辻復は吉行あぐりの再婚相手で新聞記者?

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「あぐり」は美容師の第一人者、吉行あぐり(よしゆきあぐり)さんをモデルとした1997年のNHKの朝ドラです。朝ドラとしては第56作目。

ドラマのヒロインは、田中美里(たなかみさと)さんが演じた望月あぐり、あぐりは15歳で望月エイスケ(野村萬斎)と結婚しますが、エイスケは3番目の子どもが生まれて間もなく心臓発作で亡くなってしまいます。

その後あぐりは再婚します。お相手は高嶋政伸さんが演じた林晃(はやしあきら)。

今回はこの林晃のモデルの辻復さんについて調べてみました。

辻復(つじあきら)さんは吉行あぐりさんの再婚相手ですが、ドラマと史実ではどんな違いがあるのでしょうか?

辻復さんも林晃と同じで、新聞記者なのでしょうか??

目次

辻復はあぐりの再婚相手のモデル!ドラマのネタバレは?

あぐり倫太郎【りんたろう】のモデルは?結婚についても

辻復をモデルにした林晃のネタバレは?新聞記者

まずは「あぐり」で辻復をモデルにした、林晃があぐりと再婚するまでをご紹介させていただきます。

林晃を演じているのは、俳優の高嶋政伸さんです。

林晃(高嶋政伸)は毎朝新聞の新聞記者です。あぐりの女学校時代の親友、民子(笹峰愛)とは同じ毎朝新聞の岡山支局で働いていたことがあり、ふたりは顔見知りでした。

林晃は妻を亡くし、息子の洋介(後藤拓也)と二人暮らし。あぐりと出会ったのは、婦人現代の復刊記念パーティでのことでした。

林晃はあぐりの夫、望月エイスケ(野村萬斎)の大ファンだったのですが、エイスケの死後、誤解からエイスケを誹謗する記事を掲載してしまいます。

その後林晃の家は火事で焼けてしまい、林晃と息子の洋介はあぐりの家で暮らすことになりました。

辻復をモデルにした林晃とあきらの再婚までの道のりは?

あぐりも夫のエイスケを亡くしていたため、ふたりは独身同士ということで、世間ではいろんな噂が立つように。。。

長女の和子は多感な年ごろ。複雑な思いを抱きます。

またエイスケの父である健太郎(里見浩太朗)が岡山からやってきたとき、あぐりと林晃が暮らしていることを知り、ちょっとした騒動となりました(;^^)

あぐりの末っ子で次女の理恵は、父親のエイスケを覚えていないため林晃を父親のように慕っています。

また林晃の息子、洋介も父親の再婚を歓迎している様子。

ですが文化部から社会部に異動となった林晃は、息子の洋介とともにあぐりの家を出ることにしました。

そして間もなく林晃は連続放火事件の現場で犯人に刺されてしまうという事件が!

林晃をお見舞いに行ったあぐりは、林晃が描いた犯人の似顔絵があまりにも上手で驚きます。

林晃は画家志望だったのですが、そのことで妻の寿命を縮めてしまったと思い、筆を折ってしまったのでした。

あぐりは林晃の妻が、また絵を描き始めたら応援してほしい、と言っていたと告げます。

そんなことがあり、ふたりは再婚する決意をします。林晃はあぐりに勧められ、また絵を描き始めます。

そして最終週、林晃はあぐりに見送られ、絵の勉強のためフランスに旅立つのでした。

これが林晃とあぐりの物語♪

林晃はあぐりの夫、エイスケの大ファンであり、あぐりの親友、民子と同じ新聞社で働いていて、何かと縁のある人物でした。

さて、吉行あぐりさんの再婚相手、辻復さんとはどんな人物なのでしょうか?

辻復は吉行あぐりの再婚相手で史実は?

【あぐり】娘の和子の子役は新穂えりかと楯真由子!現在の活動は?

辻復(つじあきら)さんは林晃と同じく、朝日新聞の新聞記者でした。

辻復さんは吉行あぐりさんと同じ1907年生まれで、女の子がひとりいます。ドラマの林晃は男の子なので、ここが違うところです。

最初の奥様とのことはわかりませんでした。

吉行あぐりさんは1923年に吉行エイスケさんとご結婚され、3人の子どもがいます。エイスケさんがお亡くなりになったのが1940年。あぐりさんが33歳のころです。

辻復さんと再婚されたのが1949年。エイスケさんが亡くなってから9年後で、おふたりが42歳のころでした。

おふたりの出会いは、あぐりさんのお客さんによる紹介だったそうです。お見合いみたいな感じでしょうかね?

知り合ってからどのくらい経ってご結婚されたのかはわかりませんが、子どもたちに相談することなく、おふたりで再婚を決意されたとか。

ご結婚されてから3年後にあぐりさんは東京五番町に「吉行あぐり美容室」を開店させています。きっと辻復さんのご協力もあったことと思います。

ドラマで林晃はフランスに絵の勉強のため旅立ちますが、辻復さんは定年まで朝日新聞社にいたのかな?と思います。正確な情報はわかりませんでした。

晩年はご近所に絵を教えたりしていたそうなので、絵画はあくまで趣味だったのだと思います。

辻復さんは1997年に90歳でお亡くなりになっています。「あぐり」が放送された年ですね。

あぐりさんは辻復さんがお亡くなりになったあと、吉行姓に戻されています。どんな思いがあったのでしょうか。

エイスケさんが忘れられない?美容院の名前が吉行あぐりだから??子供たちの姓だから?

いろいろ想像できますが、個人的にはエイスケさんを忘れられず・・・というのがロマンチックかなと思います(#^.^#)

吉行あぐりさんはそれから18年後の2015年に107歳でお亡くなりになりました。おふたりとも本当に長生きされましたね(≧∇≦)

では吉行あぐりさんについてご紹介させていただきます(^^)

辻復と再婚した吉行あぐりとは?

【あぐり】望月淳之介のモデルは吉行淳之介で小説家

あぐりさんは1907年に岡山で生まれました。旧姓は松本です。1923年の15歳のときに1歳年上の吉行エイスケさんとご結婚。

土木請負業を営んでいた吉行家の長男だったエイスケさんですが、家業に興味を持てず放蕩息子だったため(;^^)、結婚させれば落ち着くだろう、ということで父親がこの縁談を決めました。

1924年に長男の淳之介さんを出産♪のちの芥川賞作家となる、吉行淳之介さんです。

東京に行ったまま戻らないエイスケさん(;^^)、エイスケさんの父親がああぐりさんを東京に送り、東京で暮らすようになりました。

売れない作家のエイスケさん(;^^)、しかも遊び人でとても貧しい生活をされていたそうです。

あぐりさんは日本の美容師の草分けでもある、山野千枝子さんのもとで2年間修業されます。

1929年に独立し、東京麹町に山の手美容院を開店させ、あっという間に人気店になりました。このときあぐりさんはまだ23歳!

1935年にあぐりさんは和子さんを出産。長男の淳之介さんとは11歳違いです。その和子さんとは、現役で女優を続けている吉行和子さんです(^^)

4年後の1939年に、兄妹そろって芥川賞作家となった、吉行理恵さんをご出産されました。淳之介さんとは15歳も違います。

ところがその1年後の1940年にエイスケさんが狭心症による心臓発作でお亡くなりに・・・。

あぐりさんは女手ひとつで、美容院を切り盛りしながら3人の子どもを育てました。子どもたちからは「何もしてもらえなかった」と言われているそうですが(笑)

それから9年後の1949年に新聞記者の辻復さんと再婚♪3年後の1952年に東京五番町に「吉行あぐり美容室」を開店させています。

1986年に自伝となる『梅桃(ゆすらうめ)が実るとき』を出版。これが朝ドラ「あぐり」の原作です♪

90歳を過ぎても現役で美容師をされていたというあぐりさん。さすがに常連さんしか受け付けなかったそうですが、その美容室も2005年に閉店しました。

そして90歳を過ぎても吉行和子さんともよく海外旅行に行かれたそうです。

長男の淳之介さんと、よく美味しい料理を作ってくれたという理恵さんはあぐりさんより先にお亡くなりになりました。

2003年に脳梗塞で倒れ、回復するも2006年に骨折で車いす生活となります。和子さんや介護者のサポートで生活されていたという吉行あぐりさん。

100歳を超えてもまだお元気で、亡くなる2日前までご自身で箸を持ってお食事をされていたそうです。

そして2015年。肺炎により107歳でお亡くなりになりました。

お子様たちがあまりにも有名すぎるためか、再婚相手の辻復さんについてはあまり情報がありません。

でも50年近くも夫婦でいらしたので、添い遂げたという表現がピッタリでしょう(^^)

あぐりさんが美容室を経営されていたころは、女性が外で働くなんて・・・と言われていた時代。でも再婚して2年後に美容室を開店されたので、辻復さんは応援していたのかもしれませんね。

ご夫婦とも長生きされたので、仲のいいご夫婦だったのだと思います(^^)

辻復は吉行あぐりの再婚相手で新聞記者?まとめ

【あぐり】エイスケのモデルは吉行エイスケ!自由奔放キャラは実話?

辻復さんは、美容師の第一人者として知られる吉行あぐりさんの再婚相手。朝日新聞の記者をしていました。あぐりさんの美容室のお客さんの紹介で知り合ったそうです。

辻復さんについてはあまり情報がなく、ドラマでは再婚後フランスに絵の勉強のため旅立っていますが、史実ではそのような事実は見つけることができませんでした。

また吉行エイスケさんのファンであったかどうかもわからないので、ドラマと史実の違いはよくわかりません(;^^)

「あぐり」が朝ドラになることは、嫌で嫌で一生懸命断ったという吉行あぐりさん。でもとうとう口説き落とされてしまったとか(笑)

一般人である夫の辻復さんについては、あまり触れたくなかったのかもしれませんね。

辻復さんは朝ドラ「あぐり」が放送された年に90歳でお亡くなりになっています。

ドラマではフランスに旅立つ林晃をあぐりが見送りましたが、史実では90歳の辻復さんを同じ90歳のあぐりさんが見送ったのでしょうね。

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