもまとめているので、是非ご覧ください。

【どうする家康】瀬名はいつ死ぬ?殺されるのか?ネタバレは千代と関係?

松平信康の死因と最後!信康事件の史実の戦慄の顛末とは?

「どうする家康」では、武田との内通が明らかになり、信長の命により自害して果てた松平信康。

以降で史実の松平信康についてもご紹介します。

1559年、家康の長男として駿府で生まれ、幼名は竹千代と言います。

家康が今川氏から独立し岡崎に移るも、しばらくは駿府に抑留されていましたが、今川との人質交換で母・築山殿とともに岡崎へ引き取られることになります。

1567年には、織田信長の娘である徳姫と9歳で結婚。

元服後は1573年に初陣をむかえ、剛直な性格で武勇に優れ、家康を大いに助けたそうです。

1575年に、家康が大井川で武田軍 と対峙し、陣を引こうとした際、信康は軍の最後尾の殿 (しんがり) 務め上げました。

勇猛果敢の跡継ぎとして未来を嘱望されましたが、こののち暗雲が立ち込め始めます。

信康と五徳の間には、2人の女児のみで男子が誕生しないため、側室を取ることになりました。

勧めたのは、信康の母の築山殿です。

そして側室となったのが、織田家の仇敵であった武田家家臣の娘。

信康は側室を寵愛したことから、徳姫との夫婦仲に亀裂が生じはじめます。

1579年、徳姫は父・信長に「12ヶ条の弾劾文」を送りました。

そこには、夫・信康の残虐さ、そして築山殿が医師と密通して敵方の武田と繋がっているなどが書き連ねられていたのです。

この愛娘からの訴えを聞いた信長は、当然激怒し家康に信康と築山殿の死罪を強く求めたそう。

その後、信康は岡崎城を追われ、最終的に遠江の二俣城に移され切腹させられます。

1579年、9月15日。享年21歳でした。

ドラマ同様に、史実の信康も自害して亡くなっています。

息子の自害を信長に命じられて、止む無く信康を自害させた家康。

一方では家康が信康と不仲であったために、家康主導で信康自害を勧めたという説もあるそう。

家康にはこの時点で後の結城秀康と、後の徳川秀忠も生まれていたため「跡継ぎは他にいる」と考えて邪魔な存在の信康を排除したかった可能性も?

しかし、信康の死後から20年以上たった関ヶ原の戦いの際に家康はこう語ったそうです。

「年老いて骨の折れることよ。倅(せがれ)がいたらこれほど苦労はしておるまい」

ここでいう倅とは、信康のこと。

奇しくもこの関ヶ原の戦いが起こった9月15日は、信康の命日でした。

このことから想像するに、家康は信康を失ったことをかなり悔んでいたと思います。

そんな息子を自ら切腹させることは考えにくいので、やはり信長の命令でやむなく切腹させてしまった説が濃厚かなと個人的には思っています。

 

松平信康の死因と最後まとめ

瀬名姫の死因と最後の史実が衝撃!【どうする家康】

今回は「どうする家康」の松平信康の死因や最後についてご紹介しました。

信康は武田との内通を疑われて、信長の命により切腹させられた。

21歳という若さでの死だったと言われています。

実は信長の命にかこつけて、父・家康が不仲の信康を排除するために自害させたという説もあるそう。

今回の「どうする家康」では、家康は信康の命を救いたいものの、泣く泣く自害させるという展開になりそう。

7月2日放送の25回にて描かれる松平信康の最期!

涙無しでは、見られない回になりそうですね(>_<)

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