相島圭一のモデルは五島慶太で実在の渋谷「東急」創業者【らんまん】

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連続テレビ小説・朝ドラ「らんまん」が最終回に向けて、新たな展開を迎えています。

主演の神木隆之介(かみきりゅうのすけ)さんが演じている、主人公の槙野万太郎(まきのまんたろう)のモデルは、日本の植物学の父と呼ばれる牧野富太郎(まきのとみたろう)さんです。

「らんまん」万太郎の妻は、浜辺美波(はまべみなみ)さんが演じる槙野寿恵子(まきの・すえこ)で、モデルは牧野富太郎さんの妻、牧野壽衛子(まきの・すえこ)さんです。万太郎の夢を支えるために、新しい商売・待合茶屋を始めることになる寿恵子【すえこ】。

そんな渋谷の待合茶屋の常連客になるのが、逓信省鉄道庁官僚の相島圭一(あいじま・けいいち)。

実在の実業家がモデルの海宝直人(かいほうなおと)さん演じる小林一三(こばやし・いちぞう)と一緒に来る相島ですが、なんと渋谷「東急」の創業者の五島慶太さんがモデルなんです。

今回は朝ドラ「らんまん」の相島圭一のモデル・東急創業者の五島慶太についてご紹介していきます。

目次

相島圭一は待合「やまもも」の常連客!らんまんで小林一三や岩崎弥之助などと交流!

らんまん渋谷編キャスト!荒谷のおじさん役やフミ役の那須凛など

相島圭一は、寿恵子が渋谷に開店した待合茶屋「やまもも」の常連客となるお省庁・鉄道庁官僚。

大物実業家がモデルの小林一三を連れて「やまもも」になってきました。

らんまん小林一三のモデルは実在の実業家!銀行員から転身!

日本全国の植物を載せた図鑑がまもなく完成しようとしていた。しかし、未だに版元は見つからない。万太郎(神木隆之介)は、図鑑は本当に必要とされるのかと自信をなくしていた。そんな万太郎を虎鉄(濱田龍臣)は、きっと何百年も残り続けるものになると励ますのだった。一方、寿恵子(浜辺美波)の店には、相島(森岡龍)と小林一三(海宝直人)がやってきて…

引用元:https://tv.yahoo.co.jp/program/116886928

やまももに「密会」と称してやってきた2人は、現在は銀行員と官僚の2人ですが将来的には、鉄道事業に参入しようと熱く語り合う2人。

また田舎で廃れている渋谷など郊外の安い土地をまとめて手に入れて、人々が暮らせるような場所を先に作り、住人が集まってきた後に、鉄道を後から敷く・・・と話す小林一三とそんな小林の話を聞いて笑顔の相島。

そんな相島に同じように鉄道事業に参入をたきつけ「渋谷にはあなたがおりたてばいい」と小林一三。

そんな相島圭一のモデルは、実在の実業家で、渋谷の「東急」の創業者で知られる五島慶太(ごとう けいた)がモデルなんです。

以降で詳しくご紹介していきます。

相島圭一のモデルは実在の五島慶太で小林一三に説得されて鉄道事業に参入!

小林一三と牧野富太郎との関係・接点と寿衛子についても

相島圭一のモデルは、渋谷「東急」の創業者である五島慶太さんだと思われます。

五島慶太さんは1882年に長野県小県郡青木村で農業を営む小林菊右衛門の二男として誕生。

生家は村一番の資産家だったものの、現金収入はわずかだったことから、家計は決して楽ではなかったそうです。

中学校に進学した後、実家の経済状態から、さらなる進学をあきらめて小学校の代用教員として働いていましたが1902年に学費が不要だった東京高等師範学校に合格し教員を辞めて上京し、英文科に進学。

学校を卒業した後は、英語教師として働いていたものの、その後東京大学法学部へと進学。

家庭教師をして学費を稼ぎつつ1911年に大学を卒業し農商務省に就職。そして2年後に鉄道院に移り、官僚として9年間勤めます。

そして 1920年、鉄道院を辞めた後、武蔵電気鉄道常務に就任します。

そんな中、五島慶太さんにある依頼が入ります。

大河ドラマの主人公にもなった、渋沢栄一が当時、田園都市住宅をつくろうと、田園調布と洗足に45万坪の土地を購入。

その住民らに、交通の便を提供しようと、目黒から多摩川のふちまでの間に鉄道を敷くために荏原電気鉄道(のちの目黒蒲田電鉄)を設立しました。

ところが、鉄道に関しては素人だったことから、計画は難航していたそう。

そんなとき、渋沢栄一さんが紹介で関西での鉄道事業で成功していた小林一三さんを紹介されたものの当時多忙だった小林一三。小林一三さんの代わりに小林一三とは旧知の仲だった五島さんを推薦。

そして小林一三さんに説得されてこの話を受けたそうです。

まずは目蒲線(現在の目黒線と東急多摩川線)の路線づくりを行います。

そして大正12年(1923年)には目黒駅から丸子多摩川駅まで開通。そして半年後には蒲田駅まで開通します。ところが蒲田駅まで開通したその日に、関東大震災が起きてしまいます。

開通式の5時間後に地震で電車の運行はストップという衝撃のアクシデントが。

レールが曲がるなど大損害を負ってしまいます。ところが五島慶太さんの指揮のもと、2か月後には復旧させるという驚きの復旧をみせます。

関東大震災は、鉄道の被害は大きかったものの、意外な「恵み」をもたらすことになります。

渋沢栄一さんが掲げていた田園都市構想を実現するために、五島慶太さんが所有していた郊外の土地が次々と売れることに。目蒲電鉄は震災後大きな利益を出し、五島慶太さんはその資金を活用して次の事業に進出します。そして、関東大震災後、都心から郊外に土地を求めた学校を誘致することにも力を入れ、乗客増加につなげたのです。その代表が、日吉に進出した慶應義塾大学だったそうです。

次は東横線の開業を目指すことに。そしてペーパーカンパニーだった武蔵野電気鉄道の社名を、1924年(大正13)に東京横浜電鉄と変更。五島慶太さんが専務に就任し小林一三さんが監査役となります。

相島圭一のモデルは五島慶太で実在の渋谷「東急」創業者に!

待合茶屋「山桃【やまもも】」渋谷・寿恵子の店「いまむら」がモデルで実在!

東京横浜電鉄は昭和2(1927年)渋谷〜丸子多摩川の9.1kmを開通します。

さらに5年後には桜木町駅まで路線を伸ばしていきます。そして東横線を所有し、次第に繁華街らしくなっていく渋谷に拠点を移した五島慶太さんは、渋谷を一大ターミナルにする計画を着々と進めていきます。

昭和13年(1938年)年には玉川電気鉄道(玉電 )と 合併。後に開通する地下鉄駅は玉電ビルの2階に造られ、建物から地下鉄の電車が飛び出してくる、渋谷を象徴する光景が作られました。

現在の渋谷は、五島慶太が作ったと言っても過言ではないと思います。

このように、五島慶太さんは、次々と鉄道会社をM&Aなどで手中に収め、私鉄王国「大東急」を築いてきました。

そして、沿線開発として百貨店を作り、学校への誘致。慶應義塾大学・武蔵工業大学・東京医科大学をはじめ多くの学校に土地を無償で提。

鉄道を中心とした東急を作り上げた五島慶太と渋谷は深いつながりがあったことから、ドラマでも渋谷の待合の常連客として登場させたのでは?と思われます。

五島慶太さんは一電鉄会社から立ち上げた会社を、一代で東急グループに成長させ、時に強引な手法から「五島慶太ならぬ強盗慶太」と言われました。

 

相島圭一役の俳優は森岡龍!

名前:森岡龍(もりおか りゅう)
生年月日:1988年2月15日
出身地:東京都
身長:175cm

引用元 マイターン・エンターテイメント

森岡龍さんは北海道で生まれましたが、出身地は東京都です。

現在35歳で、奥様はテレビドラマの演出や監督をされている並木道子さん。お子様が誕生されたようですね(≧∇≦)

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森岡龍さんは成城学園高等学校、多摩美術大学造形表現学部映像演劇学科卒業!

小さいころから目立ちたがり屋で、人前に出るのが大好きだったそうです。

漫画家やサッカー選手に憧れたこともあったそうですが、映画にハマり、映画に携わりたいと思うようになったそうです。

15歳のとき、麻生久美子さんが所属してる事務所「プレス」に映画の世界に入りたい、と手紙を送ったところ、役者として映画のオーディションを受けるようにとの返事が。

そのオーディションが「茶の味」で、映画『茶の味』俳優デビューしたのが、16歳のころの2004年でした。

その後も学校帰りにオーディションに行く日々が続き、オーディションが部活のようだったとか(笑)

その後にオーディションで「亡国のイージス」にもご出演されますが、このときの役は死体の役。

動いてはいけない役だったので(当たり前ですが(;^^))真田広之さんの目の前で寝てしまったそうです(笑)しかもイビキまで!(笑)

真田広之さんに「寝ているな、コイツ。起きろー!」と起こされたそうです(笑)ちなみに真田広之さんはとてもいい人だったそうです。

大学時代には、映画監督としても活動されていて、監督した「つつましき生活」は、ぴあフィルムフェスティバルで入選したこともあるとか!

卒業制作だった「ニュータウンの青春」は釜山国際映画祭に出品され、劇場公開もされました!

高度成長期だったころの日本。庶民の憧れだったニュータウンを舞台に、3人の登場人物を見事に描いた作品でした。

この作品から、商業映画にいくと思われましたが、仲間内で作っていた映画なのに、いきなりプロフェッショナルな現場に代わり、戸惑ってしまったそうです。

映画を撮るという気持ちが折れてしまい、事務所に相談したところしばらく役者に専念しては?と的確なアドバイスをもらいました。

役者に専念すると、いろんな話がくるようになったそうです。

2016年には映画『エミアビのはじまりとはじまり』で演じた、前野朋哉さんとの漫才コンビ「エミアビ」を実際に組み、なんとM-1グランプリに出場(≧∇≦)

第1回目の予選を突破した過去をお持ちです♪本番では緊張のあまり、ネタを飛ばしてしまったそうです(;^^)

2019年に舞台の演出を始めて手がけました。

2020年にはイギリスの映画祭に出品された主演映画『地の塩 山室軍平』で、なんと最優秀主演男優賞を受賞(≧∇≦)

2017年に所属していた「プレス」から独立し、個人事務所「マイターン・エンターテインメント」を設立しました。

森岡龍さんはおもに映画にご出演されていましたが、2013年ころからはドラマにもよく登場するように。

CMにもたびたび登場されています。

キリン一番搾り♪

ほかにも日本マクドナルドやかんぽ生命、日清食品などにもご出演されています。

映画監督も再開しています。2022年に「北風だったり、太陽だったり」「プレイヤーズ・トーク」を手がけました。

俳優としても、映画監督としても、今後も楽しみな森岡龍さんです!

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