どうする家康千代の最後の死因とは?どうなる?

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NHK大河ドラマ「どうする家康」は関ヶ原の戦いの前の伏見城の戦いが描かれます。音尾琢真さん演じる鳥居元忠とともに古川琴音さん演じる妻・千代(ちよ)が最後にどうなるのでしょうか?「どうする家康」千代の最後や死因についてネタバレを紹介します。

目次

どうする家康の千代とは?武田の忍びでのちに鳥居元忠の妻になる!

古川琴音さん演じる千代は物語の序盤から度々登場しています。

三河一向一揆では、僧・空誓(市川右團次)と引き合わせるという役どころで妖艶に登場し、大いにかき乱してくれました。

実は千代はある人物からの指令で動いていたのです。

それは甲斐の武田信玄(阿部寛)でした。

千代の正体は、歩き巫女と呼ばれる武田の忍び!

その後も、家康の妻・瀬名(有村架純)に近づき、武田との内通を疑われるきっかけとなったのも千代でした。

しかし瀬名の戦の無い世の中を作りたいという思いに共感して、穴山梅雪(田辺誠一)とともに武田勝頼(眞栄田郷敦)を説得して、和平交渉に臨みますが・・・

勝頼が一転裏切ったことで、瀬名は信長(岡田准一)の命で殺されてしまいます((+_+))

そのことがきっかけで、千代は武田を離れて姿をくらましました。

家康は千代の行方を心配して、密かに探していたのですが、なんと鳥居元忠(音尾琢真)が匿っていたのです。

そのとき千代が実は、武田の重臣・馬場信春の娘であることも明らかになりました。

馬場信春がどうする家康で千代の娘は実話?キャスト俳優についても

元忠は千代を妻にしていることを認めて、家康から切腹を命じられることも辞さない覚悟をします。

しかし、家康は於愛(広瀬アリス)の助言もあり、元忠のことを許し、千代にも元忠の妻として生きていくように語るのでした。

こうして元忠と千代は無事に夫婦として家康に認められることになります。

その後元忠は千代の尻に敷かれている感じのことが、第41回で語られていましたが(;^_^A

そんな夫婦に任されたのが、伏見城の守りです。

家康は謀反の疑いのある上杉景勝(津田寛治)を討伐するために、東に向かうことになるのですが、大坂では謹慎中の石田三成(中村七之助)が戦を起こす可能性がある。

そのときの備えのために、幼いころから一緒にいた信頼できる家臣の鳥居元忠に京を任せたのでした。

家康と元忠の最期の別れのシーンは泣けましたね・・・((+_+))

果たして、第42回で元忠と千代の運命は?

以降で第42回のストーリーをNHK公式ガイドブックからネタバレ紹介します。

知りたくない方は閲覧ご注意ください。

どうする家康千代の最後の死因とは?どうなるのかネタバレ

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上杉征伐に向かう家康(松本潤)のもとに、三成(中村七之助)挙兵の知らせが届いた。小山で軍議が開かれ、西国大名の多くが三成につく中、家康は天下分け目の戦に臨むため、西へ戻ると宣言する。秀忠(森崎ウィン)に真田昌幸(佐藤浩市)の攻略を任せ、江戸に戻った家康は、各国大名に応援を働きかける。一方、京では千代(古川琴音)とともに伏見城を守る鳥居元忠(音尾琢真)は、三成の大軍に囲まれ、最期の時を迎えていた。

引用元:公式サイト

1600年6月、大坂を出た家康軍は、7月に江戸城にたどり着き会津に向けて進軍。

すると案の定、石田三成が挙兵したという知らせが入ります。

こうなると、伏見城を守る鳥居元忠にも危険が迫るだろうが、あの桶狭間を戦い抜いた元忠が助太刀など望むまいと思う徳川の家臣たち。

そして家康は、上杉討伐を中止し小山にて評定を行い、三成討伐を皆に宣言し京に引き返すことにした徳川軍。

そのころ伏見城には三成側に付いた宇喜多秀家の軍勢が迫っており、元忠は奮戦を繰り広げます。

8月、小山から江戸にもどった家康のもとに書状が届きました。

それは伏見城が落ちたという悲しい知らせ。

鳥居元忠は家臣一同と最後まで見事に戦い抜き、城を枕に討ち死に。

側室の千代もまた夫に殉じたと書かれていたのです!

悲しみに打ちひしがれる家康ですが元忠の死を無駄にするわけにはいかないと奮起します。

各地の大名へ援軍を求める書状を書き続け、いざ関ヶ原の地へ向かうことになるのでした。

第42回で、鳥居元忠と千代は伏見城の戦いにて死んでしまうという悲しい結末が待っているんです!

千代の最後の死因の史実とは?

鳥居元忠の伏見城の戦いで活躍の史実の顛末とは?

ここで史実の千代についてもご紹介します。

「どうする家康」に登場する千代というキャラは、架空の人物なのですが、ある歴史上の人物がモデルなのかなとかねてから言われています。

それは武田の歩き巫女の望月千代女(もちづきちよじょ、ちよめ)です。

望月千代女は、甲賀望月家の娘とされていて、武田信玄の甥である望月盛時と結婚するも、1561年の第4回川中島の戦いで夫・盛時は死んでしまいます。

千代女は若くして未亡人になってしまい、信玄はそんな千代女に歩き巫女の育成を命じたとされているんですよね。

ちなみに歩き巫女とは、地方を遍歴して祈禱や呪詛、占いなどをする巫女のことを言います。

その最期は謎が多いためか、死因などは分かりませんでした。

そしてもう一つのモデルと呼ばれる人物は馬場信春の娘です!

「どうする家康」では、史実の望月千代女と馬場信春の娘のキャラを合わせた描かれ方がされているのかなと個人的には思っています。

ドラマで描かれたように、馬場信春の娘は鳥居元忠に嫁いだと言われています。

徳川家康は武田家を滅ぼした際、馬場信春の娘が美しいという噂を聞き、探すように命じていました。

その役目を任されたのが鳥居元忠でしたが、家康に見つけ出すことが出来なったと報告します。

しかし実は見つけており、馬場信春の娘を自らの妻にしていた。

ドラマの中では、このエピソードを取り込み、千代を馬場信春の娘として描いたんでしょうね!

馬場信春の娘は、元忠の側室となり3人の男の子を産んだとされています。

そして関ヶ原の直前の伏見城の戦いの際にも参戦。

そのとき「この城が落ちるとすれば松の丸からでしょう」と図面を見て語ったんだそう。

そして実際その通りになったという説もあるんです。

武田の猛将・馬場信春の娘だけあって、父親に負けず劣らぬ、鋭い観察眼が有ったのかもしれませんね。

詳しい死因は分かりませんでしたが、夫の元忠は敵方の鈴木重朝と奮戦した末に、自害したと言われているので、妻である馬場信春の娘もともに自害した可能性が高そうです。

自害したとき城の床に飛び散った血で染まった床板は、その後取り外され供養のため京都の宝泉院にて天井板として設置されています。

 

どうする家康千代の最後の死因まとめ

【どうする家康】最終回はいつ?何話まで放送?

今回は「どうする家康」の千代の最後についてご紹介しました。

ドラマ内では夫の鳥居元忠とともに城を枕に討ち死にする千代。

史実の千代は望月千代女と馬場信春の娘がモデルとされていますが、馬場信春の娘も元忠とともに伏見城の戦いで亡くなったと思われます。

11月5日放送の第42回は、鳥居元忠と千代の最期が涙無しでは見れないかも((+_+))

関ヶ原直前の伏見城の戦いをぜひ皆さんご期待ください!

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