まんぷく食品モデルは日清食品!安藤百福の実話で実在の会社

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萬平さんのラーメン開発も華僑に入り、チキンラーメンのモデルとなった「まんぷくラーメン」がいよいよ完成する朝ドラ「まんぷく」。

ラーメンが完成しても、成功までの道のりは簡単ではないようです。

そんな中「まんぷくラーメン」の発売をきっかけに「まんぷく食品」と言う会社が立ち上げられます。

この「まんぷく食堂」ですがモデルはあるのでしょうか?そう「まんぷく食堂」のモデルはご存知「日清食品」なんです!!

今回はNHK朝ドラ「まんぷく」の萬平さんのモデルになった安藤百福さん創業の日清食品の実話の物語を「チキンラーメン」の誕生とともにご紹介していきます。

 

 

目次

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思う通りに、「お湯をかけるだけで食べられるラーメン」が作れない萬平さんですが、福子が作っていた夕飯のおかずの天ぷらをヒントに、見事油で揚げることによる即席ラーメンを完成させます!!

そう、これが「チキンラーメン」をモデルにした「まんぷくラーメン」の完成です。

この後、「まんぷくラーメン」を商品化してヒットさせるために、更に苦労を重ねる訳ですが、「まんぷくラーメン」の商品化をひっかけに「まんぷく食品」なる会社が立ち上げられます。

この「まんぷく食品」のモデルになった会社は・・・そう「日清食品」です!!!

最近はこんなちょっと残念なニュースもありましたが、「まんぷく食品」のモデルになった「日清食品」誕生の実話をご紹介します!

 

チキンラーメンの販売とともに前身のサンシー殖産が誕生!

 

 

日清食品といえば、萬平さんが一生懸命開発している「まんぷくラーメン」のモデルになったチキンラーメンの会社ですね。

この今年60周年のチキンラーメンですが、ドラマの萬平さんと同じように、安藤百福さんも寝る時間を削り毎日ようにラーメン作りに没頭。

そして妻の仁子さんが天ぷらを作っていたことをヒントに油で揚げて作る麺を思いつき、試作を重ねてチキンラーメンが誕生します!

これは、朝ドラ「まんぷく」でほぼ実話に近いストーリーが展開しています。

このチキンラーメンを開発してすぐに資金が底をついていた安藤百福さん。

信用組合の破産がきっかけで資産を没収されていたからでした。

そんな百福さんは知人から100万円借りて、大阪市東淀川区(現・淀川区)に古い倉庫を借ります。

そこを田川倉庫としました。社名は休眠していた「サンシー殖産」の名前をそのまま引き継ぎました。

そう、日清食品前身は「サンシー殖産」だったのでした。

 

チキンラーメンのヒットにより日清食品が誕生!

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昭和33年の6月に百貨店で試作品を販売し、主婦たちに好評となったチキンラーメン。

消費者からの「欲しい!!」の声が次々に上がり、問屋さんから注文が殺到。

チキンラーメンは消費者の支持を受けたことから大ヒットの階段を駆け上ります。

そして昭和33年の8月には「チキンラーメン」が正規の販売商品となり昭和33年12月にサンシー殖産の名前を改めて「日清食品」が誕生しました。

新社名の由来は「日々清らかに豊かな味を作りたい」という百福さんの願いを込めて名づけたものでした。

その後、当時ダイエーの前身となる大手スーパーチェーンが誕生。チキンラーメンと卵を特売品として並べます。

また昭和28年にはNHKなどのテレビ局が開局していました。

安藤百福さんもこのCMに目を付けます。

テレビCMを採用して宣伝費用に月額2000万円を投じます。

このCM効果が絶大で、チキンラーメンの名前は全国に広がり、日清食品は創業から5年目にして売上が43億円に到達します。

そして昭和38年には、東京、大阪の両証券取引所の第二部に上場します。

その後、今度は「カップヌードル」を開発して大ヒット。1972年には日清食品は一部上場を果たします。

後に息子さんの宏基さんに社長の座を譲り、2005年には取締役を退任して「創業者会長」の職に専念することとなります。

 

まとめ

「まんぷく食品」のモデルになった「日清食品」の実話のストーリーいかがだったでしょうか?

チキンラーメンが無事に完成しても、百福さんは苦労の連続で日清食品が軌道にのるまでには、いろいろな問題が待ち受けていました。

これから「まんぷく」でも丁寧に描かれるので、是非是非安藤百福さんの実話を朝ドラで楽しんでみてください。

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