和田義盛の死因と最後は?死亡の鎌倉殿の13人ネタバレも

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NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人(かまくらどののじゅうさんにん)」は、北条義時(ほうじょうよしとき)が武士の頂点に上り詰める姿を描く予測不能のエンターテイメントです。

小栗旬さん演じる義時がどんどんダークになっていき、畠山重忠(はたけやましげただ)を討伐し、ついには父である北条時政(ほうじょうときまさ)までも追放して鎌倉幕府の権力を我が物にしていきます。

そんな中、次に退場しそうな武将が横田栄司さん演じる和田義盛(わだよしもり)です!

個人的にも大好きな豪快なキャラクターなのですが、とうとう死亡するのでしょうか・・・。

鎌倉殿こと源実朝(みなもとのさねとも)の信頼も厚い義盛が今後どのように、義時によって追い落とされてしまうのか?

そして気になる史実での死因と最期とは?

今回は「鎌倉殿の13人」の和田義盛の死因や最後についてネタバレと史実についてご紹介していきます!

今後のストーリーのネタバレを含みますので知りたくない方は閲覧ご注意ください。

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目次

和田義盛は死亡が悲しい人気キャラ!ちょっとおバカな憎めない鎌倉武士!

畠山重忠の死因や最後とは?鎌倉殿の13人で大河史上すごいシーン?

和田義盛とは?1話から登場の坂東武者

横田栄司さん演じる和田義盛は、第1話から登場している坂東武者の一人です。

和田義盛は、歴史上鎌倉幕府の初代侍所別当になった人物なので、歴史を少し学んだ人には、聞き覚えのある人物だと思います。

「鎌倉殿の13人」で描かれる和田義盛は、ひげ面で気は優しくて力持ちという言葉がぴったり!

亡き畠山重忠(中川大志)とも仲が良く、ちょっとおバカな一面も多いため、空気が読めなかったするときも(笑)

しかし嘘が付けない正直者で、平和を愛す仲間思いのキャラなので、憎めない愛すべき鎌倉武士なんですよね!

木曽義仲の愛妾の巴御前と暮らす!

木曽義仲(青木崇高)を破ったのちは、その愛妾である巴御前(秋元才加)を連れ帰りました。

当初は反発する巴御前も、義盛の温かな人柄に触れて徐々に愛するようになり、御家人・和田義盛を支えてくれています。

実朝が信頼する存在

最近では、三代鎌倉殿・実朝(柿澤勇人)とのシーンも多いですね。

悩みを抱える実朝にとって和田義盛の家は心休まる場のようで、度々足を運びます。

謎の占い師・歩き巫女(大竹しのぶ)と出会ったのも、和田義盛の勧めでしたね。

義盛は親しい間柄で呼び合う名前「武衛(ぶえい)」で実朝を呼びたいと申し出ます。

「武衛」とは亡き上総広常(佐藤浩市)が頼朝(大泉洋)に親しみを込めて呼んでいたのですが、これは高貴な官職をさす言葉で本当は親しみを込めた呼び名ではありません(;^_^A

三浦義村(山本耕史)が広常に言った嘘だったのですが、ちょっとおバカな義盛はずっとこの嘘を信じていたんです!

実朝から、ようやく「武衛」の本当の意味を知らされた義盛(笑)

実朝はすでに「武衛」から「羽林(うりん)」というさらに上の官職であることを聞かされ、「ウリンと呼んでいいですか?」と尋ねる義盛もなんか憎めませんでしたね(笑)

その後、義盛は、上総国の国司になりたいと実朝に相談し、実朝も前向きに考えると言ってくれるのですが・・・

政の実権を握っている北条義時(小栗旬)はそれをよく思わず、義盛の要望を却下してしまいます。

このころから、徐々に義時は御家人たちの信頼の厚い和田義盛が邪魔な存在だと思うようになっていくのです。

そしてある出来事から、義盛は謀反の疑いをかけられて、義時と壮絶な争いをすることになります。

おそらくそれは第40話から41話にかけて描かれることになりそう。

以降で、NHK公式ガイドブックからその後の和田義盛についてご紹介します!

知りたくない方は閲覧ご注意くださいね。

和田義盛の死因と最後は?ドラマ「鎌倉殿の13人」の死亡ネタバレは親族の謀反がきっかけ!

【鎌倉殿の13人】公暁役は寛一郎で二世俳優で父親がすごい?暗殺の史実とは?

信濃国の武士・泉親衡が仲間を集めて、北条義時の殺害を企てる反乱が発生。

その仲間の中に、和田義盛の身内である息子の義直、義重、甥の胤長の名前がありました。

義直、義重は胤長に誘われて、親衡の話を聞きに行っただけだ釈明します。

ここで不可解なのは、泉親衡という存在。

突然現れて御家人たちを唆したのち、忽然と姿を消していたのです。

実は泉親衡の正体は、後鳥羽上皇(尾上松也)の信任厚い・源仲章(生田斗真)でした。

義直、義重は寛大に扱われたものの、胤長は多くの御家人を扇動したとしてその咎を免じることは出来ず、後日処罰が言い渡されることになりました。

無実を訴える和田一族ですが、義時と大江広元(栗原英雄)がその処分について密談したさい思い出したのは、上総広常の最期でした。

「最も頼りになるものが、最も恐ろしい。消えてもらおう」

今でいえば、その上総広常のような存在が和田義盛です。

上総広常の死因とは?死亡の最後の史実とは?

和田義盛は、ひげ面の一門を引き連れて鎌倉殿に会いたいと言いますが、結局胤長は陸奥国に流罪となってしまいます。

さらに病弱だった胤長の娘が父に会えずまま亡くなったことがきっかけで、義盛の怒りに火がついてしまうのです。

義盛は義時と一戦交える覚悟でいるようで、義時も和田をたきつけるいい口実ができたと思い始めていました。

しかし、実朝と政子(小池栄子)の手引きで、二人は顔を合わせて幕府の繁栄のために手を携えることを約束。

義盛も「政はお前にまかせる。力が要るときは言ってくれ。これからも支えあっていこう小四郎(義時)」と言ってくれました。

こうして事態は落ち着いたかに見えましたが・・・

義盛の息子たちは、義盛の帰りが遅いことに危機感を持ち、北条の罠にはまったと騒ぎはじめ、御所に攻め込むことを決断。

こうして世にいう「和田合戦」の火ぶたが切られたのです。

館に戻った義盛にとって、この事態は寝耳に水。

実朝との約束を反故にして義時をだましたことになってしまうも、息子たちが攻め入ってしまった以上、もう後には引けませんでした。

義時もこの事態が想定できず「甘かった」と歯噛みしています。

義盛のいとこでもある義村は、義時側に付き、和田勢は西相模の御家人たちを味方につけて、鎌倉幕府と対抗しようとします。

戦は深夜まで及び、和田勢はいったん由比ガ浜まで退却して体制を立て直すことに。

そこには巴御前の姿があり、義盛は「お前は生き延びて、鎌倉の行方を見届けろ」と言いしっかりと抱きしめます。

義盛はもはや死を覚悟しているようです。

そのころ、実朝は西相模の御家人たちを幕府側に引き込むための書面を書くよう迫られますが、難色を示します。

自らが信頼を置く和田義盛の謀反をどうしても認めたくなかったのです。

「和田は御所を攻めたのです。これを謀反と言わずになんと言うか」

この義時の言葉に押し切られる形で、書面を書いた実朝。

そして幕府勝利が目前になったとき、義時は実朝を陣頭に立たせることにします。

実朝が現れれば、義盛も降伏するだろうとの算段です。

実朝が陣頭に現れて義盛に語り掛けます。

「勝敗は決した。おとなしく降参せよ」

「俺は、ウリンが憎くてこんなことしたんじゃねえんだ」

「わかっておる。これからも私に力を貸してくれ」

その言葉を聞き、心が通じ合ったと思い涙する義盛。

そして攻撃の構えを説いた和田勢。

すると義村勢から無数の矢が放たれました。

矢を受けた義盛は、鬼の形相で義時をにらみ「ウリン・・・」と呼びかけると壮絶な死を遂げたのです。

この一件で、実朝は自らには力が無いから、強きものの力を借りるしかないと思い始めました。

そして頼みにしたのが京の後鳥羽上皇だったのでした。

和田義盛の死因と最後は?史実は和田合戦で敗北して滅亡

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「鎌倉殿の13人」で描かれる和田義盛の最期をここまで紹介しいましたが、史実の和田義盛の最期もここでご紹介します。

ドラマ同様、和田義盛が死んだのは1213年に起こった和田合戦です。

発端は信濃国の御家人・泉親衡が義時に対して謀反を企てたこと。

計画は失敗したものの、首謀者の一人だった和田義盛の甥・胤長を利用し、義時は義盛を人前で侮辱して挑発しました。

たまらず義盛は挙兵するものの、実朝の身柄確保に失敗。

政子と実朝の妻も非難して事なきをえます。

その後、和田と同族の三浦義村が義時側に付いたことで、和田方の戦況は一挙に不利になっていきました。

二日間の鎌倉での攻防の末、和田軍は由比ガ浜方面に撤退。

武蔵からの御家人の援軍で士気は取り戻されたかに見えましたが、再び和田勢は劣勢となり、息子の義直が討たれたことで戦う気力を失った義盛。

最期は、江戸義範の郎党が襲い掛かり、あえなく討たれてしまったと言います。

享年67歳。

和田一族らは和田塚に葬られたと言われています。

鎌倉の江ノ電に乗ったことがある方は「和田塚」という駅があるのを知っていると思います。

この駅は、まさに和田一族の墓を意味した名前なんですよね!

 

和田義盛の死因と最後はまとめ

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今回は「鎌倉殿の13人」の和田義盛の死因と最後をご紹介しました。

ドラマの中では、三浦義村勢の矢に撃たれて創設な最期を迎えます。

史実の和田義盛は、鎌倉から由比ガ浜へ兵を引き、江戸義範軍に討たれて死んだとされています。

畠山重忠について、初回から義時とともに歩んできた和田義盛が死んでしまうとか(´;ω;`)ウゥゥ

「鎌倉殿の13人」は、今後も主要人物が死んでいく展開が続いていきそうです。

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