まんぷくラーメンのモデルはチキンラーメン!安藤百福の実話で実在

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休むことなく、ラーメン作りに没頭する萬平さんがいよいよ新しいラーメンを完成させます。

NHK朝ドラ「まんぷく」はいよいよモデルの安藤百福さんが成し遂げた偉業のパートへ。

そんな中、ドラマの中では「お湯をかけるだけで食べられるラーメン」がいよいよ完成します。その名も「まんぷくラーメン」。

この「まんぷくラーメン」実在するのでしょうか?「まんぷくラーメン」が「チキンラーメン」なんですね!!

今回は朝ドラ「まんぷく」で萬平さんが発明した「まんぷくラーメン」の実話の物語をご紹介します!

実在の「チキンラーメン」のストーリーです。是非是非ご覧ください!

 

 

目次

まんぷくラーメンが完成!これからの物語は?

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家族や親戚を巻き込んで行っていた萬平さんのラーメンの発明。

福ちゃんも協力して、天ぷらをヒントに油で揚げて乾燥させた後に、お湯で戻す即席ラーメンを完成させます!!!

萬平さんは発明に没頭しているだけですが、福ちゃんは家族で暮らしていくお金が底をつきますが、真一さんが融資してくれることになります。

そしてまんぷくラーメンの開発に感銘受けた真一は、萬平の仕事を手伝うことになります。

そしてラーメンの名前が「まんぷくラーメン」に決定!!

また絵の才能を開花した忠彦さん・・・萬平さんの「まんぷくラーメン」に大きく関わってきます!!

そしてもちろん、この人も萬平さんのこれからの成功に一役買います。

さてそんな「まんぷくラーメン」ですが、もちろん実在します!!

そしてドラマでの出来事は安藤百福さんの実話にかなり近い状態で描かれています。

以降で「まんぷくラーメン」のモデルの実話などご紹介していきます。

 

まんぷくラーメンのモデルはチキンラーメンで実話!

 

 

「まんぷくラーメン」のモデルはご存知日清食品の「チキンラーメン」です!!

チキンラーメンと言えば、ガッキーですよね♡

安藤百福さんもラーメン開発を苦労して行いました。

ラーメン開発にするにあたって決めた条件は以下の5つでした。

・おいしくて飽きない味

・保存性が高い

・調理が簡単

・値段が安い

・安全で衛生的

朝ドラ「まんぷく」の萬平さん同様、百福さんも妥協を許さない方で、苦難の連続でした。

研究は朝5時に始まり、深夜1時~2時まで毎日行われました。

苦労してめんとスープを完成させた後、長期保存が可能な麺にするたまに、乾燥させて、お湯を注いですぐ食べれるようにしなければなりませんでした。

この2つが百福さんにとって、大きな壁となります。

この問題を乗り越えるためのヒントは百福の妻の仁子さんが揚げていた天ぷらです。そう、この朝ドラ「まんぷく」のエピソードも実話なんですね。

天ぷらの原理を利用して麺を油で揚げることを思いつきます。

この麺を油で揚げる方法は「瞬間油熱乾燥法」と名付けられました。

 

チキンラーメンの開発は家族の協力が不可欠だった!

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苦労してチキンラーメンの完成まであと一歩であとは、試作品を作って最終チェック。

しかし安藤百福さんには大きく足りないものが。そう・・・お金です。安藤百福さんは信用組合の破産で資産を没収されて以来経済状態は厳しいものでした。

これも実話だったんですね。

そこでお金をなるべく使わない方法をとります!そう・・・人件費の削減。家族の協力を仰いだのでした。

妻の仁子さん、仁子さんの母親の須磨さん、そして子ども達に手伝ってもらい、ラーメンの試作をして、苦労して試作品が完成!

めんの梱包は、娘と息子が行ったそうです。

手伝いの過程で子ども達は火傷をしたこともあったそうです。

このように家族総出で1日に400食を作り上げ!まるで戦場のような状況だったそうです。

「遊びたい盛りの子ども達が嫌がりもせずによく手伝ってくれたものだ。」百福さんは、当時を振り返ってこのように言っていたそうです。

 

チキンラーメンが大ヒット!しかし値段が問屋に不評?

 

 

1958年昭和33年3月、世界初のインスタントラーメンである「チキンラーメン」がついに完成しました!

「チキンラーメン」の由来は安藤百福さんが家族に何かを頼む時に「チキンのスープを取ってくれ」というように「チキン」と言う単語を連呼していたからこの名前が生まれたそうです。

2018年現在のチキンラーメンはお湯をかけて3分煮込んで1分で調理できますが、当時の試作品はお湯をかけて2分で食べることができました。

百福さんはチキンラーメンの試作品をアメリカにいる貿易会社の知人に送りました。

さっそく反応があり「すぐに500ケース送ってくれ」と言われ、1ヶ月半をかけて輸出用の商品を作りました。

国内販売のめどもたっていない状態で海外輸出がすでに始まっていたのです。

材料をチキンにしたのも正解で宗教上、牛や豚は禁忌であっても鶏を食べない国はありません。

つまり世界中で愛される食品になる可能性を秘めていたのでした。

そして大阪の梅田の阪急百貨店の地下食料品売り場で試食販売を行いました。実演したところ主婦たちが「ほんまのラーメンや」と驚き用意した500食はあっという間に完売。

百貨店での手ごたえを感じた百福さんでしたが、問屋の反応は良くありませんでした。

その理由は1食35円という価格設定。

当時、うどん玉が6円、乾麺が25円でした。乾麺と変わり映えしないものに35円も払うのか!?と問屋は言いました。

百福さんは「見た目が近くてもお湯をかけて食べれるラーメンだ!」と説得していました。

それが突然「いくらでも持ってきて!!」と問屋から注文が入ります。

電話が鳴り続け、消費者からの欲しい!の声が次々とあがりました。

チキンラーメンは消費者の支持を受けて大ヒットへの階段を駆け上っていました!

 

日清食品の誕生!チキンラーメンは厚生省のお墨付きに!

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ちなみにチキンラーメンを発売してすぐのころ、資金が底をついていた百福さんは知人から100万円を借りて大阪市東淀川区(現在の淀川区)に古い倉庫を借りてそこを田川工場としました。

社名は休眠していた「サンシー殖産」を引きついたものでした。

その後、昭和35年8月25日はチキンラーメンが正規の商品になった「ラーメン記念日」。そして同年12月に百福さんは「サンシー殖産」の社名を改め「日清食品」が誕生します!

日清食品の由来は「日々清らかに豊な味を作りたい」と言う百福さんの願いを込めたものでした。

チキンラーメンが大ヒット商品になったことで「チキンラーメンを食べると精がつく」「肌がつやつやになりました」という手紙が寄せられるようになります。

これは何かあるぞ!と思った百福さんは、分析を依頼。

トサカや鶏がらからコラーゲンなどの栄養成分が抽出されていることが判明。当時は日本人の栄養状態が万全といえない時代で、厚生省はチキンラーメンを「妊産婦の健康食品」と推奨しました。

昭和35年にはビタミンB1、B2を添加した商品が「特殊栄養食品」の認可を受けている。

つまり、厚生省お墨付きを得たのでした!

 

 

CM効果で43億円の売り上げに

 

 

時代も味方した「チキンラーメン」は当時ダイエーの前身となる大手スーパーチェーンが誕生し、チキンラーメンと卵を特売品として並べました。

そして昭和28年にはNHKなどのテレビ局が開局。

人々が街頭テレビにかじりつくのを見た百福さん。

テレビCMを採用して、宣伝費用に月額2000万円を投じました。

チキンラーメンの名前は全国に広がり、日清食品は創業から5年目にして売上は43億円に到達。そして昭和38年には東京、大阪の両証券取引所の第二部に上場しました!

 

まとめ

朝ドラ「まんぷく」の「まんぷくラーメン」のモデル「チキンラーメン」の実話のストーリーいかがだったでしょうか?

もちろん朝ドラも百福さんの史実をかなり忠実に再現しているので、同じようなシーンがこれから出てくるとおもいます。

萬平さんのサクセスストーリーを楽しみに最終回まで見てみてください。

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