らんまん料亭・巳佐登【みさと】の実在モデルは待合いまむら?

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NHK連続テレビ小説・朝ドラ「らんまん」は実在の植物学者・牧野富太郎(まきの・とみたろう)がモデルの神木隆之介さん演じる主人公の槙野万太郎(まきのまんたろう)が主人公の物語です。

植物学を学ぶために、実家の高知から上京し、要潤さん演じる田邊教授から東京大学の植物学教室への出入りを許可された万太郎は、植物学の研究に没頭していたものですが、突如田邊教授から東京大学の出入りを禁じられてしまいます。

大学の資料などを見ることができなくなった万太郎は自分で植物の書籍などを購入したりと、大金を植物学に使用するようになりますが、植物学の職業についている訳ではないので、お給料がない状況。プライベートでは妻の寿恵子(すえこ)との間に子供が次々に生まれ、お金がかかりますよね(^^;と言うことで借金を抱えることになり生活が大変な槙野家。

そんな中、寿恵子が動き出します。万太郎の植物学の研究のために、宮澤エマさん演じる叔母の笠崎みえの新橋にある料亭「巳佐登【みさと】」で働くことになります。

寿恵子が働くことになる、料亭・巳佐登【みさと】とは実在する料亭なのでしょうか??実在の牧野富太郎さんの妻・壽恵子さんが働いていた待合「いまむら」がモデル??

今回は朝ドラ「らんまん」に登場する料亭・巳佐登【みさと】に実在モデルがあるのか??について、牧野富太郎さん、妻の壽恵子さんの史実からご紹介していきます。

今後のネタバレを含む内容になっているため、知りたくない人は閲覧注意です。

目次

らんまん料亭・巳佐登【みさと】は叔母みえがおかみで寿恵子が働く!

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らんまん料亭・巳佐登【みさと】とは?叔母みえがおかみ!

まずは朝ドラ「らんまん」に登場する料亭の巳佐登【みさと】についてご紹介です。

巳佐登【みさと】は、寿恵子の叔母のみえがおかみを務める料亭です。

みえは、寿恵子の母親の西村まつ(牧瀬里穂)の妹ですね。

新橋にある料亭で、みえは「巳佐登【みさと】」のおかみをしていることから、新政府の役人たちとのコネクションがあり、寿恵子が玉の輿に乗れるように、実業家の高藤を紹介した過去がありました。

高藤の件もあり、みえとは疎遠になっていた寿恵子ですが、万太郎の植物学の研究のための借金増えていまっている状況もあり、みえの元を訪ねる展開です。

 

らんまん料亭・巳佐登【みさと】で寿恵子が働くことに

寿恵子(浜辺美波)は、お金の相談をするため、料亭「巳佐登」にいる叔母・みえ(宮澤エマ)を訪ねる。高藤(伊礼彼方)の一件で憤慨していたみえだったが、内心は寿恵子のことをずっと心配していた。みえは、寿恵子にお金を貸す代わりに、料亭で仲居として働かせることにする。早速、店に出ることになった寿恵子。その日は、得意客の岩崎弥之助(皆川猿時)がやってきて…

引用元:https://tv.yahoo.co.jp/program/116196710

高藤の件,以来会っていなかったみえでしたが、寿恵子が謝罪すると、寿恵子を抱きしめます。そして寿恵子が総額五百円の借金があることを話すと、万太郎をダメ男呼ばわりするみえ。

確かに・・・借金取りの相手も壽恵子がしてくれていましたね(^^;

まあ、当然ですよね(^^;そして内職ぐらいしかしてこなかった寿恵子を甘いと叱るみえ。

しかし寿恵子は万太郎が一生かけて日本中の植物全部を載せた図鑑を作ろうとしていることを話し「絶対に大成する人だと」言います。

そんな寿恵子に呆れながらも、百円を貸してくれるみえ。

そしてみえの夫であり料亭の亭主である笠崎大輔を連れてきて、寿恵子に挨拶をさせて巳佐登【みさと】で仲居として働くように言います。

その日から早速、料亭で働くことになった寿恵子。幼い子供たちは、長屋のりんと九兵衛が面倒を見てくれることに。

そのお店では政治家、陸軍中尉、政府高官などが来ていて、ある出会いをする寿恵子でした。

そんな寿恵子が働く料亭の巳佐登【みさと】は、実在する料亭なのでしょうか??以降でご紹介していきます。

 

らんまん料亭・巳佐登【みさと】の実在モデルはある?

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そんな朝ドラ「らんまん」に登場する料亭・巳佐登【みさと】は実在する料亭がモデルなのでしょうか??本当にある新橋の料亭なのでしょうか?

牧野富太郎さんの妻、牧野壽恵子(まきのすえこ)さんについて調べてみましたら、母親の姉妹など、伯母の存在は出てきませんでした。

また料亭で働いていたと言う情報も出てきません。

しかし、牧野壽恵子さんは待合の「いまむら」と言うお店でお座敷勤めをしていたことがありました。

以降で待合「いまむら」が料亭・巳佐登【みさと】のモデルなのか?についてご紹介していきます。

らんまん料亭・巳佐登【みさと】の実在モデルは待合いまむら?

待合とは?料亭と違う?

らんまん料亭・巳佐登【みさと】のモデル?と思われるのは「待合」の「いまむら」と言うお店だと思いました。

そもそも待合とは?一体どういうものなのでしょうか?

待合とは、待ち合わせの会合の場所を提供する貸席・貸座敷で、重要な話をしたり親交を深めたりする一方で、芸妓さんを呼んで唄や三味線、踊りなどの芸を楽しむ場でもありました。

「待合」と「料亭」は違うものです。

待合と料亭の大きな違いは、待合には板場がなく、料理を直接提供しないことです。

そして、待合は料理は仕出し屋などから取り寄せ、席料を取るほか、取り寄せた料理に手数料を乗せて、これらが主な収入となります。

また待合の営業には警察の許可が必要で限られた場所でしか営業することはできません。そして料理屋、芸妓屋、待合のうち、2つの組合があれば「二業地」3つの組合があれば「三業地」と呼ばれていました。

 

らんまん料亭・巳佐登【みさと】の実在モデルは待合いまむら?

料亭と待合が違うので、巳佐登【みさと】のモデルではないのでしょうか??

実は、牧野壽恵子さんは、万太郎と同様に、富太郎さんの研究にお金がかり、子供もどんどん生まれて、家計が緊急の状況に。

そんな時、偶然に町で出会ったのは、亡くなった母親の親友の村井としさんです。

この村井としに頼まれて、人手が足りないと言う渋谷の宮益坂の待合「いまむら」のお座敷づとめをすることに。

このお座敷勤めが、思いがけない収入となり牧野家を救うことになりました。

料亭と待合は違うものですが、働く経緯は、村井としの紹介と言うことで、状況が似ている気がします。

もしかしたら、壽恵子さんの母親の親友の村井としさんがみえのモデルの可能性もあるのかな?と思いました。

 

らんまん料亭・巳佐登【みさと】の実在モデル?待合いまむらを経営する牧野壽衛子

寿恵子のモデル牧野壽衛子さんは、待合いまむらで働き始めましたが、風紀取り締まりの警察によって、宮益坂での経営ができなくなる事態に。

同じ渋谷の荒木山(渋谷区円山町)に待合をまとめるという処置でした。

しかし地盤のない荒木山に乗り込んでいく気になれないと言う当時のおかみ(オーナー?)が店の廃業を決意したことを聞いた壽衛子さんは、高い給料を得ていた働き場所がなくなってしまうと泣きそうになったそうです。

しかし・・・自分が「いまむら」を引き継いでやろうと決意します。

そして、壽衛子さんは荒木山に一軒の空き家を見つけて、有り金を果たいてその家を借りました。そして「いまむら」の経営をスタートするのでした。

荒木山の「いまむら」には、宮益坂の「いまむら」の調度什器が運び込まれ、宮益坂の「いまむら」のお客さんもそっくりそのまま壽衛子さんが引きついたお店のお客さんになることになったそうです。

らんまん料亭・巳佐登【みさと】の実在モデル?待合いまむらのその後とは?

「いまむら」を引き継いで経営していた壽恵子さん。

しかも官立大学で働く富太郎の妻が、水商売である「待合」で働くことは都合が悪かったようで、なんと寿衛子さんは富太郎さんや子供たちと別居して待合の仕事に打ち込んだそうです。

「いまむら」は壽衛子さんの人柄や気持ちの良い接客で評判となり、順調に経営を続けていました。

そんな壽衛子さんが営んでいた「いまむら」ですが、大正12年(1923年)に起きた関東大震災での被害をま逃れて営業を続けることができたそうです。

ところがしばらくすると、富太郎さんが勤めていた大学はお店の周辺で富太郎さんの妻が営む店だと言う噂が広まってしまいます。

水商売とういことで「大学の先生のくせに待合をやるとは、けしからん」という陰口もたたかれるように。

しかしそんな陰口も気にせずにいた富太郎さん。

ところが大学から呼び出された富太郎さん。壽衛子さんと別居していたこともあり、大事にはならなかったものの、壽恵子さんは、このままでは富太郎さんの名誉を傷つけてしまうと考えました。

また関東大震災が起きてしまったことで、震災の影響で景気が悪化、待合の料金を踏み倒す人も出てきてしまい、次第に後ろめたさも感じ、壽恵子さんは待合を売却するのでした。

そして大正15年(1926年)に東京の大泉に我が家を立て引っ越しをするのでした。

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