【ちむどんどん】時代背景と年齢設定を時系列で!

  • URLをコピーしました!
#ad #PR #スポンサー

2022年4月からスタートしたNHK朝の連続テレビ小説・朝ドラ「ちむどんどん(チムドンドン)」。

ヒロインの料理人を目指す比嘉暢子(ひがのぶこ)を演じるのは、女優の黒島結菜(くろしまゆいな)さんですが、1週目は子役の幼少期のパートからスタート。

ヒロインの暢子を演じているのは、稲垣来泉ちゃんです。

アメリカの統治下にあった沖縄を描いているということで、気になるのは、どんな時代だったのか?時代背景や年代かもしれません。

お父さんやお母さんたちがつらい戦争を経験しているようですが、一体何年のストーリー??

今回は朝ドラ「ちむどんどん」の年代・時代背景、年齢設定などを時系列でご紹介していきます。

今すぐU-NEXTに登録【31日間無料体験】

▼今なら朝ドラ「ちむどんどん」の見逃し配信動画を31日間無料で見放題で視聴できます▼

※登録から31日の間に解約すれば一切料金が発生しません。無料期間内に『ちむどんどん』の動画を見放題で無料視聴できます。

U-NEXThttps://video.unext.jp/

※U-NEXTでしたら、初回登録時に無料で1000ポイントもらうことができます。そしてこのポイントで「NHKまるごと見放題パック」は990ポイントで購入可能になっているので、ポイントを使い実質無料で購入可能です。

※U-NEXT経由で「NHKまるごと見放題パック」に登録することで1話から最新話までの見逃し動画を無料で視聴が可能です。

U-NEXTでは、以下の作品も視聴可能です。

◆エンディングカット【芦田愛菜出演】

◆卒業タイムリミット

◆正直不動産

◆恋せぬふたり

◆しもべえ

◆幕末相棒伝(永山瑛太、向井理出演

◆正義の天秤【亀梨和也主演】

◆古見さんは、コミュ症です。

◆オリバーな犬、(Gosh!!)このヤロウ

◆きれいのくに

◆いいね光源氏くん

◆腐女子うっかりゲイに告る

◆高橋一生主演「岸辺露伴は動かない」の「富豪村」「くしゃがら」「DNA」

◆連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」「おかえりモネ」「花子とアン」「おちょやん」「澪つくし」スペシャル版「おしん」「ひよっこ」「カーネーション」「ちりとてちん」「ゲゲゲの女房」「梅ちゃん先生」「ちゅらさん」など

◆大河ドラマ「鎌倉殿の13人」「青天を衝け」「麒麟がくる」「いだてん」「西郷どん」「篤姫」「江 姫たちの戦国」など

◆タリオ復讐代行の2人

◆にじいろカルテ

◆書けないッ!?~脚本家 吉丸圭佑の筋書きのない生活~

◆青のSP

◆話題のタイBLドラマ『2gether』『TharnType/ターン×タイプ』『WHY R U?』など多数配信

◆タリオ 復讐代行の2人

「女子高生の無駄遣い」

「きのう何食べた?」

「おっさんずラブ in the sky」

「相棒」シリーズ

「時効警察はじめました」

その他さまざまなジャンルの作品が視聴可能です。本ページの情報は2022年4月1日時点のものです。最新の配信状況はU-NEXT公式サイトにてご確認ください。

※登録から31日の間は一切料金が発生しません。無料期間内にドラマ『カムカムエヴリバディ』の動画を見放題で無料視聴できます。

U-NEXThttps://video.unext.jp/

目次

ちむどんどんの時代背景と年齢設定の時系列【誕生から1週の小学生まで】

昭和29年(1954年?) 暢子 0歳

ドラマがスタートしたのは、1964年。その時10歳だったので、おそらく誕生年は1954年だと思います。

誕生日はまだ不明です。

1954年といえば、終戦から10年もたっていません。

「ちむどんどん」の1週目では、ヒロインの父親や母親たちが戦争で辛い思いをした過去が語られました。

終戦の1945年に沖縄に上陸した米軍と日本軍との戦いで知られる「沖縄戦」でのことだと思います。

沖縄戦は、一般市民を含めた20万近くの人たちが犠牲になったと言われていて、米軍の捕虜になることを恐れて、住民らの集団自決を行ったなど、生存者から語られていますね。

昭和39年(1964年) 暢子 10歳

ヒロイン比嘉暢子(黒島結菜)とその家族の物語が始まる。1964年、まだアメリカ統治下だった沖縄。本島北部のやんばる地域が舞台。明るい母(仲間由紀恵)と優しい父(大森南朋)。そして兄妹たちに囲まれのびのびと暮らす小学生の暢子(稲垣来泉)は、美味(おい)しいものが大好き。ある日、村に東京からの転校生・青柳和彦(田中奏生)がやってきた。暢子にとって、生まれて初めて見るヤマトンチュだった。

引用元:https://tv.yahoo.co.jp/program/97889384

朝ドラがスタートしたのは1964年。暢子は10歳で小学校5年生。

運動が大好きで、足が早くて食べることが大好きな女の子。

そして、のちに上京後に再会する青柳和彦(田中奏生)と出会い、一緒にいったレストランで食べた西洋料理が暢子のその後の人生を大きく変えることになります。

ドラマでも紹介がありましたが、「アメリカ世」と呼ばれていた戦後のアメリカの統治下時代には、沖縄ではドルが日常的に使われ車は右側通行でした。

1958年昭和33年に沖縄代表として甲子園に出場した首里高校ナインは沖縄がアメリカの統治下にある外国だったため、那覇港での検疫で甲子園の土を没収されて、持ち込むことができなかったというエピソードもありました。

場所によるのですが、アメリカ人の子供たちと一緒に遊んだり、独立記念日に花火が打ち上げられたりにぎやかな様子だったようです。

また1964年は東京オリンピックが日本で開催された年です。

ちむどんどんの時代背景と年齢設定の時系列【高校生~上京するまで】

昭和47年(1972年) 暢子 18歳

暢子は、高校時代にあることがきっかけで料理人になりたい!と思い、沖縄が本土復帰を果たした1972年に東京に行き、料理人の修業をスタートします。

やがて一家をつらい運命が襲います。優しい父が急逝。残された母は女手一つで働き、経済的に苦しい中で四人の子どもたちを育てます。働く母を支えるために子どもたちはそれぞれに家事を担当。暢子は料理を担います。月日は流れ、高校卒業を迎えた暢子は、「東京に行きたい。西洋料理のシェフになりたい!」と夢を抱きます。折しも1972年、沖縄の本土復帰の年。暢子は家族や兄妹のサポートを得て東京に渡り、念願の有名レストランの厨房で修業をはじめます。職場は東京ですが、下宿先は神奈川県横浜市の鶴見。京浜工業地帯が近い鶴見は、戦前から、働くために海を渡ってきた多くの沖縄出身者が移り住んだ町でした。

引用元:https://www.nhk.or.jp/dramatopics-blog/1000/450306.html?cid=orjp-dramat-210615-1415

父が急逝したことがきかっけで、経済的に苦しいことになる暢子ファミリー。その中でも、暢子は料理担当に。

そして子供のころに食べた「西洋料理」のシェフになりたい!!と思い、上京します。

本土復帰を果たしたことで、それまでの生活が大きく変わります。

復帰から6年後の1978年(昭和53年)には、それまで右側通行だった車両が左側通行になる交通ルール変更が。

当時沖縄県警は道路標識の刷新など準備に追われたそうです。

そして左側通行を実施する7月30日にちなんで「730」と呼ばれるプロジェクトチームが作られて、左側通行を県民に浸透させるために、大規模なキャンペーンが実施されたそうです。

こうして迎えた7月30日は那覇市内は大渋滞となり、バスを降りて歩き出す人がたたなかったそうです。

また1972年は 連合赤軍によるあさま山荘事件が起きた年としても知られていますね。

暢子は上京後、働くのは東京ですが、下宿先は神奈川県横浜市の鶴見。鶴見は、戦前から多くの沖縄出身者が移り住んだ町として知られていて、沖縄出身者が最も多く暮らす街とのこと。

鶴見には沖縄料理店が点在し、沖縄舞踊や沖縄芸能の教室がいくつも開かれていて、沖縄の文化に触れることが出来る街です。

今回の朝ドラで鶴見が舞台になることから、ツイッターでこんなアカウントが

鶴見でも何が起こるのか?楽しみになってきますね。

ちむどんどんの時代背景と年齢設定の時系列【2022年】

令和4年(2022年) 暢子 67~68歳くらい

暢子は、上京した後、料理の腕を磨き、恋をしたり、おそらく結婚したりすると思いますが、その詳細な年代はまだ明かされていません。

子供のころ沖縄で出会った和彦とは料理人になるためにやってきた東京で再会し、何やら三角関係になる予感??

なので、もし2022年の現在に生きていたら、暢子は何歳なのか?

おそらく67歳~68歳くらいなのかな??と思います。

きっと、暢子はまだ全然元気で、お店を切り盛りしていることが想像できますね。

また結婚していたら孫もいるかもしれません。

そこまで朝ドラで描かれるのか?不明ですが、元気に現在も生きている様子が見れるとうれしいですね。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
目次