NHK朝ドラ「わろてんか」はヒロインてんが吉本興業創業者の吉本せいさんがモデルのドラマです。
吉本せいさん以外にもモデルやモチーフになった役柄が多数出演することでも話題です。
今回は蛭子能収さんに似ていると話題の俳優前野朋哉さんが演じている芸人アサリ。なんとモチーフになった実在の人物がいるんです。
キースのモデルになった横山エンタツとともに漫才で一世を風靡した花菱アチャコです。
今回は花菱アチャコについてご紹介します!
わろてんかでアサリの役柄とは?
[blogcard url=”https://dorama-netabare.com/archives/26150″]ドケチな俄(にわか)芸人
アサリ[前野朋哉]
歌舞伎役者に憧れを抱くが実力もコネもなく、さらにその顔で役者は無理…と言われて、俄を演じる芸人になった。「銭がないと夢もへったくれもない」と言ってはばからず、周囲からは守銭奴だと思われているが、じつは心根の優しい男でもある。何かにつけてキースと対立するが、そのとぼけた風貌と物言いが、のちにキースとコンビを組んで大きく花開くことになる。
引用元:https://www.nhk.or.jp/warotenka/cast/index.html
上記は番組公式の紹介ですが、後にキースとコンビを組むと書いてありますね。
ちなみにキースのモデルになっている横山エンタツについては以下にまとめてあります。
[blogcard url=”https://dorama-netabare.com/archives/24311″]
アサリのモデルになった花菱アチャコとは?
はなびし・あちゃこ
生没年 1897年~1974年(明治30年~昭和49年)
出身地:福井県勝山市
アチャコは吉本興業初期からの出演者でした。「エンタツ・あちゃこ」によるしゃべくり漫才で人気を博し、亡くなるまで吉本専属の芸人となりました。
アチャコは明治30年(1897年)福井県勝山市で生まれ。
本名は藤木徳郎で、新派の山田九州男(山田五十鈴の父親)の一座に入って東明幸四郎と名乗ります。
その後「花菱アチャコ」と改名して横山エンタツと出会います。
「エンタツ・あちゃこ」の2人がコンビを結成したのは昭和5年(1930年)5月で、コンビ解消したのは昭和9年(1934年)10月と結成期間はわずか4年でした。
その後、二人は喜劇人として別々に40年近く活動を続けることになります。
しかし、漫才コンビ「エンタツ・アチャコ」としての印象の方が世間では大きかったようです。
2人のコンビ結成前のエピソードとは?ドラマと違う?
2人がコンビを結成する前、2人は大正11年(1922年)に即席で漫才(当時は万歳と言う)を披露。
明石の三白亭という小屋での即興中、急遽幕間をつながなかればならない状況になったエンタツとアチャコ。何も準備のないまま、即席で「しゃべくり漫才」を披露。
しかし、当時の万歳はまだ音曲を伴う形式が主流だったことから、客からは大ブーイングを受ける結果に。「やめろやめろ」の大合唱とともにみかんの皮まで投げられたという話もあります。
まさに、時代の先を行き過ぎてしまったんですね~。
こうして2人の「しゃべくり漫才」は大失敗して、2人は別々の道を歩むこととなります。
そしてその後、アチャコは本格的に万歳を始め、浮世亭夢丸や千歳家今男とコンビを組んで人気を博し、大正14年(1925年)に吉本入りしました。
ドラマではヒロインてんと夫の寄席にアサリとして出演しているの、ドラマとは違う設定になっていますね~。
一方、エンタツも中村種春とコンビを組んで万歳に取り組み、主に東京で活躍。昭和4年には9人の一座を組んでアメリカ巡業を行いました。
興業そのものは失敗に終わりましたが、エンタツはアメリカでチャールズチャップリンなどの喜劇に感銘を受けて、その後の芸人人生に多大な影響を与えられました。
アチャコとエンタツのコンビ結成とは?
[blogcard url=”https://dorama-netabare.com/archives/26271″]その後、当時に吉本興業の総支配人林正之助が、アメリカから戻ったエンタツをスカウトします。
ちなみに林正之助は、ヒロインてんのモデルになった吉本せいの弟です。
そして当時、千歳家今男とコンビを組んで人気を博していたアチャコにエンタツと組むことを提案。
歴史に残る漫才コンビが誕生することとなります。
2人は笑いの新しいスタイルを模索。それまでアチャコは扇子を持ち、和装で舞台に立っていましたが、アメリカ巡業で欧米の喜劇に影響を受けたエンタツの意向により洋服姿での登場にしました。
2人はそれまでの万歳の定番だった唄や音曲は用いずに身近な話題をネタにした「しゃべくり」だけで勝負。
新しいスタイルが受けいられ、2人は一世を風靡することとなります。
アチャコとエンタツのコンビ解消とは?
2人は吉本期待の人気コンビとして活躍をつづけましたが、昭和9年(1934年)8月にアチャコが中耳炎にかかってしまいます。
その時ちょうど10日間の万歳大会出演中だったので無理を押して舞台に上がり続けたアチャコは大会終了後、入院。
長期療養を余儀なくされます。
そこで、ヒロインてんのモデルになった吉本せいと弟の正之助は、エンタツを杉浦エノスケと組ませます。
結果的にはその後、アチャコとエンタツが2人で漫才することはなくなり、コンビ解消となります。
以降アチャコは劇団を旗揚げして全国を巡業。一方エンタツはラジオ番組のレギュラーなどを務め、2人は長きにわたり喜劇人として大活躍します。
しかし、ファンは「エンタツ・アチャコ」の共演を望みます。そこで吉本は二人を再び映画でたびたび共演させて、コンビの姿をなども披露する機会を作ったそうです。
「アサリ」のモデル花菱アチャコについてのまとめいかがだったでしょうか?
あくまでモデルでモチーフなので、大きくキャラクターや史実と異なる設定になりそうです。その違いを楽しんで見るのも良いですね!