5月6日放送の西郷どん(せごどん)17話。タイトルは「西郷入水」。
GWの最終日、帰宅してから西郷どんを見る人も多いでしょうか?
西郷は海に身を投げ救出後に一命を取り留めますが、その後島流しにされてしまうんです!
今回は島流しの理由、島流しの歴史についてまとめてみました。
18話以降のネタバレになりますので、閲覧注意です!
改名し奄美大島へ島流し!その理由とは?
[https://dorama-netabare.com/archives/34285]月照と共に錦江湾に入水自殺した西郷吉之助。
月照は命を落としますが、吉之助は一命を取り留めます!
しかし薩摩藩は、幕府に危険視される吉之助を死んだことにして「菊池源吾」と改名させ、奄美大島への流罪を決定します。
薩摩藩は有能な吉之助よりも、幕府との友好関係を選んだという事ですね。
さて何故「菊池源吾」?と思いますよね。一説には「吾れの源は菊池氏」という意味合いがあるらしいですよ。
西郷の祖先はかつて九州南部を支配していた「菊池氏」だったとか。祖先にあやかったネーミングだったようです。
当初吉之助は「奄美大島は罪人が流されるところ」と見下していました。
しかし奄美大島は今の薩摩の財政を立て直した重要な拠点。砂糖きびを搾取したために薩摩は潤いを取り戻したんです。
そんな吉之助の奄美大島での支えになったのは、愛加那(あいかな)という女性。愛加那と2度目の結婚をし、子供二人をもうけることになります。
薩摩に戻るも今度は徳之島へ!その理由とは?
西郷が奄美大島に流されていた頃、幕府の大老井伊直弼が桜田門外の変にて倒れたことで、幕府の権威は地に落ちます。
そして遂に吉之助は薩摩への帰還を許されます。その時期の薩摩の最高権力者は島津久光。
しかしこの久光と吉之助は犬猿の仲でした。吉之助は斉彬を崇拝するあまり、斉彬の弟久光をどうしても評価できなかったようです。
久光に対して「地ゴロ」(田舎者)と揶揄したり、久光からの待機命令を無視して上京したことで、久光の怒りは頂点に。吉之助を捕縛し、今度は徳之島へ流されてしまいます。
徳之島には心配した奄美の妻愛加那が子供二人を連れて現れました。
久々の対面を果たす吉之助ですが、その数日後追い打ちをかけるように、今度は沖永良部島行きへの命が下ります。
沖永良部島での過酷な生活
[blogcard url=” https://dorama-netabare.com/archives/34003″]沖永良部島では真の罪人として、吹きさらしの牢に入れられた吉之助。
久光は本当に吉之助が嫌いだったんでしょうね。ここまでするとは・・・。
劣悪な環境では、フィラリアに感染し陰嚢肥大に苦しめられたとか。
しかしそんな過酷な生活の中にも一縷の光が差し込みます。
島の役人土持政照とその母の介抱により、徐々に健康をとりもどしていきます。
また同じように罪人として囚われていた川口雪逢との出会いは、精神面で吉之助を支えることになりました。
「敬天愛人」という思想は川口雪逢から学んだともいわれています。
「敬天愛人」とは「天を敬い、人を愛す」 自分を愛することをもって、人を愛する事が大事であるという、西郷が人生の目標とした思想です。
そして遂に吉之助は薩摩への帰還を許される時がやって来ます!!
まとめ 島流しの理由は久光との不仲?
[https://dorama-netabare.com/archives/32834]西郷吉之助を語るうえで、この島流しは欠くことが出来ませんね。
島流しに至った理由は、薩摩藩が幕府を恐れて吉之助を遠ざけたかった事、久光と吉之助の不仲から来るものだったようです。
奄美→徳之島→沖永良部へ流されたことで、妻、子供を得て、人を愛する思想も得た西郷吉之助。
これが幕府を倒し、明治維新へつながる原動力になっていくと思うと感慨深いものが有りますね!!