ミスリリコアンドシローのモデルは?わろてんかでミスカワナと玉松一郎の漫才コンビが登場

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NHK朝ドラ「わろてんか」も夫の藤吉が亡くなり新しい時代が始まりました。

そんな中ヒロインてんが新しく漫才コンビをプロデュース。

広瀬アリスさん演じるリリコと松尾諭さん演じる四郎(しろう)が「ミスリリコアンドシロー(ミスリリコ&シロー)」を結成。

ちなみに漫才コンビ、史実にモデルがいるんです。

今回は「ミスリリコアン・ドシロー?」(笑)でなくて「ミスリリコ・アンド・シロー」のモデルとなったミスカワナと玉松一郎の夫婦漫才コンビの波乱万丈の歴史についてまとめていきます。

 

 

目次

ミスリリコアンドシローのモデルのミスカワナと玉松一郎とは?

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ドラマの中のリリコと四郎と大きく違うのが、モデルとなっているミスワカナと玉松一郎は互いに愛しあった夫婦で、夫婦漫才であること。

しかし、夫婦漫才としての活動には非常に波乱万丈な恋物語があったんです。

みすわかな

本名:河本杉子

生没年:1910~1946(明治43年~昭和21年)

出身地:鳥取県

初代ミスワカナ。そう、初代と付くということは、夫の玉松一郎はミスワカナ意外とも漫才コンビを組んでいるんです。

その話は以降で詳しく説明しますが(^_^;)

ミスワカナは自由奔放で気性が荒く恋多き女性でした。相方そっちのけでまくし立てる女性上位漫才の祖とされています。

しかし、なんと36歳という若さで死去。

死因の心臓発作はヒロボン中毒による影響も疑われているそうです。

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玉松一郎

本名:河内山一二

生没年:1906~1963(明治39年~昭和38年)

出身地:大阪府大阪市

ミスワカナの死後は2代目、3代目、4代目ワカナとコンビを変え、自らが亡くなるまで「ワカナ・一郎」としての活動を続けました。

 

師弟関係で結ばれて、芸名をもらうのが普通だった当時の漫才界で夫婦漫才ということで、異端だった2人。

一郎は自分たちが出会った土地「玉(造)松(ケ枝)」の名前を芸名にしました。なんてロマンチックな~♡

以降で波乱万丈の2人の生涯をまとめていきます。

 

波乱万丈な人生・ミスワカナ玉松一郎の出会いから別れとは?

 

 

幼いころより、父親とともに巡業をしていたミスカワナでしたが、幼い頃に父親が亡くなってしまいます

その後、9歳にして早くも芸能界入り。

ミスワカナは14歳になると「河内家小芳」を名乗って、1925年の15歳の時に、後の夫となる玉松一郎(たままついちろう)と運命の出会いをすることとなります。

2人は恋に落ちますが、当時ミスワカナには実家の田舎に幼い頃からの許婚がいました。

そのため、泣く泣く結婚のため故郷へ帰って結婚。女の子を出産します。

しかし、1929年になってから大阪に戻り芸能活動を再開すると、バッタリ一郎と再会。なんと、そのまま二人は駆け落ちしてしまいます!

なかなかロマンチックですねぇ(^ ^)でも子供は!?女としての人生を全うしている感じですね(^_^;)

その後ミスワカナと一郎は2人で旅巡業をしながら西へと移動します。広島を皮切りに中国→九州→中国青島まで渡ることに。

ところが青島の土地に馴染めなかったことが原因なのか?一郎は体を壊し働けない状態になってしまいます。
そのためミスワカナは英語や中国語のほかタップダンスを覚えて家計を支えることに。

その間、働くことができなかった一郎はアコーディオンを学びますが、ミスワカナに負担をかけていることを苦に自殺を図る事件が勃発。

男の人って弱い生き物ですよね(^_^;)それに比べミスワカナの強さが伺えますし、リリコのイメージにぴったりですね。

自殺した後、一郎は間一髪でミスワカナに助けられ、1931年に日本に帰国します。

ミスワカナは「都家若菜」に改名して「若菜万歳一座」として巡業を開始することとなります。

そして1937年広島でまた大きな出会いをすることとなります。

2人の舞台を見ていたのが後の吉本興業の社長となる林正之助!

そう、てんのモデルである吉本せいの弟です。ちなみに「わろてんか」では林正之助は風太のモデルとなった人と言われています。

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林正之助は2人を吉本興業へ入社させ、コンビ名を「ミスワカナ・玉松一郎」へ改名させます。

ミスワカナがひとりでまくし立てて老若男女の声を使い分ける傍らで、一郎のアコーディオンが絶妙のタイミングで鳴り困ったように相槌を打つという芸風が受け、あっと言う間にトップスターとなりました。

2人の成功には林正之助の手腕もあったんですね~。

寄席以外にもラジオやレコード録音など多忙な日々を送り、1938年に「わらわし隊」の一員として中国戦線へ慰問にも行ったこともありました。

帰国後はその経験を生かした漫才でさらに人気を獲得します。

 

ところが昭和14年に新興シネマ演芸部の引き抜きにより、突然の吉本興業退社が発表。吉本一番の稼ぎ手と言っても良かったワカナ・一郎は破格と言える条件に魅かれたとのことです。

後年、新興キネマが消滅した際、ワカナは吉本への復帰を頼み込んだのですが、一度出て行ったものが戻るのは都合が悪いと断れています。

確かに、一度裏切って、戻るなんて、虫が良すぎますね(ー_ー)!!

昭和21年(1946年)野外演芸会の帰りに、駅のホームでワカナが心臓発作を起こし急逝。このコンビは消滅することになります。

先述しましたが、ワカナは当時36歳という若さでした。

 

ミスリリコアンドシローの今後のネタバレも波乱万丈?【閲覧注意】

 

 

では、今後のミスリリコアンドシローのネタバレです。

以降、今後のネタバレを含むので閲覧注意です。

ミスワカナと玉松一郎ほどではありませんが、なかなか衝撃の展開が待っています。

なんと北村笑店を離れることになります。

えーーーワカナたちと同じように引き抜き!?と思うと思いますが、違います。

また2人は恋愛して結婚。

ここまでは普通なのですが・・・この後に波乱万丈のストーリーが待っています。

少しミスワカナと一郎に似ています。

以下の記事で詳しくまとめてありますので、是非ご覧ください。

[blogcard url=”https://dorama-netabare.com/archives/30492″]

 

 

まとめ

[blogcard url=”https://dorama-netabare.com/archives/29976″]

ミスワカナが若くして早くにに亡くなったことから、もしかしてリリコも!?とちょっと心配になりますが、四郎とは夫婦ではないですし、出会い方も違いますので、オリジナル展開になるのでは??と思います。

リリコ&シローの今後の展開に注目です。

 

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