栄養食品「ダネイホン」も味に改良が加えられ、いよいよ全国に進出することになったNHK連続テレビ小説「まんぷく」です。
ひとり東京進出を反対していた福子(安藤サクラ)の母親、鈴(松坂慶子)も今は亡き長女で真一(大谷亮平)の妻だった咲(内田有紀)が夢枕に出てきたことで、態度を一変させましたね。
萬平(長谷川博己)に対して「あなたは武士の娘の娘の婿なんですから!」と叱咤激励、この”武士の娘の娘の婿”はトレンド入りしました(笑)
「いざ、出陣! 絶対に勝ちなさい。あなたは武士の娘の娘の婿なんですから!」
鈴さん、武士の娘の活用がお上手過ぎます! #まんぷく #朝ドラ #まんぷ句 #松坂慶子 #武士の娘 pic.twitter.com/ynvrtrQoQ4
— 【公式】連続テレビ小説「まんぷく」 (@asadora_bk_nhk) 2018年12月10日
そしてドラマでは来週から一部の従業員が、奨学金で夜間学校に通うことになります。
これって実話なのでしょうか?
また萬平のモデルである日清食品創業者の安藤百福さんは学校を設立していますが、この学校についても一緒にまとめました。
さて、どんな学校でどんな目的で作られたのでしょうかー?
少しネタバレあります。
まんぷくで夜間学校には奨学金で通うのは史実と同じ?
ネタバレです!
ようやく鈴(松坂慶子)も納得し「たちばな栄養食品」は「ダネイホン」を全国に販売するべく東京進出することになりました。
いざ売ってみると予想以上の売り上げとなり、老舗デパートも取り扱ってくれることに(^ ^)
そこで本格的に事務所を構え、営業部長には真一(大谷亮平)が抜擢されます。 ま、当然といえば当然ですね。
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そして若手のリーダーとして神部(瀬戸康史)が選ればれます。
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タカ(岸井ゆきの)とのロマンスがどうなるのか気になりますが・・・。
そして他にはこんな理由から若手の従業員が選ばれました。
戦争があったため、学校に通えなかった従業員たちを夜間学校に通わせる
これは福子の提案ですが、学校に通えなかった従業員が東京に行くことになります。
さて、これはドラマのお話ですが、実際に安藤百福さんは従業員たちを夜間学校に通わせていたのでしょうか?
いろいろ調べてみましたが、実際に従業員たちを夜間学校に通わせていたかどうかは、わかりませんでしたm(__)m
安藤百福さんは泉大津に製塩所を作り、仕事のない若者たちを集めて製塩のほかに漁業もやっていました。
ですが利益目的でやっていたわけではなく、若者たちの救済のためにやっていたので、従業員には給料ではなく奨学金という名目でお小遣いを渡していたそうです。
これ全て百福さんのポケットマネーだったというので、なんと太っ腹なお方なんでしょう!
奨学金を渡していた、という点ではドラマも史実も同じです。
ただ、百福さんは自分で学校を作っていたので、その学校に通わせていたということは考えられます。
さて、百福さんの学校とはどんな学校なのでしょうか?
安藤百福が設立した中華交通技術専門学院とは?
「中華交通技術専門学院」とは、中国で必要とされる交通関係の技術者の育成のために作られた学校です。
当時塩業を始めた百福さんは、昼間っから街でフラフラしていた若者たちが、生き生きと働き始めたことに充実感を感じ、もっと本格的な教育機関を作ろうと考えました。
そんなときに佐藤栄作氏から「これから中国は交通整備が必要になる。そのために技術者を育ててはどうだろう」
これぞ先見の目!
そうして名古屋にできたのが「中華交通技術専門学院」で、技術者として必要なこんなことを教えていたそうです。
自動車の構造や修理の技術
鉄道建設の知識
1947年4月に百福さんが当時の金額で1千万円を出して(!)学校が誕生しました。
しかもこの学校、いろんな意味でスケールが違い、今ではとても考えられない学校です。
授業料が無料! 全寮制で食事や制服も支給!
まさにボランティア学校ですよね。
でもどうして個人がここまでするのか?
百福さんは当時のことをこのように回想していました。
金のために事業をやるという気持ちは薄かった
現代の経営者とは真逆の考え方!笑
大成功する人は、いろんな意味でスケールも志も違うのかもしれません。
また基本的に「世の中を明るくするにはどうしたらいいか」という考えを持っていて、先の見えない戦争からの引き揚げ者や復員軍人たちに、自分の足で生活できるようにしたかったといいます。
第1期生の募集人数が60人だったのに対し、応募者はなんと1万5000人もいたそうです。
当然ですよね、ただで技術が学べてしかも食事も無料。まさにパラダイス!
ですがやはり無謀な試みだったようで、1949年に第1期生を送り出した後学校は経営が難しくなり、1951年に閉校してしまいました。
というのも百福さんが従業員に渡していた奨学金が給料とみなされ、その分の税金を納めていないという理由で、百福さんは脱税したとして1948年に逮捕されてしまうからです。
ちなみにこのあと「中華交通技術専門学院」の建物の大部分は、名城大学になっているそうです。
この「中華交通技術専門学院」のことについては、こちらの書籍に詳しく書かれています。
[amazonjs asin=”4532194563″ locale=”JP” title=”安藤百福 私の履歴書 魔法のラーメン発明物語 (日経ビジネス人文庫)”]それにしても百福さん、やることのスケールが一般人とは違いますよね〜。
このように安藤百福さんの素晴らしい志で設立された中華交通技術専門学院」は、短い期間で終了してしまいましたが、みなさん気になりませんか?
安藤百福さんってどうしてこんなにお金持ちなんでしょうか?
安藤百福が裕福だった理由は?
安藤百福さんは1910年、当時日本が統治していた台湾で裕福だった父のもとに生まれました。
ですが父が早く他界したため祖父に育てられます。
20歳のころ父の遺産で背に繊維会社を設立し、日本から繊維を仕入れて台湾で販売、これが大当たりして大阪に会社を設立しました。
このころからいろいろな事業を手がけています。
ドラマに出てきた幻灯機も実際にやっていた事業で、他には軍用機のエンジン部品を作ったり、バラック住宅の製造などもしていました。
百福さんは台湾人なので、戦後中国籍をとることで「戦勝国民」となり、いろいろな特権が与えられました。
なかでも戦争で焼失した工場などの保険金がかなりの額で入り(現代なら数百億とも!)日本一のお金持ち、なんて言われていたそうです。
戦争が終わると土地が安く売られていて、百福さんは大阪の中心街の土地も安く手に入れ、さらに資産を増やしました。
ドラマでは萬平は金銭的にとても苦労しましたが(実際に苦労したのは福子でしたが^^;)安藤百福さんはとても裕福だったようです。
ですがこうして得た巨万の富を、慈善事業に使ってしまうのが百福さん。
さて、今後ドラマは東京で大成功を収めることができるのでしょうか?
まとめ
ドラマ「まんぷく」ではこれから一部の従業員が、会社から奨学金をもらって夜間学校に通うことになりますが、実際に安藤百福さんが雇っていた従業員が夜間学校に行っていたかどうかは、正確なところはわかりませんでしたm(__)m
ですが百福さんは従業員に「奨学金」という名目でお小遣いを渡していたそうです。
そして百福さんは慈善事業として「中華交通技術専門学院」という、授業料など無料で技術を教える学校を設立ました。
諸事情によりこの学校は短い期間で幕を閉じましたが、このボランティア学校は安藤百福さんの社会奉仕の精神によるものです。
当時「日本一の金持ち」といわれた安藤百福さんのお金の使い方、今の資産家にも受け継いでいただきたいものですね。