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  1. いだてん 東京オリムピック噺【大河ドラマ】

嘉納治五郎とはオリンピックを牽引【大河いだてん】生涯とは?

2019年の大河ドラマ「いだてん 東京オリムピック噺」が遂にスタートしました!

オリンピックに初めて出場した男・金栗四三(かなくりしそう)、1964年に東京オリンピックを招致した男・田畑政治(たばたまさじ)の2人が主人公。

脚本は宮藤官九郎(くどうかんくろう)さんで、第1話から大河ドラマに革命を起こした?とか言われて評判も上々です(^^)/

そして、オリンピックの日本参加を推進した人物・嘉納治五郎(かのうじごろう)も「いだてん」に登場!

第1話では、ほぼ主人公のような立ち位置で、画面に出ずっぱりでしたよねー(*^▽^*)

今回は、大河ドラマ「いだてん」でキーパーソンとなるオリンピックを牽引した男・嘉納治五郎についてまとめてみました。金栗四三との関係についてもご紹介します!

 

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いだてんの嘉納治五郎とは?

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金栗四三の憧れの人物であり、人生の恩師。金栗の進学する東京高等師範学校の校長。講道館柔道の創始者でもあり、”日本スポーツの父”と呼ばれる。アジア初のIOC委員として、日本のオリンピック初出場のために奮闘し、選手団団長として参加。人並み外れた情熱と、ひょうひょうとしたユーモアを併せ持つ大人物。

引用元:https://www.nhk.or.jp/idaten/r/cast/003/

日本のオリンピック出場に奔走し、後には東京でのオリンピック招致を目指し、1964年開催の礎を作ったと言われている人物が嘉納治五郎です。

大河ドラマ「いだてん」の影の主役と言っても良さそうな人物ですよね( *´艸`)

果たして嘉納治五郎はどのような人生を辿ってきたのでしょうか?

以降で、嘉納治五郎について詳しく紹介していきます!

 

柔道を確立させた男!

 

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嘉納治五郎は、1860年、今の兵庫県神戸市に生まれます。

8歳で母を失うと、父と共に東京に移った治五郎。

治五郎の父は、勝海舟と親交があり、その影響からか西洋の知識が必要と考え、英語を学ばせます。

治五郎はとても優秀で、14歳にして、東京開成学校に入学!

この学校は今でいう、東京大学の事です。すごいですよねー!(^^)!

勉強が出来た半面、身体が小さくいじめられることも多かった治五郎は、生来の負けん気の強さも相まって、柔術の修業も始めます。

そして、それまで口伝だった、わざを研究し、技術体系を整理した「柔道」を確立させたのです!

 

「精力善用」「自他共栄」の精神

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柔道で体を鍛えることで自制的精神が見について行った治五郎。

そして、相手を観察し組み合う中で、考察する力、互いを高め合う力が養われるという考えに至ります。

明治15年(1882年)、東京の上野に「嘉納塾」「講堂館」を創設し、青少年の教育を開始した治五郎。

小柄な治五郎が、柔道で得た最初の理念は「柔よく、剛を制す」

つまり、相手の力を利用して勝つ、逆らわずして勝つという事。

やがてこの理念は「精力善用」「自他共栄」という理念に発展。

柔道の修業によって高めた力は、世のために使うべきであり、共に助け合えば、自他ともに栄えるという考え方です!

この精神を生きかたの核として、嘉納治五郎は様々なことを成し遂げて行くのです(*´▽`*)

 

日本初のオリンピック選手誕生!

 

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大学卒業後、学習院(現・学習院大学)の教師となった治五郎。

その後二年間の海外視察、第五高等学校(現・熊本大学)の好調を経て、明治26年(1893年)高等師範学校(現・つくば大学)大学校長に就任。

柔道だけでなく様々なスポーツを積極的に取り入れ、特に水泳、長距離走に力を入れます。そして留学生も積極的に受け入れ、その人数は約7000人にも上っていたそうです。

明治42年(1909年)、ドラマの中ではこの時点の嘉納治五郎から描かれていますね(^^♪

近代オリンピックの祖・クーベルタンは日本にもオリンピックに参加して欲しいと思い始めていました。

クーベルタンの意を受けた、フランス大使ジェラールは、治五郎に白羽の矢を立て、IOC(国際オリンピック委員会)委員就任を要請。

クーベルタンの思いに賛同した治五郎は、委員就任を快諾。明治44年(1911年)大日本体育協会を設立するのです。

明治45年(1912年)のストックホルムオリンピックには、初めて日本選手の参加を実現!この選手こそ「いだてん」の主人公・金栗四三です。

大正9年(1920年)のアントワープ大会にも参加するも、ちょうどその頃日本では関東大震災が発生。

世間では「この非常時にオリンピックなんて」と非難を受けますが治五郎は言います。

「日本は震災に負けていないことを世界に示すべきだ!!」

大正13年(1924年)のパリ大会への日本参加を実現させたのです。

 

東京オリンピック開催なるか?

いだてんは実話?フィクションなのか元ネタやモデルについても

昭和3年、昭和7年とアムステルダム、ロサンゼルス大会で日本人の活躍が広く知られるようになり、今度は「日本でオリンピックを!」という気運が高まってきました。

治五郎は、昭和15年(1940年)の第12回オリンピックを東京に招致する活動を開始!!

「近代オリンピック設立意義は世界のものにすること。欧米だけでなく、アジアでも開催されるべきだ」と意義を説きます。

東京開催の最大のライバルはイタリアのローマだと考えた治五郎は、イタリア首相のムッソリーニと直談判するため、IOC委員の杉村陽太郎と副島道正を派遣。何とローマの立候補を取り下げさせることに成功するんです!

その後昭和11年(1936年)のIOC総会でヘルシンキとの決選投票に勝利し東京開催は決定!

しかし翌年に日中戦争が勃発!準備遅れを理由にIOCは開催返上を申し入れますが、治五郎は言います。

「オリンピックの開催は、政治的状況の影響を受けるべきではない」

その本質を突く一言には、誰も異を挟むものは居ませんでした。

東京開催にこぎつけた、治五郎は各国を回りお礼と協力の意を伝えていました。

しかし、昭和13年(1938年)5月、バンクーバーから横浜へ帰る氷川丸の船上で、肺炎のため逝去。

その二か月後の7月、国内外で反対の声が高まってしまい、日本はオリンピック開催を返上。

嘉納治五郎の東京開催の夢は幻となってしまうのでした(/ω\)

 

日本の嘉納治五郎から世界のJIGORO KANOへ

 

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実は嘉納治五郎は海外からも高い評価を受けているんです!

明治24年(1891年)第五中学校の校長だったときに、小泉八雲によって海外に初めて柔道が伝えられます。

「逆らわずして勝つ」という柔道の理念は欧米には無い新鮮な考え方であり、多くの外国人が講堂館を訪れ、治五郎に教えを請いました。

こうして世界のスポーツ界に名が知られていった嘉納治五郎。

IOC委員となってからも、オリンピックに出席し各国の委員と親交を深め、「精力善用」「自他共栄」の精神を説き、治五郎は各国の委員からも慕われていたそうです。

実際、治五郎が亡くなった際は、世界各国から哀悼の意と共に「マラトンの勇者のようだ」と賛辞の言葉がたくさん贈られました。

そして、昭和39年(1964年)の東京オリンピック招致の際にも嘉納治五郎を慕う多くのIOC委員の後押しがあったと言います。

治五郎の生前の活動が、未来の東京オリンピック開催を実現させたといっても過言ではありません!!

 

嘉納治五郎を演じるのは役所広司!!

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今回、嘉納治五郎の生涯をまとめてみましたが、スゴイ人物ですよね!!

私も「いだてん」が始まるまでは知らなかったのですが、今の日本のスポーツ界があるのは嘉納治五郎有ってこそですよね。

まさに「日本体育の父」ですよねー(^^♪

そんな嘉納治五郎を演じるのは、役所広司さんです!!

大河ドラマの出演は「花の乱」以来何と25年ぶりだそうですよ!!

映画「関ケ原」での徳川家康、「三度目の殺人」では殺人容疑者役。

TBSドラマ「陸王」では足袋づくりに奮闘する老舗の社長!

日本を代表する役者・役所広司さんが、日本のスポーツを支えた嘉納治五郎を演じるなんてピッタリですよね(*´▽`*)

大河ドラマ「いだてん」は是非、嘉納治五郎にも注目してご覧くださいね!

 

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