わろてんかの薬屋のモデルは実在?実家藤岡屋の家業が原作とは違う?

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放送開始以来ずっと視聴率20%越えをしている好調なNHK連ドラ「わろてんか」早くも第1週目の放送が終了しましたね。

 

「わろてんか」の舞台となっているのは、主人公てんの実家である京都の老舗薬種問屋「藤岡屋」です。
女中さんもいて、かなり裕福そうに見えますよね。

 

主人公のてんは吉本興業の創業者吉本せいさんがモデル。
では吉本せいさんの実家も薬種問屋だったのでしょうか?

「藤岡屋」は果たして実在したのか?と気になったので調べてみました( ´ ▽ ` )ノ
吉本せいさんの実家は何をしていたのでしょうか?

 

目次

吉本せいの実家は薬屋だった?

[https://dorama-netabare.com/archives/24293]

吉本せいさんの実家の家業とは果たして薬屋だったのでしょうか?
どんな家に生まれたのかを調べました。

 

吉本せいさんは1889年、今から128年前の明治22年に、林豊次郎とちよの間の三女として生まれました。
父親の林豊次郎は明石藩士の家に生まれた人物です。

明石藩とは、藩庁を明石城に置く今の兵庫県明石市、神戸市西区、神戸市垂水区などを領した藩(大名や領地などに所属する組織)です。
この明石藩に所属していた武士の家に生まれたんですね。

 

江戸時代が終わり新しく明治政府が誕生した時に、全国各地にある「藩」を一つにしようということで、明治2年の”版籍奉還・廃藩置県”によって藩が廃止され、新しく「県・府」が置かれました。

 

藩がなくなり給料であった家禄が失われた武士たちの中には、商売を始める人たちもいて、林豊次郎も商売を始めます。

林豊次郎が商売をするために大阪へ出てきたのは、せいが生まれた後です。
天神橋5丁目で米穀商を営みました。

 

えっ!?米穀商???
薬問屋ではなかったのですね!

しかも京都ではなく大阪!?

 

わろてんかの藤岡屋は実在した?原作と家業が違う?

ということで、吉本せいさんの実家は薬屋ではなく、米屋だったんですね!

 

ドラマの「藤岡屋」は裕福そうな家ですが、実際の林家は使用人を雇うお金もなく、12人いた子供たちも手伝いながらお店を切り盛りしていたそうです。

特にせいは頭も良く機転が利く子だったので、とても重宝がられていました。

実家の米穀商もだんだん軌道に乗り、その当時大会社だった天満合同紡績に精米を収めるほどになりました。

 

せいには12人もの兄弟がおり(多くは早くに亡くなったそうですが)小学校を卒業すると船場の実業家に奉公へ出ることになります。

 

せいの奉公先は節約と倹約が第一の商家、わずかな無駄遣いも叱責さるような家でした。

奉公が明け実家に戻ったせいは実家の米穀商を手伝い商才を発揮、父親豊次郎は婿養子をとって暖簾分けまで考えましたが、そんなときに縁談が舞い込みせいは結婚することになります。
せいが19歳のときでした。

 

せいが嫁いだ先は、荒物問屋の「箸吉」。
その名前からも想像できるようにお箸が主力商品でした。

箸と米・・・全くつながりがないわけではありません。
同じ料亭へ商品を卸していたので、顔なじみではあったそうです。

 

なのでせいの嫁ぎ先はドラマのような米屋ではなく、日用品を販売する商売をしている家だったのです。

ということで、わろてんかに登場する「藤岡屋」という京都の老舗薬種問屋は存在せず、実際のせいの実家は大阪の米穀商。

そして嫁ぎ先はわろてんかでは米穀商ですが、実際には荒物問屋「箸吉」でした!

 

奉公先から倹約を強いられたせいは、それを見事に活かします。
無駄なものには一切投じない、という姿勢です。

ですが、単なるケチなわけではなく、生きているお金は惜しみなく使う、という大阪商法で成功を掴みました。

いじめもあったという奉公でしたが、せいはどんなことでもプラスにしてしまう前向きさがあったんだと思います!

 

ツイッターでは地元民からクレームの嵐?

[blogcard url=” https://dorama-netabare.com/archives/24257″]

吉本せいさんといえば明石出身!というのが地元の方々にとっては定石のようです。
なので京都が舞台であることに違和感を隠せないようですね。

”吉本せいが京都人、って致命的な脚色じゃないのか。”

”わろてんか」、モデルとなった吉本せいは明石出身なのに、なぜ京都の薬問屋なんて設定になったのだろう。どうしても薬問屋にしたいなら、大阪の道修町にしておけば良かったのに。”

”主人公藤岡てんのモデルゎ吉本せい。彼女ゎ明石の米穀商の娘さんなんでちゅけど、ドラマでゎ京都の薬問屋の娘てなことになってるありまちゅ(涙) どして明石じゃなくって京都なんでちゅか?(涙)”

”吉本せい、は、明石の米屋かなんかの娘やったのに、 京都の薬問屋? いやいや、明石と京都言うたら、大阪挟んで真逆やん! 波瑠がやった、朝ドラの設定にかぶって変やし、、、”

”吉本せいは本当は明石出身なのか。なんで京都に設定変更してんだろ?あさが来たを意識してるのか?それとも2作続けて兵庫は無いだろ、みたいな判断が働いたんだろうか?”

 

戸惑っている方も多いようですね。
出身地くらいは史実通りにやってほしい、っていう意見、ごもっともです。

でも何故せいの実家は京都なのでしょうか?
ドラマが進むうちにこの謎も解けるかもしれませんね。

 

まとめ

[blogcard url=” https://dorama-netabare.com/archives/24246″]

吉本せいさんの実家の家業は薬屋ではなく米屋さんでした!
そしてドラマのように決して裕福な家のお嬢様ではなかったこともわかりました。

ドラマでは京都の薬問屋にしたのには何か意味があるのでしょうか?

私は体の弱そうな兄、新一にヒントがあると睨んでいますが。。。

さて、来週から始まる第2週のテーマは「父の笑い」です。
とうとうあの鬼さんが笑うのでしょうか?

楽しみです( ´ ▽ ` )ノ

 

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