古関裕而の留学と竹取物語は実話で本当に受賞したの?

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朝ドラ「エール(えーる)」の主人公、古山裕一(窪田正孝)のモデルは天才作曲家の古関裕而(こせきゆうじ)さんです。

「エール」では裕一が国際的作曲コンクールに応募した「竹取物語」が入賞し、イギリス留学の費用を出してもらえることになりました。

実際に古関裕而さんが、作曲コンクールで受賞したのか気になりますよね。

そんな古関裕而さんの実話について調べてみました。

さて、「竹取物語」入賞と留学は実話なのでしょうか?

目次

エール主人公のモデル古関裕而のイギリス留学は実話?

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古関裕而さんは実際に世界的作曲コンクールで入賞し、イギリスへの留学を招待されました。なのでこれは実話です。

朝ドラ「エール」の主人公は、窪田正孝(くぼたまさたか)さん演じる古山裕一(こやまゆういち)です。

裕一は福島の老舗呉服店「喜多一」の長男として生まれました。引っ込み思案でおとなしい少年。運動は大の苦手でしたが、担任の藤堂先生(森山直太朗)は裕一の音楽の才能を見抜いてくれました。

喜多一のあとを継ぐため商業学校に進学した裕一。そこでもどんどん音楽の才能を開花させていきます。

ですがそんなとき、父親の三郎(唐沢寿明)が人に騙され借金を背負ってしまいます(>_<)

母親のまさ(菊池桃子)の実兄、茂兵衛(風間杜夫)は銀行の頭取。融資を頼みにいきますが、そこで出された条件は息子のひとりを養子に出すこと。

茂兵衛の妻は体が弱く、子供がいなかったのです。

三郎は裕一に音楽の道に進ませたかったため、喜多一は弟の浩二(佐久本宝)に継がせることに決めていました。

養子に出すなら裕一しかいません。裕一も家族のためにそれを承知しました。

音楽をあきらめ、茂兵衛の経営する銀行で働くことにした裕一。

失恋も経験しましたが(^_^;)、そこで大きな再会がありました。

小学生のときガキ大将でいじめられていた、魚屋の息子村野鉄男(中村蒼)です。

音楽をやめていた裕一に失望した鉄男でしたが、作曲コンクールがあることを裕一に教えます。

気が乗らなった裕一でしたが、音楽をやめるためにも応募することに。愉快な銀行の同僚たちの助け?もあり、作品が完成。

世界的な作曲コンクールで日本人として初めての入賞となり、新聞でも取り上げられました。

古関裕而さんも老舗呉服店の跡取りでしたが、商業学校に通っているときに呉服店が経営破綻に(>_<)

学校を卒業した古関裕而さんは働く場所がなくなってしまいます。

そのとき銀行を経営していた母の兄から銀行で働かないかと誘われ、銀行で働き始めました。

「エール」では少し脚色していますが、モデルとだいたい同じように描かれていますね。

裕一は音楽をあきらめようとしますが、古関裕而さんは銀行で働きながら独学で勉強を続けました。本を読んだり仙台まで音楽を習いに行ったりもしています。

そして古関裕而さんが20歳のころ、作曲コンクールで入賞しました。

この入賞により古関裕而さんにはチェスター社からイギリス留学の話が来ます。

ですが世界的な不況もあり、留学の話はなくなってしまいました。古関裕而さんの息子、正裕さんによると古関裕而さんの実家の経済的な理由と、結婚により留学を断念したとのこと。

ということで、古関裕而さんはコンクールで入賞したことによりイギリス留学の切符を渡されましたが、結局その話はなくなってしまい、古関裕而さんは留学することができませんでした。

 

 

古関裕而が入賞した国際作曲コンクールってなに?音との文通も実話?

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古関裕而さんが入賞したコンクールは、イギリスにあるチェスター楽譜出版社が募集した、世界的な作曲コンクール♪

そして未来の妻となる金子さんとの文通も実話でした(≧∇≦)

チェスター楽譜出版社は1860年代からあるイギリスの老舗音楽出版社。現在は「チェスターミュージック」として継承しています。

古関裕而さんは1929年にこのコンクールに「竹取物語」を含む5作品を応募。そのすべてが2位に入賞しました。

国際的な作曲コンクールで日本人が入賞したのは初めての快挙♪しかも無名の青年ということで、新聞でも取り上げられました。

それを知った内山金子さんは、音(二階堂ふみ)と同じようにファンレターを送り、そこからふたりの文通がスタート。

金子さんが愛知県豊橋市に住んでいたのも音と同じです。金子さんは当時18歳で、夢見がちな空想癖のある少女でした。

かなりの行動派で、手紙の内容は「わたしの歌を聴いてアドバイスを頂けたら♪」というもの。

こうして文通が始まりふたりはやがて恋に落ちます(≧∇≦)

そんなときにチェスター社から留学の話がきて、古関裕而さんは金子さんに逢えなくなると悩んだそうです。

留学のための多額の費用も送られてきていました!留学のためフランス語とロシア語まで勉強していたという古関裕而さん。

ですが留学の話がなくなり、ふたりは結婚することに♪1月から文通が始まり、6月に結婚というスピード!

しかも交際期間は文通のみ。本当に運命の出会いだったんですね~(^^)

さて、それでは古関裕而さんが入賞した「竹取物語」とはどんな作品だったのでしょうか?

 

 

古関裕而の入賞した竹取物語とは?楽譜や音源はある?

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古関裕而さんの入賞曲である舞踏組曲「竹取物語」ですが、残念ながら楽譜や音源は残っていません。本当に残念ですね~。

楽譜すらないということで「幻の曲」とも言われています。

古関裕而さんは、ストラビンスキーの『火の鳥』の組曲からヒントを得、日本の竹取物語になぞらえて作曲されたそうです。

構成は前奏曲がひとつ、そして舞曲が8つ。日本の雅楽に似せて、平安朝時代の美しさを出した、と古関裕而さんは解説しています。

この曲が完成したとき、ちょうどチェスター社の募集広告を目にし応募しました。

「竹取物語」はイギリスコロムビア・レコードでレコード化される予定でしたが、留学断念により実現されなかったそうです。

以前NHKが楽譜を調べにイギリスまで行きましたが、チェスター出版社そのものはなくなっており、楽譜の行方はわかりませんでした。

ということで古関裕而さんの入賞曲「竹取物語」は幻の曲となっています。

また受賞について、父親の三郎治さんはこのように語っていました。

勇治(古関裕而さんの本名)は変わり者で(^_^;)、ハーモニカばかり吹いていたので意見したこともありますが止めませんでした。

作曲がロンドンで入賞したことは初耳で応募したことさえ知りません。

時々外国から書簡が届きましたが読めないのでどんなものかはわかりません。

どうやら入賞したことは秘密にされていたようですが、福島民友新聞が報道したことで話が広まったようです。

上記の父親のコメントは、福島民友新聞が取材したときのもので、このとき初めて入賞を知ったようです。

いろいろと秘密のベールに包まれた「竹取物語」。いつかどこかで楽譜なり音源なりが見つかるといいですね。

古関裕而の留学と入賞曲竹取物語は実話のまとめ

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古関裕而さんは1929年にイギリスのチェスター出版社が応募した世界的作曲コンクールに5曲応募。すべてが2位に入賞♪日本人初の快挙ということで大きく報じられたそうです。

残念ながら「竹取物語」は、楽譜も音源も残っておらず幻の曲となっています。

この入賞でチェスター社から留学費用を送られますが、実家の経済的なことやご結婚などで留学を断念。

イギリスでレコード化される予定だった、入賞曲のひとつ「竹取物語」の録音もなくなってしまいました。

さて、「エール」では裕一の留学や結婚、どう描かれるのでしょうね?

今後の展開が楽しみです♪

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