イケメン揃いの「塩軍団」による塩作りが始まったNHK連続テレビ小説「まんぷく」。
海岸に鉄板を並べて海水を流し込んで塩を作っていますが、狭い部屋でゴロ寝、食事の量も少なく単調な毎日にちょっとイライラ気味の塩軍団です。
これはドラマの話ですが、萬平(長谷川博己)のモデルである日清食品創業者の安藤百福さんも、実際に製塩業をしていました。
さて、どのようにして塩を作っていたのでしょうか?
ドラマとの違いについてまとめてみました(^ ^)
神部さんに誘われ、塩作りのために泉大津にやってきた若者達。いつしか現場で彼らはこう呼ばれるようになりました。“ #塩軍団 ” と
戦争を経験し、それぞれの事情や夢を背負い、萬平さんの元に集まった個性豊かな彼らの中から、皆さんの推しメン( #お塩メン )を見つけて下さい!#まんぷく #朝ドラ pic.twitter.com/nOf0mKFu6O
— 【公式】連続テレビ小説「まんぷく」 (@asadora_bk_nhk) 2018年11月7日
まんぷくで塩軍団はどうやって塩を作ってるの?
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終戦を迎え疎開先から大阪に戻った萬平(長谷川博己)と福子(安藤サクラ)、それに福子の母の鈴(松坂慶子)は、どちらの家も空襲で焼失してしまったため、福子の姉の香田克子(松下奈緒)と香田忠彦(要潤)の家に居候させてもらいます。
戦後の混乱で食べ物もなく、いつまでもお世話になっているのは悪いと思った萬平と福子は、友人の世良(桐谷健太)の紹介で海のある泉大津というところに家を借りることができました。
すると鈴と同じく香田家に居候していた神部茂(瀬戸康史)も一緒について行くことに。
引越し先は元軍の施設で、そこで見つけたのが大きな81枚の鉄板。
萬平は海と鉄板を利用して塩を作ることを思いつきます♪
多分こんな発想だったと思います(笑)
鉄板発見→ラーメンが薄味→塩が足りないことを知る→人の役に立つことをしたい→海→
そうだ!塩を作ればいいんだ!!
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塩といえば赤穂、ということで神部を連れてすぐに赤穂まで塩作りを学びに行きます。
萬平の塩作りはこうです。
鉄板を傾けて、傾けた先にバケツを置きます。
海水を鉄板の上からゆっくり流し込みます。
すると海水は少しずつ蒸発しながら、下に置いたバケツへと落ちていきます。
最初に流した海水よりも、より塩分濃度が高い海水が下のバケツに溜まりますよね。
今度はその塩分濃度が高くなった海水をまた鉄板の上からゆっくりと流すー。
しかも同じ鉄板を使うと効率が悪くなります。
海水で鉄板が冷えてしまうため蒸発しにくくなるんです。
そのため日光で温めた鉄板を交互に使って効率を良くしました。
これを繰り返すことでどんどん塩分濃度が高くなっていきます。
この作業は重労働で単調な作業のため、さすがの塩軍団もお疲れのようですね(笑)
おまけに労働の割には食事の量が少なく、不満が出るのも仕方ないかもしれません。
とはいえ、福子と鈴の苦労も相当のもの、食事の支度だけでもわたしなら1日でダウンしそうです(^^;;
そして濃度が濃くなると鹹水(かんすい)というものができます。
神部さん、「かんすい」とはこう書きます!
かん水…濃度の高〜い塩水のことです。
塩がおよそ3%しか含まれていない海水を煮詰めて塩を作るのは非常に効率が悪いので、15%から20%くらいのかん水をいかに効率よく作るかが、塩づくりのポイントになります。#まんぷく #朝ドラ pic.twitter.com/kbfCO7sopb
— 【公式】連続テレビ小説「まんぷく」 (@asadora_bk_nhk) 2018年11月5日
これは濃度が高い塩水のことで、濃度が15〜20%くらいの鹹水を作ることが重要です。
その鹹水を今度は煎熬(せんごう)します。
さらに調べました!
「せんごう」はこう書きます!せんごう…かん水を煮詰めて塩の結晶(=塩の花)をつくる工程です。#まんぷく #朝ドラ pic.twitter.com/4RLb78ACFl
— 【公式】連続テレビ小説「まんぷく」 (@asadora_bk_nhk) 2018年11月5日
この煎熬とは、鹹水を鍋で煮詰める作業のこと。
こうすることで塩の花ができ、さらに余分な水分を落とすことで塩が完成します♪
ちなみにここで落ちた水分が、豆腐を固めるために使う「苦汁(にがり)」となります。
こうやって重労働の末、ようやく塩が出来上がります!
では安藤百福さんはどうやって塩を作っていたのでしょうか?
安藤百福の塩作りとドラマの塩作りの違いとは?
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安藤百福さんが実際に塩業をしていたのは、ドラマと同じ泉大津でした。
近くには造兵廠(兵器や車両などを製造したり修理していた軍の工場)の跡地があり、管轄していた鉄道局に熱心に訴えたところ、土地も建物も資材までもが無料でもらえることになりました。
その資材の中にあったのが、大量の鉄板。
「この鉄板で塩を作ろう」と思いついたのもドラマと同じです。
ただ安藤百福さんは萬平のように勉強には行っていません。
というのも、疎開先で赤穂の塩田を観察したことがあり、基本は心得ていたのです。
そのときは全く塩作りはする予定ではなかったと思いますが、やはり気になるんですね〜。
さすが発明家です(^ ^)
安藤百福さんも実際に萬平と同じような作り方をしていたそうです。
天日で熱した鉄板に海水を流し込み、それを繰り返して鹹水を作ります。
そして大釜で煮詰めて塩を作っていました。
実際にできた塩は、鉄板のサビがついて黄色っぽいような色がついていたそうです。
鈴さんも最初にできた試作品の塩が茶色っぽくなっていると、イヤな顔してましたよね(笑)
これはこまめに鉄板を拭くことで回避できるそうです。
このように、塩作りはだいたいドラマと同じように作られていました。
実際に塩軍団(そうは呼ばれていなかったと思いますが笑)もいて、活気に満ち溢れみんなで楽しく作業をしていたそうです。
安藤百福が製塩業をしていたときの会社名は日清食品?
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ドラマではこれから専売局の認可を受け「たちばな塩業」を立ち上げます。
そういえば福子が何度か専売局に通っていましたよね。
では安藤百福さんの会社はなんという名前だったのでしょうか?
m(__)m申し訳ございませんm(__)m 調べてみましたがわかりませんでした(T . T)
実際に安藤百福さんが塩を作り始めたのは1947年の頃からだと想像できます。
1946年の冬に疎開先から泉大津に住み、自宅にそばにあったという軍需工場の跡地の払い下げを受けたとき、そこに塩作りに使う鉄板があったそうなので、年が明けた1947年と考えていいと思います。
日清食品の前身となる会社の名前が「中交総社」。
この会社は1948年、泉大津に設立されました。
最初は製塩と漁業をしていたそうで、その後事業を拡大していったのだと思います。
この「中交総社」は、魚介類の加工販売、繊維工業、用品雑貨の販売、図書の出版販売など多くの事業を手がけています。
なので製塩と漁業だけをやっていた当初は、会社という組織ではなかったのだと思います。
というのも塩は販売せず、ご近所さんに無料で配っていたからで、販売したのは塩から作ったふりかけだけでした。
いわば安藤百福さんにとって製塩業とは、慈善事業のような形だったようですね。
ドラマで塩軍団たちが萬平をどう呼んだらいいのか、という話をしたとき神部から「社長は?」と言われると「いや、会社じゃないんだから」と言っていました。
ということでドラマではこれから製塩業をメインとした「たちばな塩業」を設立しますが、安藤百福さんの場合はもう少し会社規模が大きくなってから「中交総社」を立ちあげるのだと思います。
さて、ドラマではこの塩軍団に癒しの存在となるタカが活躍します♪
【 #まんぷく キャストポスターシリーズ】
お手伝いに来てくれることになった香田タカ( #岸井ゆきの )さんのポスターカット!
岸井さんが選んだのは梅干し。「塩軍団の皆さんに食べてもらいたいんです!梅干しのクエン酸は疲れに効くから」と。
タカちゃんはみんなのマドンナです♪#朝ドラ pic.twitter.com/tO6ohVtyJP
— 【公式】連続テレビ小説「まんぷく」 (@asadora_bk_nhk) 2018年11月8日
どうみても14歳にしか見えない、現在26歳の岸井ゆきのさん、さすがです!
お父さんの忠彦も気が気じゃなかったようですね(笑)
かわいいなんてもんじゃない、浮世離れした美人
と娘タカを褒め称える姿に、ちょっと周りの人たちは引いていましたが・・・(^^;;
これからの塩軍団withタカも楽しみです♪
まとめ
ドラマの塩作りと実際に安藤百福さんがやっていた塩作りは、ほぼ同じようなやり方でした。
仕事もお金もなく困っている若者を救いたい、そんな気持ちも同じです。
ただドラマではこれから製塩業をメインとしていきますが、安藤百福さんにとっての塩作りはボランティアのようなものだった、というところが違いました。
さて、ドラマではまだまだすったもんだしている塩軍団。
これからのみなさんの活躍に期待です!