【あぐり】望月淳之介のモデルは吉行淳之介で小説家

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「あぐり」は1997年に放送された朝ドラで、現在再放送されています。

「あぐり」は美容師の第一人者として知られ、90歳を過ぎても現役だった吉行あぐり(よしゆきあぐり)さんをモデルにしたお話。

あぐりさんには3人の子どもがいました。長男の淳之介さん、長女の和子さん、そして末っ子の理恵さんです。

ドラマ「あぐり」の中でもこの3人の子どもたちは、同じ名前で登場します。

今回は長男の望月淳之介(もちづきじゅんのすけ)のモデル、吉行淳之介さんについて調べてみました。

芥川賞作家でもある吉行淳之介さん。さてどんな人物だったのでしょうか?

目次

あぐりの望月淳之介のモデルは吉行淳之介で実在

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望月淳之介とは?

望月淳之介は、望月エイスケ(野村萬斎)とあぐり(田中美里)の間に初めて誕生した子ども。長男で下に和子、理恵というふたりの妹がいます。

淳之介が生まれたとき父が17歳、母が16歳という若さ。エイスケは「淳」と命名しましたが、エイスケの父親からクレーム?がきてしまいます(;^^)

エイスケの実家は岡山で建築業「望月組」を経営する資産家。エイスケは長男だったので後を継ぐ身でした。

ですがエイスケは家業にはまったく興味がなく(;^^)、遊んだり小説を書く毎日。身を固めれば落ち着くだろう、という父、健太郎(里見浩太朗)の考えで早くに結婚させられます。

エイスケの長男であれば、また淳之介も望月組をゆくゆくは継ぐ存在。健太郎は「淳」では後継者の名にふさわしくないと思い「陽之介」という名を提案します。

エイスケはその意向をくみ取り「淳之介」と命名しました。

大きくなった淳之介は戦争で招集されますが、喘息の持病があったので帰され、その後小説家となります。

究極の遊び人だったエイスケとは違い、堅物な淳之介。あぐりののちの再婚相手となる林(高嶋政伸)には複雑な思いを抱きます。

あぐりが林と一緒に住むようになると、淳之介は家を出て下宿暮らしを始めました。

ふたりの結婚式にも出ないつもりでいたのですが、燐太郎(野村宏伸)に説得され出席します。

あぐりの望月淳之介のモデルは吉行淳之介!

そんな望月淳之介のモデルは吉行淳之介さんです。

モデルである吉行淳之介さんが16歳のころに、父親のエイスケさんがお亡くなりになっています。

多感な頃に父親を亡くし、母親の再婚に納得できない気持ちもよくわかりますよね~。

ということで望月淳之介は父親と同じく作家になりますが、遊び人だった父親とは違い(;^^)堅物な人物です。

さて、モデルの吉行淳之介さんはどんな人物だったのでしょうか?

あぐり望月淳之介のモデルの吉行淳之介は芥川賞作家!

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「あぐり」望月淳之介のモデルは、芥川賞作家の吉行淳之介(よしゆきじゅんのすけ)さんです!

1924年 岡山に誕生
1926年 両親とともに上京
1929年 あぐりが山の手美容院を開業
1935年 長女の和子誕生
1939年 次女の理恵誕生
1940年 エイスケ死去
1941年 現在の静岡大学に進学
1944年 20歳で招集されるも喘息により帰郷
1945年 東京帝国大学に入学するが空襲で家を焼失
1947年 新太陽社に入社し雑誌の編集者となる
1949年 あぐりが辻復と再婚
1952年 「原色の街」が芥川賞候補にあがる
1953年 結核により会社を休んでいたが、退社する
1954年 『驟雨』で芥川賞受賞
1979年 日本芸術院賞を受賞
1081年 日本芸術院会員になる
1994年 肝臓がんにより70歳で死去

吉行淳之介さんは1924年4月に岡山で生まれました。

父親は吉行エイスケさん、母親は吉行あぐりさん。おふたりの長男として誕生。ドラマでは苗字は違いますが、名前はそのまま使われています。

あぐりさんは15歳でエイスケさんとご結婚され、16歳で淳之介さんを出産。エイスケさんが17歳のときでした。

長女の和子さんは1935年に誕生。11歳も離れているんですね~。吉行和子さんは有名な女優さんです。

そして次女は詩人の吉行理恵さん。

理恵さんは1939年生まれなので和子さにょり4歳下。長男の淳之介さんとは15歳も離れています。

ん?あぐりさんは16歳で淳之介さんを出産しているので、淳之介さんと理恵さんは親子ほども年が違う・・・ということになりますね。

家にはほとんどいなかったというエイスケさん(;^^)淳之介さんが2歳のころに両親と上京。あぐりさんは日本美容師の草分け、山野千枝子さんのところで2年間修業します。

淳之介さんが5歳のころの1929年に、あぐりさんは独立して「山の手美容院」を開業。

吉行淳之介さんは麻布中学に進学。そして淳之介さんが16歳の1940年に父親、エイスケさんが狭心症による心臓発作により、34歳の若さでお亡くなりになりました。

このときちょうど淳之介さんは腸チフスにかかり入院していたので、父親の死を知らされたのは退院後だったそうです。

翌年17歳で旧制静岡高校に進学。2年に進学するとき仮病で1年間学校を休学します。

どうやら徴兵逃れ?のようで、淳之介さんの親友ふたりは徴兵逃れのために理系大学の長崎医大に進学しましたが、長崎の原爆でお亡くなりになったそうです。

20歳のころの徴兵検査で合格し招集されました・・・が、喘息と診断され帰郷しました。

次の年も徴兵検査で合格しましたが、招集されることなく終戦を迎えます。

1945年東京帝国大学に入学して1か月後の空襲で自宅が焼失。その後も大学へはあまり行かず、新太陽社で編集のアルバイトに明け暮れます。

この新太陽社は「モダン日本」として菊池寛が創刊しましたが、戦時中は「新太陽」と名前を変え、戦後また「モダン日本」に戻しています。

モダン日本は1930年に創刊され、1950年に打ち切られ廃刊となりました。吉行淳之介さんは結局大学には学費も払わなかったため(;^^)除籍処分となり1947年に新太陽社へ入社。

吉行淳之介さんはここで「アンサーズ」などの雑誌を手がけました。このときは新人漫画家発掘の天才と言われていたそうです。

編集者としての仕事をしながら同人雑誌に作品を発表し、安岡章太郎さんらのちの文豪たちと出会います。

年に1度くらい同人誌に作品を発表していた吉行淳之介さん。1952年の「原色の街」が芥川賞候補に選出されますが、結核と診断され会社を休職。ですが結局1953年に退職しています。

病院で療養している間は、生計のためABC放送のラジオ原稿を書いていたそうです。

療養中の1954年に『驟雨』で第31回芥川賞を受賞。当時遠藤周作さんや安岡章太郎さんらとともに「第三の新人」と呼ばれていました。

吉行淳之介さんの代表作です。

芥川賞ノミネート作「原色の街」は戦後生き延びるために娼婦になった女性と、関係を持った男性たちを肉体や精神をテーマに描いた作品。

芥川賞受賞作『驟雨』も娼婦の町で働く女性と、独身男性との微妙な心情を描いています。ちなみに舞台は新宿二丁目にあった赤線地帯で、モデルになった女性も存在するそうです。

谷崎潤一郎賞を受賞した「暗室」は作家の中田と女性たちとの日常を描いた作品。性愛や生と死がテーマとなっています。

そして野間文芸賞を受賞した「夕暮まで」は、処女である22歳の女性と中年男性の肉体関係について描かれています。

このように女性について深く掘り下げた作品が多かった吉行淳之介さん。と~ってもモテたんです(≧∇≦)

吉行淳之介さんはご結婚され女の子が誕生していましたが、女優の宮城まり子さんと暮らすようになります。

奥様は離婚に応じなかったため、ずっと宮城まり子さんと結婚しないまま暮らしました。とはいえ、ほかに何人も愛人がいたそうですが。。。(;^^)

1979年に日本芸術院賞を受賞し、1981年に会員となられます。晩年は闘病しながら執筆をされていたそうです。

1994年肝臓がんにより70歳で死去。1999年に静岡県にある「ねむの木学園」敷地内に「吉行淳之介文学館」が開館しました。

この「ねむの木学園」は宮城まり子さんが設立した身体障がい者療養施設です。

多くの小説や随筆を残された吉行淳之介さん。母親のあぐりさんは2015年にお亡くなりになったので、母親よりも20年近くも早く亡くなってしまったのですね。

純文学や芸術的な作品も多いですが、「にせドンファン」などの大衆文学などもファンの多い作品。

長年週刊誌で対談コーナーを続けられ座談の名手ともいわれていました。

お墓は岡山県の吉行家墓地にあるそうです。

「あぐり」の淳之介は堅物でしたが、実際の吉行淳之介さんはやはり父親譲りの女好き?(;^^)でもきっと小説を書くためなのでしょう。

作品も多いので、みなさんも何か読んでみてはいかがでしょうか。

 

あぐりで望月淳之介役のキャスト俳優は5人!

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「あぐり」望月淳之介は、ヒロインあぐり(田中美里)とエイスケ(野村萬斎)との間に生まれた長男で、子役を含め5人の俳優が演じました。

鎌田佳祐

淳之介の幼少期を演じた鎌田佳祐さんですが、現在の情報は調べてもわかりませんでしたm(__)m

柴田卓也

淳之介の小学生のころを演じました。柴田卓也さんについても、現在どうされているのかわかりませんでしたm(__)m

生田斗真

淳之介の少年期を演じた生田斗真さん。ジャニーズ所属です。昨年女優の清野菜名さんとご結婚されました(^^)

生田斗真さんは現在36歳。「あぐり」出演のときはジャニーズJr.所属の12歳のころ。生田斗真さんは11歳でジャニーズに入所し「天才てれびくん」にレギュラー出演。そして翌年に「あぐり」に出演します。

「あぐり」は生田斗真さんにとっても俳優として初出演したドラマです。

アイドルグループが多いジャニーズで、なぜ生田斗真さんは俳優に?実はチャンスがなかったそうです(;^^)

当時のことをあぐりを演じた田中美里さんはこう語っていました。

親子の役なので、わたしの膝の上でキャンキャンと騒ぎ子どもだな~と思いましたが、私とは8歳しか違わないんですよね。

8歳!!!

当時田中美里さんは20歳くらいですね。確かに自分の子どもとしては大きすぎますね(;^^)

当時撮影の合間も、廊下でジャニーズのダンスなどを踊ったり歌ったりして練習していたのを覚えているそうで、その後も舞台を見に行くと「お母さん」と呼ぶそうです。

とてもステキな関係が続いているんですね(^^)

大根田良樹

大根田良樹さんは淳之介の青年期を演じました。現在も俳優としてご活躍されています。

大根田良樹さんは現在41歳で生田斗真さんより5歳上です。当時は17歳くらいでしょうか。

父親のエイスケ(野村萬斎)死去のときに淳之介を演じていました。

山田純大

山田純大さんは現在48歳なので、当時は24歳くらい、あの杉良太郎さんの息子さんです(^^)

山田純大さんはこの「あぐり」で俳優デビューされました。現在は名バイプレーヤーとして活躍されていますね。

現在放送中の「TOKYO MER 走る緊急救命室」にも特殊部隊SITの隊長、新井役で出演されました。

「あぐり」望月淳之介はこの5人の俳優さんたちが演じました。

あぐり望月淳之介のモデルは作家の吉行淳之介のまとめ

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「あぐり」は1997年に放送されたNHK連続テレビ小説。現在再放送されています。

美容師の第一人者といわれる吉行あぐりさんをモデルにした作品で、小説家の夫、エイスケさんとの間には3人の子どもがいました。

今回は長男の芥川賞作家である吉行淳之介さんについてご紹介させていただきました。

吉行淳之介さんは徴兵を喘息のため免れ、その後編集者として働き始めます。

結核で療養中に同人誌に発表した『驟雨』が芥川賞を受賞し、本格的に作家として活動を始めました。

肝臓がんで母親より早く70歳でお亡くなりになりました。

妹の吉行理恵さんも小説「小さな貴婦人」で芥川賞を受賞、兄妹で受賞は史上初だったそうです。

エイスケさんの血を引いたのでしょう(^^)吉行淳之介さんは父親の小説は最後まで読んだことがない、と語っていましたが。。。(;^^)

結婚はできませんでしたが、亡くなるまでご一緒だった宮城まり子さんが設立したねむの木敷地内に、吉行淳之介博物館があります。

ぜひみなさんもお近くでしたら、お立ち寄りください。

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