福来スズ子のモデルは笠置シヅ子!夫との壮絶な結末や女優への転身も

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朝ドラ「ブギウギ」ヒロインの福来スズ子(ふくらい・すずこ)は本人ではなく実在モデルがいます!福来スズ子のモデルは昭和のスター歌手・笠置シヅ子さん。笠置シヅ子さんの夫との壮絶な結末や子供(娘)、女優への転身など生涯についてまとめました!

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目次

福来スズ子のモデルは本人でなく笠置シヅ子!朝ドラ「ブギウギ」のヒロイン!

ブギウギ村西医院と医者のモデルは櫻井産婦人科の櫻井医師

福来スズ子(すずこ)とは?

朝ドラ「ブギウギ」は2023年10月2日からスタートする、第109作目となるNHK連続テレビ小説。

上のインスタの画像がメインビジュアルですが、何度も撮影したなかから選ばれています。

それにしても主演の趣里さん、体が柔らかい!バレエをやっていかたらですね♪

朝ドラ「ブギウギ」の主人公は、歌で日本中をワクワクさせた歌手の福来スズ子です。

趣里さんが演じる、ヒロインの花田鈴子(はなだすずこ)は、のちに歌手となり「福来スズ子」という芸名になります。

ヒロインが花田鈴子なのに、「福来スズ子」って何者?と思った人もいるかと思いますが、ヒロイン本人が後に歌手になった時の、芸名なんですね。

大阪の下町の銭湯の看板娘として育つ。小さなころから歌って踊るのが大好きで、道頓堀にある梅丸少女歌劇団(USK)に入団する。やがて、歌の才能を発揮し始めた鈴子は、歌手の道を歩み始め、戦後のスターとなっていく。

引用元:https://www.nhk.jp/p/boogie/ts/NLPYVZYM29/blog/bl/pR0ezpdeYg/bp/pZapngopBN/

福来スズ子の実在モデルは本人でなく笠置シヅ子

戦後のスターとなっていくことがわかっている福来スズ子ですが、「東京ブギウギ」などで知られる、スター歌手・笠置シヅ子さんをモデルにしています。

以下が笠置シヅ子さんの写真・画像です。

笠置シヅ子さんも芸名ですね。

そして「ブギウギ」は原作はなく脚本家、足立紳さんと櫻井剛さんによるオリジナル。

キャストが超豪華なことも話題になっていますね(≧∇≦)

ヒロイン趣里さん演じる鈴子の両親役に、柳葉敏郎さんと水川あさみさん。

福来スズ子と関りを持つ人物に草彅剛さん、蒼井優さん、菊地凛子さんなどがご出演!

そして福来スズ子が深く愛した男性役を、水上恒司さんがえんじます!

今から75年前、戦後の世の中に、人々を楽しませ、励まし、生きる活力を与えた歌手・福来スズ子(趣里)。歌で日本中をズキズキワクワクさせた、笑いと涙の物語が始まります(≧∇≦)

そんな福来スズ子のモデル・笠置シヅ子さんの生涯は、実は壮絶な苦労続きの連続でした。

以降で、笠置シヅ子さんの生涯についてご紹介していきます。

笠置シヅ子の芸名が何度も変わった理由とは?

「福来スズ子」のモデル「笠置シヅ子」も芸名なのですが、「笠置シヅ子」になるまで何度も芸名が変更されています。

「笠置シヅ子」さんは後にも詳しくご紹介しますが、小学校を卒業後、関西にあった「松竹楽劇部」という女性出演者が歌や踊りでミュージカルのようなショーを披露する歌劇団に入団します。

「松竹楽劇部」は現在の「OSK日本歌劇団 」です。ドラマでは「松竹楽劇部」は梅丸少女歌劇団【USK】として描かれていますね。

「松竹楽劇部」に入団した笠置シヅ子さんは、「三笠静子」の名前でデビューを飾り、トップスター十選に選ばれるほどの人気になります。

ところが、昭和10年に大正天皇の第四皇子・澄宮崇仁親王が成人して、三笠宮となったことを受け「三笠」の名前を名乗るのは、恐れ多いとしてシヅ子さんの名前を「笠置シヅ子」と改名したんです。

「三笠静子」→「笠置シヅ子」

ドラマでは梅丸少女歌劇団【USK】に入ってデビューが決まった後に芸名「福来スズ子(ふくらい・すずこ)」としてデビューを飾りますが、その後、史実と同じように、芸名が変わるのかどうか、わかっていません。

笠置シヅ子はジャズ歌手に!ブギの女王としてトップスターに?

笠置シヅ子の死因と最後とは?病気病名についても

福来スズ子のモデルは、ブギの女王として戦後の日本を明るくした笠置シヅ子さん!

元気いっぱいでパワフルに踊って歌い、戦後の日本を明るくしてくれた歌手です♪

しかしその陰では壮絶すぎる数々の出来事が笠置シヅ子さんを襲っていました。以降でご紹介していきます。

実の子供でなく養女だった!実家の銭湯で歌や踊りを披露

笠置シヅ子さんは1914年、現在の香川県東かがわ市で生まれました。

香川県の東端に位置した、海に面したのどかな地域です。

笠置シヅ子さんの本名は亀井静子。

実は、生まれて間もなく父親が亡くなり、お産のため大阪から帰省していた、亀井うめさんが笠置シヅ子さんを引き取り、大阪で育てました。

なんと、育ての親は実の親ではなく養女だった笠置シヅ子さん。

しかし実の子と分け隔てなく大事に育てられ、その出生の秘密を知ったのは、笠置シヅ子さんが18歳くらいの時だったんです。

母親のうめさんも父親の音吉さんも、芸事が大好き♪そのため笠置シヅ子さんも歌や踊りが大好きな少女に育ちます。

5歳から日本舞踊や三味線などを習っていたそうです。

そのころ亀井家では銭湯を経営していて、笠置シヅ子さんは脱衣所でよく歌や踊りを披露し、上手だと近所でも有名に♪

うめさんからの大きな愛情を受け、笠置シヅ子さんは養女であることを知らずに大きくなりました。

宝塚を不合格!?しかし松竹楽劇部生徒養成所に入所し歌手デビュー!

小学校を卒業し、宝塚音楽歌劇学校を受験しましたが、小柄だったため身長が足りなくて不合格になってしまいます。

その後宝塚に対抗してつくられた、松竹楽劇部のことを知り、募集もしていないのに(;^^)笠置シヅ子さんは事務所に押しかけ、自分を猛アピール(笑)

根負けした(;^^)音楽部長が入部を許可してくれました。

先ほどもご紹介しましたが、三笠静子の名前でデビューし、1934年にはトップスター10選に選ばれます(≧∇≦)

笠置シヅ子さんは小柄でしたが、ものすごい努力家だったといいます。

1934年には「恋のステップ」で歌手デビュー♪1935年に三笠静子から「笠置シズ子」へと改名しました。

服部良一と出会い「ラッパと娘」でジャズ歌手に!

笠置シズ子さんが24歳のころ。東京側の松竹からオファーを受け、新しく帝国劇場で旗揚げする「松竹楽劇団」に入ります。

松竹楽劇団の副指揮者は服部良一さん!のちに笠置シズ子さんとのタッグで、大ヒットを連発することになる人物です。

以下が服部良一さんの画像・写真です♪

大阪で一番人気のステージ歌手、笠置シズ子さんに初めて会った服部良一さんは、ちょっと驚いたそうです。

素晴らしいプリマドンナを想像していたのですが、現れたのは髪を無造作に束ね、目をしょぼつかせた貧相な(;^^)女の子だったから・・・だとのちに語っておられます(笑)

しかもコッテコテの大阪弁!大阪のみなさん!悪気はないので気を悪くなさらないでくださいm(__)m

ステージに立った笠置シズ子さんを見た時、服部良一さんはさらに驚きます。

楽屋であったときとは別人!オーケストラの演奏にピッタリ合わせ、激しく歌い踊る姿は、少女歌劇団出身の女の子たちとは別格な存在でした。

服部良一さんは、笠置シズ子さんのトレードマークでもある、長いつけまつげのファンになったそうです。

服部良一さんは、笠置シズ子さんの体や声に合った楽曲を作り、笠置シズ子さんを厳しく指導しました。

そして「ラッパと娘」を歌った笠置シヅ子さん。ジャズ歌手として売り出され、大成功するのでした。

「ラッパと娘」といえば、ドラマの中でも羽鳥善一が作曲してスズ子が必死に「♪楽しいお方も 悲しいお方も〜 」と練習を重ねていましたね!

1939年「ラッパと娘」が発売された年、最愛の養母、うめさんが病死します。

笠置シズ子さんはそのときに立っていた、舞台の代役が見つからず、死に目に会えませんでした (T_T)

それほどまでのプロ意識をお持ちだったのです。

笠置シヅ子の夫・吉本穎右との運命の出会いと悲劇の結末とは?

戦争激化で地獄の日々

ここまでは、母親の悲しい死があったものの、幼いころから、やさしい家族に恵まれ、努力を重ねて歌手デビューして活躍という、幸せな人生を送っていたように見えた笠置シズ子さん。

しかし戦争が激しくなり、その人生は大きく変わっていきます。

戦争が激化していき、軍は芸能などの娯楽へ取り締まりを始めます。

松竹楽劇団も開催規模を縮小され、笠置シズ子さんご本人も「敵性歌手」としてマークされ、警視庁から度々呼び出され、たびたび注意を受けるようになります。

音楽そのものだけでなく、陽気な歌い方が禁じられ、マイクの前で直立不動で歌うように命じられたそうです。

これは、笠置シズ子さんにとって本当に辛いことでした。

ついに松竹楽劇団は解散に追い込まれます。軍部から嫌われていた笠置シズ子さんには軍隊慰問興行の声もかからず、中国本土などが外地に行くことはなかったものの、国内での仕事は減っていきました。

笠置シズ子さんは服部良一さんの援助により「笠置シズ子とその楽団」を結成。

軍需工場などへ慰問するようになります。しかし持ち歌であるジャズ系の音楽は当然のごとく披露できませんでした。

笠置シズ子さんは、のちのインタビューで「20年11月までの戦争中の5年間のブランクは自分の地獄だった」と語っています。

夫と出会い大恋愛!

そんな笠置シズ子さんが「地獄だった」と語っていた戦争中の30歳のころ、大恋愛をします。

お相手は吉本興業の御曹司、吉本穎右さんです。出会いは昭和18年。

9歳笠置シズ子さんの方が年上でしたが、吉本穎右さんが笠置シズ子さんのファンで、知人を通じてふたりは知り合いました。

「ブギウギ」では吉本穎右のモデル・村山愛助役として登場。水上恒司さんが演じることがわかっています。

1945年、東京大空襲で家がなくなったことをきかっけに、2人は知人の家で一緒に暮らし始めます。その際の苦労がさらにお互いの愛情を確かめ合ったとのことです。

ところが頴右さんの母親、吉本興業の吉本せいさんが大反対します。

母親のせいさんは、朝ドラ「わろてんか」のヒロインのモデルで、ブギウギでは、小雪さんが演じることが話題に!

妊娠そして結婚にまつわる壮絶な顛末!

そして終戦の直前、頴右さんは早稲田大学を中退。

もともと体が弱かった吉本穎右さんは、芸能の仕事に専念したかったからだと言われています。

体が弱い頴右さんのことを考え、頴右さんの体に何かがあったら、実家に申し訳がたたないと、実家の大阪に帰るように勧めたシズ子さん。しかし多忙だった頴右さんはなかなか帰れませんでした。

そして頴右さんがやっと大阪に帰ることが決まった直後・・・1946年にシズ子さんは吉本頴右さんとの子どもが妊娠したことがわかります。

結婚を反対していた母親のせいさんは妊娠をきかっけに態度は軟化したそうです。

そして結婚の話が進み、出産も間近に迫っていたその時・・・なんと結核により亡くなってしまうんです。

やっと結婚し、2人の子供が生まれる寸前のことでした。

吉本穎右さんが亡くなったのは、娘が誕生する10日前だったそうです。

2人は形的には夫婦のような関係でしたが、実際は入籍しておらず、法律的には夫婦になれないままでした。

夫の死後・東京ブギウギで大ヒット!

娘、エイ子さんを育てるため、笠置シズ子さんは服部良一さんに、カムバックにふさわしい楽曲を依頼します。

そして「東京ブギウギ」完成♪大ヒットします(≧∇≦)

笠置シズ子さんのパワフルで明るい歌声、素晴らしいです(≧∇≦)

この曲は、笠置シヅ子さんご本人だけでなく、戦後の暗い日本も明るく元気づけました。

こうして笠置シヅ子&服部良一コンビは、次々と「大阪ブギ」「買物ブギー」などのブギものをヒットさせ、笠置シズ子さんは「ブギの女王」としてトップスターに君臨します。

日本中がブギであふれかえりました♪

海外公演にも行くようになり、さらに多忙となった笠置シヅ子さん。

乳飲み子を抱えながら、奮闘する母親として、多くの女性たちから支持されるようになります。

さらに喜劇王、エノケンの舞台にも出演し、喜劇女優としての顔も持つように。

黒澤明監督の「酔いどれ天使」にも出演し、強烈なインパクトを残すなど、多くの著名人たちからも愛されました。

ですがテレビが登場し、美空ひばりさんや江利チエミさんなど、若手が人気を上げるようになり、ブギの人気が落ちていきます。

エノケンとの共演で喜劇女優へ!引退後は女優に転身!

棚橋健二(タナケン)モデルはエノケン!笠置シヅ子を喜劇女優の道へ!【ブギウギ】

エノケンとの出会いで喜劇女優へ

そんな歌手としてトップスターとなった笠置シヅ子さんが喜劇女優としても人気になった史実をご紹介です。

ドラマでは「タナケン」こと棚橋健二と共演することになった福来スズ子。このタナケンのモデルがエノケンこと榎本健一さんです。

エノケンは、昭和を代表する喜劇王!

このエノケンが、笠置シヅ子さんの女優としての才能を引き出したんです。

エノケンとシヅ子さんの初共演の舞台は「舞台は廻る」。ドラマでは「舞台よ!踊れ!」と言う名前に(^^;

舞台の音楽担当は羽鳥良一のモデルとなった服部良一さん。服部さんが舞台のために書き下ろした「コペカチータ」を笠置シヅ子さんとエノケンが一緒に歌いました。

おそらく「コペカチータ」はドラマでも聞けると思います

共演した舞台の稽古場でエノケンはシヅ子さんに「君は役者ではないから、芝居のツボが外れている」と言ったそうです。

これは、悪口や嫌味ではなく、続けて「それが面白いから、改めなくていい、ツボをはずしても受け止めるから、はずしたまま、突っ込んで来い」と言ったそうです。

この言葉があったからこそ、シヅ子さんにとっても大物俳優だったエノケンに萎縮せずに、シヅ子さんらしく全力を出せたのでは?といわれています。

エノケンがシヅ子さんに喜劇女優としての道を示したのでした。

歌手引退後は女優に転身!

以降、女優として映像の世界でも活躍を始めたシス子さん。そんなシヅ子さんの女優としての素地はエノケンとの舞台共演で作られたものだと言われています。

歌手としてメインで活躍していた笠置シヅ子さんですが、昭和32年(1957年)にシヅ子さんが歌手を引退すると、女優業に専念すると宣言。

映画やドラマなどの活動をメインしていき「お母さん役」「気のいいおばさん役」という役柄がはまっていったそうです。

そしてお茶の間でも受け入れられ、女優としてまた、審査員、コメンテーターとして活躍することになるのでした。

笠置シヅ子の娘の衝撃事件とは!?

娘の衝撃事件

東京ブギウギで華やかなカンバックをして、成功をおさめたシヅ子さん。

大スターとなった笠置シヅ子さんですが、最愛の吉本穎右さんとの娘さんはすくすくと成長。

しかし・・・戦後まもなく、またしても最愛の人を亡くすかもしれない!?という事件が起こります。

それはなんと娘・亀井エイ子さんの誘拐未遂事件です。

昭和29年に脅迫状が届きました。内容は「天神橋下に6万円を置け。さもないと1人娘を殺す」という内容でした。

当時、サラリーマンの1か月のお給料は約1万円だったので、それほど高額ではないものの、娘が対象ということで怖くなった笠置シヅ子さんはすぐに警察に連絡。

その後、犯人から9回も連絡があり、警察はその声をテープレコーダーに録音。

その後、シヅ子さんのマネージャーが犯人の指定した場所でお金を渡すタイミングで刑事たちが無事に犯人を逮捕しました。

娘には幸い被害はなかったものの、恐ろしい想いをした笠置シヅ子さん。

犯人は30歳の無職の男で、結婚を考えていたが失業。金が必要になり犯行に及んだそうです。

当時、芸能人や富裕層を狙った身代金目的の脅迫・誘拐事件が多くなってきていた時期でした。

笠置シヅ子が女優に転向!なぜ??

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笠置シヅ子さんは43歳のとき、歌手廃業をして女優に専念すると宣言します。

自分が最も輝いていた時代を、そのままに残したい。自分の手でそれを汚したくない

という意思からでした。

当時のように、激しい踊りもできなくなったのです。

娘のエイ子さんは、歌手廃業以来、鼻歌すらも聞いたことがないと語っておられました。

笠置シヅ子さんは自ら売り込みに行き、ギャラも下げるように頼んでまわったそうです。

芸名も「笠置シズ子」から「笠置シヅ子」へと変え、お母さん女優としての地位を築いていきます。

女優以外でも活躍されています。

当時の人気番組「家族そろって歌合戦」では、落選した家族に優しい言葉をかける審査員として、長年ご出演されました。

また「カネヨンのCMのおばさん」としても定着します。

そんな笠置シヅ子さんを病魔が襲います。1972年に乳がんが見つかりましたが、このときは手術で無事回復しています。

1981年には何度も舞台に立った、日劇の閉館記念公演に、李香蘭こと山口叔子さんや長谷川一夫さんらとともに舞台に立ちました。

だんだん体調を崩すことが増えてきて、1985年に卵巣がんが見つかります。

娘のエイ子さんだけに知らせ、エイ子さんに看取られ1985年3月30日、70歳でその生涯を閉じました。

芸能界一筋で生き抜き、たった一人の男性を生涯をかけて愛し、娘を必死で育て上げた笠置シヅ子さん。

まさに努力の人でしたね。庶民だけでなく、周りの人たちからも愛されたた生涯。

亡くなる前、病床でドラマを見ていて、自分の役を演じている研ナオコさんを見ながら「あの時代は楽しかったね」と語ったそうです。

朝ドラ「ブギウギ」を見て、笠置シヅ子さんは何を思うのでしょうか。

「わて、ほんまによう言わんわ」と豪快に笑うかもしれませんね。

まとめ

僕たちがやりましたで先生役の水川あさみって結婚してるの?出演ドラマも

福来スズ子は、新しく始まる朝ドラ「ブギウギ」のヒロインが、歌手になってからの芸名です。

福来スズ子のモデルは、ブギの女王として、トップスターに君臨していた笠置シヅ子さん。

「ブギウギ」でのヒロインは花田鈴子として登場。大きくなった鈴子を趣里さんが演じます。

波乱万丈な生涯を送り、どんなときも精一杯努力を惜しまなかった笠置シヅ子さん。

そんな笠置シヅ子さんをモデルにした「ブギウギ」は、明るく元気になれそうな朝ドラです!

趣里さんが演じる福来スズ子から、みなさんもパワーをもらってください!

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