マーチンショーとは?モデルのマーカスショウの吉本日本公演の史実【わろてんか】

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「わろてんか」で第20週からボンこと隼也(成田凌)がある行動を起こします。

その中心となるのが「マーチンショー」です。

どうやらモデルとなっているのが「マーカスショウ」らしいのですが、どんなものかご存じでしょうか?

わたしもよくわからないので、この「マーカスショウ」について調べることにしました。

さて、ボンとマーチンショーとはどんな関係があるのでしょうか?

吉本興業とマーカスショウとの関係や、ドラマと史実の違いについても比べてみます。

ボンは一体何をするのでしょうか?

※後半ネタバレなので閲覧注意です。

 

 

目次

マーチンショーのモデルであるマーカスショウとは?

[https://dorama-netabare.com/archives/30132]

マーカスショウとは当時ニューヨークにあったレビュー団です。

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レビュー団???

レビューとは日本語にすると「大衆娯楽演芸」。

照明や衣装などの視覚効果を主として行われる芸です。

寸劇や曲芸、音楽などさまざまな芸が披露されていました。

[blogcard url=”https://dorama-netabare.com/archives/30203″]

その頃日本ではエノケン(榎本健一)率いる軽演劇がブームとなっていました。

エノケンは「日本の喜劇王」とも呼ばれ、エノケン一座はお笑いやコントなどが織り込まれた娯楽性の高い演劇。

ニューヨークでこのレビューをしていたのがマーカスショウで、たくさんの美女がアクロバットや喜劇などをスピーディに演じることで一世を風靡していました。

このマーカスショウに目をつけたのが林弘高。

そう、吉本せいと林正之助の実弟で、吉本興業が東京に進出した際支社長として手腕をふるった人物です。

正之助はドラマでは風太(濱田岳)のモデルといわれていますね。

アメリカに行った経験のある弘高は、この新しいエンターテインメントに注目、日本に呼びよせ有楽町日本劇場で公演を行いました。

最初はアメリカから60人以上もの出演者たちを招いて、本場のレビューショウを上演。

あれ?日劇って伊能栞のモデルで東宝の創設者小林一三のものじゃ?
と思ったんですが、このときはまだ買収されてなかったそうです。

このショーの目玉となったのは「金色の女」と呼ばれた金粉ショーです。

全身に金粉を塗り、体のラインをあらわにした美女たちが繰り広げるショー、スターウォーズの「C-3PO」といったところでしょうか(笑)

[blogcard url=”https://dorama-netabare.com/archives/30509″]

このショーに度肝を抜かれた日本人は、日劇に通い詰めることになり、45日間にわたって連日超満員となりました。

そしてこの「マーカス・ショウ」から「ショウ」という言葉が広まって定着したということです。

以前「わろてんか」に出てきたアイドルグループ「安来節乙女組」覚えていますか?

あのときも着物の裾からひざが見えただけで大騒ぎでしたね(笑)

そんな日本なので、女性の体のラインが出るだけで大興奮(?)だったのも頷けます(^ ^)

 

隼也が起こす行動とは?

[blogcard url=” https://dorama-netabare.com/archives/29976″]

さて、ここから思いっきりネタバレとなりますのでご注意ください!

なんと隼也はー

北村笑店を辞めてしまいます!

けんかして飛び出したわけではありません。

ここに出てくるのが「マーチンショー」です。

鈴木雅之さんのディナーショーではありません(笑)

[blogcard url=”https://dorama-netabare.com/archives/30492″]

この「マーチンショー」が「マーカスショウ」であり、アメリカ遊学の経験がある隼也はこのレビュー団を呼びたいと提案。

ということは、隼也のモデルはせいの息子、吉本穎右(よしもとえいすけ)とせいの弟、林弘高が合体した感じ?なのでしょうかね。

ですがてん(葵わかな)と風太(濱田岳)から相手にもされず、唯一興味を示してくれたのが伊能栞(高橋一生)。

 

隼也が伊能のもとで修行したい!と言い、風太の後押しもあり弟子入りすることになります。

伊能栞、ここにきて大活躍ですね( ´ ▽ ` )ノ

藤吉(松坂桃李)亡き後はてんの良き相談相手となり、常に支えてくれています♪

さて、ボンが猛プッシュする「マーチンショー」は呼ぶことができるのでしょうか?

 

マーチンショー今後は?マーカスショーから吉本ショーの誕生【ネタバレあり閲覧注意】

 

 

史実での「マーカスショウ」は大成功を収め、翌年には浅草の花月劇場で「吉本ショウ」を始めます。

このショウは、漫才の時間を短縮し合間にダンスや歌などを挟め、公演全体にテーマをもたせたもの。

テンポのいいショウは観客の心をつかみ、花月劇場の名物になりました。

このショウでいろいろなスターたちが誕生しました。

歌い手のミス花月、町田金嶺、川田義雄、中居鈴与など、ダンサーとしては西条君江、棚木みさを、桜文子などです。

のちにはギャグを音楽で表現する「あきれたぼういず」といったスターも誕生しました。

この成功は吉本せいの弟で吉本興業東京支社長の林弘高の功績によるものです。

その後東京支社は「吉本株式会社」として1946年に分離し、関東での興行を行うようになります。

そして1963年兄の正之助が病に倒れ、代わりに吉本興業の社長に就任しますが、1970年病気になり社長を退くことになりました。

さて、ドラマはというと・・・。

ここからネタバレです!

実は隼也はだまされてお金を奪われてしまいます!

最初にきた話は「マーチンショー」の代理人という人物で、通訳として一緒に来たのが加納つばき(水上京香)。

[blogcard url=”https://dorama-netabare.com/archives/30132″]

隼也が恋に落ちるお相手です♪

ところがこの代理人は偽物で、伊能栞に反対されたにもかかわらず隼也は勝手に契約し、大金を騙し取られることに・・・(T . T)

ですが本物の「マーチンショー」が日本で公演したがっていることを知った伊能栞はてんに相談。

風太が企画書を書くように隼也に命じ、つばきの協力を得て書き上げた企画書を見たてんと風太はショーの提案を受け入れ、東京で開催することになります。

「マーチンショー」は連日の大入りとなり、これは史実と一致しています。

東京で開催するというのも一致していますね。

だとすると隼也やっぱりモデルはせいの弟弘高?

ということは、これから隼也は東京支社を任されることになるのかもしれませんね。

この「マーチンショー」がどのようなものなのかは今のところわかりませんが、レビュー団という扱いなので、それほど違いはないと予想しています。

もしかしたらドラマで「金色の女」が見れちゃうかもしれませんね♪

 

まとめ

[blogcard url=”https://dorama-netabare.com/archives/30730″]

この「レビュー」は1913年に小林一三が作った宝塚少女歌劇団が演じたものが、日本で初めてだそうです。

伊能栞さんもレビュー団、作っちゃうんですかね?

その後浅草でも多くのレビュー団が誕生しましたが、戦中は規制を受けたりし、戦後衰退していきます。

ですが、宝塚や大阪松竹といった歌劇団は今でもレビューと銘打った公演を続けています。

ドラマの中でこのショーが見れるといいな!って思っています。

 

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