治郎丸和一【白壁】のモデルは笠置シヅ子の祖父?【ブギウギ】

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女優の趣里(しゅり)さん主演のNHK連続テレビ小説・朝ドラ「ブギウギ(ぶぎうぎ)」が2023年10月からスタートしました。

大正時代終わりの大阪・東京を舞台に、歌って踊る歌手を目指すヒロインの花田鈴子(はなだ・すずこ)が、戦後の日本を明るく照らすスターの道へ駆け上がっていく姿を描いた物語。

鈴子は歌劇団に入り、福来スズ子(ふくらい・すずこ)としてデビュー!そんなヒロインのモデルは実在の昭和のスター歌手・笠置シヅ子(かさぎ・しづこ)さんです。

ヒロイン鈴子が香川に行くことになりそこで白壁(しろかべ)さんこと大地主の治郎丸家に行くことになります。

白壁さんこと治郎丸家のおじいさんは石倉三郎(いしくらさぶろう)さん演じる治郎丸和一(じろうまる かずいち)。

白壁こと治郎丸家・そして治郎丸和一は鈴子と大きな関係を持つんです。そして・・・治郎丸家また治郎丸和一には実在モデルがいます。!

今回は朝ドラ「ブギウギ」に登場する白壁の治郎丸家、そして治郎丸和一のモデルについてご紹介していきます。

治郎丸家のモデルは三谷家・そして治郎丸和一のモデルは三谷陳平さんという方だと思われるのですが、笠置シズ子さんとはいったいどういう関係???

白壁こと治郎丸家・そして治郎丸和一に関する今後のネタバレと、史実をご紹介するので知りたくない人は閲覧注意です。

目次

治郎丸和一【白壁】は鈴子の祖父で実在モデルがいる??【ブギウギ】

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朝ドラ「ブギウギ」ヒロインは花田鈴子(趣里)。父親は梅吉(柳葉敏郎)で、母親はツヤ(水川あさみ)です。

そして弟の六郎( 黒崎煌代)の4人家族。両親で銭湯「はな湯」を経営しています。

以前銭湯の常連客、アホのおっちゃん(岡部たかし)が、六郎に「スズ子と六郎は本当の姉弟じゃない」と言ったことがありました。

とはいえ、「六郎はカッパの子で、スズ子はクジラの子」だという、まったくの冗談。

ですがかなり六郎は気にしていました。

実はふたりは血が繋がっていません!スズ子にとってツヤと梅吉は、本当の両親ではないのです。

そのことと、治郎丸家と治郎丸和一は大きなかかわりがあります!

以降で詳しくネタバレをご紹介していきます。

治郎丸和一【白壁】は鈴子の祖父

1934年。ツヤのもとに、ツヤの実家がある香川に住む、妹のタカ(西村亜矢子)から手紙が届きます。

ツヤの実家は手袋工場で、得意先である、大きな白壁の家の「白壁」と呼ばれる地主の治郎丸家の法事に、スズ子を出席させてほしいという内容。

治郎丸家のおじいちゃん、治郎丸和一(石倉三郎)が大の梅丸ファンで、スズ子に会いたがっているというのです

その手紙に戸惑いを隠せないツヤと梅吉。

休暇に入ったスズ子はツヤの促され、白壁こと治郎丸家の法事に出るために、香川に向かうことになりました。

それに六郎も同行することに。六郎はスズ子と本当の姉弟なのか、確かめたかったのです。

ツヤの実家に着いたスズ子と六郎。ふたりは祖母のトシ(三林京子)、叔母のタカ、梅吉の弟、松吉らから歓迎されました。

そこでふたりは、梅吉がもともと役者志望で、ツヤは自分から梅吉に着いて行った、と聞かされ驚きを隠せません。

翌日スズ子と六郎たちは、治郎丸家の法事に向かいました。

治郎丸家では、和一の息子、治郎丸菊三郎の法事が行われています。

スズ子は治郎丸和一の自分に対する態度が、おかしいことに気付きます。

トシたちは必至でごまかそうとしますが、スズ子はタカを問い詰めました。

隠しきれなくなったタカは、スズ子が亡くなった治郎丸菊三郎と、女中のキヌ(中越典子)の娘なのだと教えます。

本当のことをスズ子が知ってしまうことを、大阪でツヤと梅吉は心配していましたが、その心配が当たってしまいます(>_<)

ということで、白壁こと治郎丸家はスズ子の親戚、そして治郎丸和一は鈴子の父親の父親・祖父であることがわかったのでした。

そんな鈴子のモデルは実在のスター歌手・笠置シヅ子さん。ということで、治郎丸家と治郎丸和一のモデルは実在する!?ということで以降で実話のストーリーをご紹介します。

治郎丸和一【白壁】のモデルは笠置シヅ子の祖父でおじいちゃん!

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ブギウギ治郎丸和一【白壁】のモデルは笠置シヅ子の祖父でおじいちゃん!

白壁と言われる香川県の治郎丸家のモデルは、香川県の三谷家だと思われます!

笠置シヅ子さんは1914年、香川県大川郡相生村(現:東かがわ市)で生まれました。

香川県の東側に位置し、温暖な気候で漁業や製薬など、伝統的な産業がおこなわれています。

実の父親の名前は三谷陳平さん。母親の名前は谷口鳴尾さんです。

そして治郎丸和一【白壁】のモデルは三谷陳平さんのお父さん、笠置シヅ子さんにとっては、おじいちゃんだと思われます。

生家は夏ミカンの生垣に囲まれた、こじんまりとした家だったそうです。

母親の鳴尾さんは、夫の三谷陳平さんの実家で同居していて、陳平さんの母親から和裁を習っていました。

鳴尾さんは三谷家で、家事見習いをしていたそうです。ドラマ「ブギウギ」は女中という設定になっています。

ですが陳平さんの家族から結婚を反対され、実家に戻されてしまいました。

治郎丸家【白壁】の長男・菊三郎のモデル・三谷陳平が病死

笠置シヅ子さんの自伝によると、笠置シヅ子さんがこのとき産まれていたのかは、わからなかったそうです。

陳平さんは、笠置シヅ子さんが生まれてすぐの翌年に、25歳で病死しています。

笠置シヅ子さんも、娘が生まれる直前、夫を亡くています。このような運命なのでしょうか・・・。

ということで、治郎丸家【白壁】で行われるのは、息子の菊三郎さんの法事ですが、菊三郎さんのモデルが三谷陳平さんだと思われます。

実家ではありましたが、鳴尾さんはひとりで娘を育てていくことになりました。このとき鳴尾さんはまだ18~9歳のころ。

そんなとき、偶然出産のために帰省していたのが、大阪に住む亀井うめさん。

うめさんの実家は、手袋やメリヤス工場を営む裕福な家です。

心労のせいなのか、お乳の出が悪かった鳴尾さん。次男を産んだばかりのうめさんが、かわりに笠置シヅ子さんにお乳をあげていました。

やがて鳴尾さんより、うめさんになつくようになった笠置シヅ子さん。

うめさんも情が移り、大阪に連れて帰ろうか、などと冗談を言っていたそうです。

笠置シヅ子が実母からうめに引き取られ大阪へ

その後の詳しいいきさつはわかりませんでしたが、笠置シヅ子さんは生まれて半年後に、うめさんに連れられ大阪で暮らし始めます。

うめさんはとても情に厚い人物で、困っている人を見捨てることができない性格。

朝ドラ「ブギウギ」でツヤがよく言う「義理人情」ですね。

「ブギウギ」と同じく、実母以上の愛情を注がれて、笠置シヅ子さんは大きくなりました。

笠置シヅ子さんご本人も、なぜ自分を養女にしたのか、本当のところはわからないと語っていたそうです。

きっと困っている鳴尾さんを見て、放っておけなかったのでしょうね。そして笠置シヅ子さんが、とても可愛らしかったのだと思います。

18歳で治郎丸家【白壁】のモデル三谷家に行き生い立ちを知る!

自分が養女だと知ったのは、笠置シヅ子さんが18歳のとき。

もともと笠置シヅ子さんは、父方の実家には出入りしていました。幼かったので、親戚の家くらいに思っていたのでしょう。

笠置シヅ子さんの父方の祖父が、その後の笠置シヅ子さんの成長を気にしていたそうです。

朝ドラ「ブギウギ」治郎丸和一(石倉三郎)が、この祖父ですね。

笠置シヅ子さんが18歳のとき、気管を悪くしてしまい、四国の療養地に、うめさんと弟の3人で訪れます。

それを知ったうめさんの実家から、実家に戻れと伝達が来ます。

うめさんが実家に行くと、陳平さんの17回忌があるので、笠置シヅ子さんにも出席してほしいと言われます。

うめさんは断りますが、急遽大阪に戻ることになり、笠置シヅ子さんは親戚の誰かの法事、くらいに考えて法事に向かいました。

笠置シヅ子さんは少女歌劇団にいたので、歌と踊りを披露。

それを見た周りの親戚たちが、酔いもあり意味深なことを言い出します。

「きっと仏も喜んでいるだろう」
「早く引き取っていれば」

そして自分の本当の父親は、三谷家の長男だった、三谷陳平という人物であることもわかりました。

法事から戻った笠置シヅ子さんは、叔母にそのことを話し、問い詰めました。

最初は頑なに話さなかった叔母ですが、うめには絶対に内緒、という条件で、笠置シヅ子さんには、実母がいることを教えます。

実母との対面

それを聞いた笠置シヅ子さんは、実母の家を見つけ、軒先で立っていました。

そこに実母が現れ、「今日あたり来ると思ってた」と言い、家の中に案内します。

家には6歳くらいの男の子がいました。

実母と向き合った笠置シヅ子さん。実母はお守をしたといいますが、実母だとは名乗りません。

家を飛び出して笠置シヅ子さんは泣いていました。

そこに実母がやってきて、金無垢の置時計を笠置シヅ子さんに渡します。

「あなたのことを良く知っている、わたしが命より大事にしていた方が、臨終前に形見として残してくれたもの」

そう言って実母は家に戻っていきました。

それ以降、実母とは一切会うことがなかったそうです。実母に会ったことは、うめさんにも話すことはなかったそうです。

南原繁

笠置シヅ子さんが30代後半のころ。

実父の友人だったという、戦後初の東大総長、南原繁さんから、実父のことや、実母との交際のことを知ることになります。

ある日、笠置シヅ子さんの生い立ちについて、直接会って話したい、と連絡が来ました。

お互い多忙だったため、実現できたのは電話から1年後のこと。

迎えに来てくれた車で、大学に向かった笠置シヅ子さん。南原繫さんは、娘に語り掛けるような優しいまなざしで、話してくれたそうです。

三谷陳平さんは、南原繁さんの家からさほど遠くないところにある、地主の家の一人息子でした。

年は南原繫さんよりひとつ下で、小学校は同じ。中学も同じで、よく一緒に遊んだそうです。

中学校卒業後、陳平さんは電信学校に入学し、その後郵便局に就職。25歳で病死したことなどを語ってくれました。

そして笠置シヅ子さんの実母である、谷口鳴尾さんは、裁縫が上手で近所の娘たちに教えるほどの腕前。

鳴尾さんは由緒ある家の出身で、女中ではなかったことも教えてくれました。

ふたりはとても真面目な性格で、いい加減な気持ちで笠置シヅ子さんを産んだのではないと伝えます。

南原繁さんは、その後笠置シヅ子さんの後援会長になり、ずっと笠置シヅ子さん親子を見守り続けたといいます。

治郎丸家【白壁】で生い立ちを知るネタバレとは?

羽鳥善一【はとりぜんいち】のモデルは服部良一!笠置シズ子との関係とは?

スズ子の本当の母親、キヌは藤村の農家に嫁いでいたのですが、菊三郎の法事には毎回出ていました。

タカは「さっき仏間を覗いていた女性がキヌだ」とスズ子に教えますが、スズ子は「なんも知らん!」と動揺を隠せません。

気になってしかたがないスズ子は、その日の夜にキヌの家を訪れ、事実を尋ねました。

当時、女中だったキヌは菊三郎との子どもを妊娠し、治郎丸家から追い出されてしまいます。

実家からも見放され、途方に暮れていたキヌを助けたのが、キヌの友人だったツヤです。

ツヤはそのときちょうど、息子の武一を連れて、香川の実家に帰省していました。

キヌはツヤの家でスズ子を出産し、ツヤが大阪で自分の子として育てることになったのです。

ツヤはキヌに、毎年帰省すると約束していました。自分で育てられると思ったら、スズ子は返すという約束をします。

毎年帰省していたのですが、やがてツヤは帰省しなくなったのです。

ツヤは話した後、スズ子を驚かせ傷つけたことを謝りました。

何も言えずに出て行くスズ子。呆然としながら、フラフラと大西家に戻ります。

大西家では、六郎やタカ、トシたちが心配して待っていました。

トシはスズ子にこう語りかけます。

「ツヤはスズ子の心も体も、自分のものにしたくなったんだろう。どこにもやりたくなくなったんだ」

スズ子はツヤを思い出します。

大阪に帰る帰途、スズ子は六郎と、このことはふたりだけの秘密にしようと約束しました。

以上が、治郎丸和一とスズ子のネタバレでした!

公式サイトの人物紹介によると、キヌは和一からあまりよく思われていないとのこと。

それでも毎回法事に出ているのは、きっと菊三郎のことを愛していたのでしょうね。

治郎丸和一【白壁】のモデルは笠置シヅ子の実父の父親!まとめ

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「白壁さん」こと治郎丸和一が朝ドラ「ブギウギ」に登場します!モデルは、笠置シヅ子さんの祖父にあたる人物で、実父である三谷陳平さんの父親です。

三谷陳平さんは、笠置シヅ子さんが生まれた翌年に病死。結婚を反対され、母親の谷口鳴尾さんは実家に戻り、そこで笠置シヅ子さんを出産しました。

ですが母乳の出が悪く、たまたま大阪から出産で戻っていた、亀井うめさんからお乳をもらうようになり、そのままうめさんが大阪で育てることになりました。

三谷家は裕福な家で、陳平さんは一人息子だったといいます。

笠置シヅ子さんは、たびたび香川を訪れ、養父母の親戚や実父母の実家とも、交流を続けていたそうです。

そんな笠置シヅ子さんの父方の祖父をモデルにした、治郎丸和一は石倉三郎さんが演じます!

自分の出生の秘密を知ることになるスズ子!切ないシーンになりそうですね。趣里さんの演技にご期待ください!

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