2022年9月からスタートするNHK朝ドラ・連続テレビ小説「本日も晴天なり(ほんじつもせいてんなり)」の再放送。
1981年から1982年にかけて放送された朝ドラでBSプレミアムにて毎朝の再放送がスタート。
個人的にも過去の名作が見れる大好きな枠なのですが「本日も晴天なり」のヒロインの桂木元子(かつらぎもとこ)を演じるのは、女優の原日出子(はらひでこ)さんです。
戦後にアナウンサーから作家へと転身したヒロインである昭和女性の奮闘記です。
予告を見ていただくとわかると思いますが、超かわいい若かりしころの原日出子さんが見れるのも貴重ですよね。
そんな「本日も晴天なり」のヒロインの桂木元子ですが、実在の人物なのでしょうか?モデルは存在する?
今回はドラマ「本日も晴天なり」のヒロイン桂木元子のモデルは実在するのか?「本日も晴天なり」は実話で元ネタはあるのか?についてご紹介していきます。
桂木元子のモデルは実在で近藤富枝!
桂木元子のモデルは実在で近藤富枝
ドラマ「本日も晴天なり」は、元NHKアナウンサーで作家の近藤富枝さんの半生に基くストーリーです。
と言うことで「本日も晴天なり」ヒロインの桂木元子は、実在する作家の近藤富枝さんがモデルとなっています。
元NHKアナウンサーで作家の近藤富枝さん。国民に知らされる2日前、偶然知った終戦にぼう然となった「あの夏」を振り返ります。
スマホ→http://t.co/8gSt7MMJso
PC→http://t.co/mcWdhfJM5k pic.twitter.com/70Jjfx0Ngd— 読売新聞オンライン (@Yomiuri_Online) August 14, 2015
桂木元子とは?
ストーリーは以下の内容です。
1944年、日本放送協会は31人もの女性アナウンサーを採用しました。しかしそれはあくまで戦時中の男性不足の「代わり」でしかなく、終戦後彼女たちは全員失業してしまいます。その一人・桂木元子(原日出子)は、戦後はルポライター、そして作家への道を歩んでゆきました…。
引用元:https://www2.nhk.or.jp/archives/search/special/detail/?d=akaisan053
\9月19日(月)から再放送/
連続テレビ小説『本日も晴天なり』
<BSプレミアム・BS4K>
※毎週月曜~土曜 午前7時15分~
※毎週日曜 午前9時30分~
戦中戦後の激動の時代、アナウンサーに作家にと、生きる道を切り拓いていくヒロイン(原日出子)の奮闘記。https://t.co/3TS5Qgso09
#朝ドラ— NHKアーカイブス (@nhk_archives) September 16, 2022
物語の舞台は東京の日本橋・人形町。終戦の前の年の昭和19年の夏からスタートします。
NHKのアナウンサーに採用されたものの、戦後女性ということで退職を促され辞めることに。そして、戦後はルポライター、そして作家への道を歩んでいくヒロインです。
以下、1話のストーリーです。
昭和19年夏。日本橋の老舗紺屋「吉宗」の娘・桂木元子(原日出子)が速い足取りで日本橋を闊歩する。着いた先は水天宮。お賽銭をして手を合わせたところへ芸者・金太郎(木の実ナナ)が駆け寄って来て、父の宗俊(津川雅彦)が病気でひっくり返ったと言う。大慌てで帰ると、母のトシ江(宮本信子)は平然としている。宗俊は兄の正大に陸軍の入営通知が来たショックで布団をかぶって拗ねていたのだった。元子のお願い事とは…
引用元:https://www.nhk.jp/p/ts/ERGGXR3JKK/episode/te/72RWR3Y91V/
そんなヒロインのモデルになった近藤富枝さんについて以降で詳しくご紹介していきます。
桂木元子のモデルの近藤富枝!元ネタは元NHKのアナウンサーで戦後に退職
ヒロインの桂木元子のモデルとなった近藤富枝さんは、1922年に東京の日本橋の袋物問屋に生まれます。
しかし、父親の破産で一家離散したことから、田端の父方の祖父母の元で育ちます。
東京女子大学国語専攻部に在学中、演劇に熱中し、文学座の研究生になった過去も。
また大学の同級生が瀬戸内寂聴さんだったことも知られています。瀬戸内寂聴さんは、東京女子大学に入った最初の日に口をきいたそうで、その後も親友としてお付き合いされていたそうです。
今日の夕刊文化面は瀬戸内寂聴さんの「縁の行方、今」。女子大時代からの友達だった近藤富枝さんの2回目です。頼りになり、切磋琢磨できる友人が若いときからいるというのは本当に幸運だと思います。近藤さんも今の瀬戸内さんを育んだ一人なのでしょう。森まゆみさんは近藤さんの姪だそうです。(と)
— 東京新聞文化芸能部文化班 (@tokyobunkabu) September 21, 2016
戦時中だったことから、東京女子大学を繰り上げ卒業し、文部省に入省。文部省教学局国語科で教科書編纂に従事します。
そして、 昭和19年から約1年間、日本放送協会(現在のNHK)のアナウンサーとなります。
アナウンサーの採用試験を受けたのは昭和19年の8月で、合格発表は9月。
それまでは、女性のアナウンサーは年に1人、2人くらいの採用で、新聞にも取り上げられるスター扱いだったそうですが、近藤富枝さんが合格した時は、戦争で男の人がいなかったことから、女性で補ったようだったとのことで、東京だけでも13人が採用され、集合写真が掲載されただけの扱いでした。
【戦時中の #女子アナ】「女子放送員」と呼ばれていた近藤富枝さん。https://t.co/94MbJy6tFn
担当した番組は「家事相談」。そして、東亜向け、北南米向けの大本営発表も。多かったのが特攻隊のニュースでした。
厳しい検閲と報道規制が。『戦争証言アーアカイブス あの人の戦争体験』で。 pic.twitter.com/L4IrEgLDxa— NHKアーカイブス (@nhk_archives) December 19, 2019
通常は、養成所では3か月の研修を受けるものでしたが、1か月半のみで、11月半ばには、アナウンサーとして初めての番組を担当したそうです。
戦時中だったこともあり、ニュース原稿は、軍部の検閲が入ったもので、それをさらに報道部がチェックし、書き直しに次ぐ書き直しで、原稿は読みにくい、ひどい状態になっていたそうです。
そして・・・終戦の日がやってきます。8月15日、玉音放送を前に、内幸町の放送会館に東京勤務のアナウンサー全員が集められました。
放送の進行役を務めたのは、日本放送協会第1期アナウンサーで、大相撲中継の「双葉敗ル」の実況でも知られる和田信賢アナウンサー。
和田アナを尊敬する近藤さんにとっては、敗戦という事実以上に彼が玉音放送を担当することが大きな関心事だったという。
引用元:https://www2.nhk.or.jp/archives/search/special/detail/?d=backstage024
そして戦後は復員してきた男性たちの席がなくなってしまうということで、退職を余儀なくされた近藤さん。
アナウンサーとしての生活は1年1か月。
戦時中は、辞めてはいけないと言われ、周囲が疎開していく中で、東京にとどまり、アナウンサーとして活動を続けていたのに、終戦で男性たちが戻ってくると言うことで、理不尽に退職に追い込まれてしまったのでした。
桂木元子のモデルの近藤富枝はアナウンサーから主婦生活に!そして作家に転身
NHKを退職した後、1946年に、元軍人の近藤新治さんとご結婚されます。
近藤新治さんは、のちに軍事史研究家となります(筆名:土門周平)。
ドラマでは、 鹿賀丈史さんが夫である大原正道役を演じています。
【鹿賀丈史さん/『本日も晴天なり』大原正道役】このドラマでは毎回エンディングに音楽が流れて、その音楽の尺(長さ)に合わせて芝居をするんです。出演されていた俳優さんたちは…続きは http://t.co/ufXBK66a5o
— NHKアーカイブス (@nhk_archives) November 14, 2014
そして、約18年の主婦生活を送ることに。
主婦業の傍ら、雑誌のライターや作家として活躍していました。
そして、子育てが一段落して41歳の時に、雑誌に手記を投稿し特選を取ります。
その後、文筆活動に入ることになる近藤富枝さん。婦人雑誌のルポライターとなり、本格的に作家のお仕事をするようになります。
着物を着て炭鉱事故や飛行機事故の取材を行っていたというエピソードを、姪にあたる作家の森まゆみさんがブログで明かしていました。
そして作家として、多くの作品を世に送り出すことに。
当初は明治・大正の文学者について調査研究を行い、その後は大好きな着物や布についてのエッセイが多かった近藤さんです。
また、ミステリ作品も発表しています。
源氏物語を独自に研究したり、樋口一葉などの文学者たちに関する著書などでも知られています。
1968年に最初の小説『永井荷風文がたみ――ほろびし東京の歌』を刊行します。
1983年には著書「本郷菊富士ホテル」が日本文芸大賞を受賞。
「本郷菊富士ホテル」は、森光子さん出演で舞台化もされています。
また1989年には「宵待草殺人事件」がドラマ化。火曜サスペンス枠で放送されました! 奥田瑛二さん、黒木瞳さん、夏木マリさんなどが出演。すごい顔ぶれですよね。
また、1986年から1993年にかけて、武蔵野女子大学の教授を務めていました。
90歳を超えても現役を貫き活動していました。
そして、晩年はご自身のご経験から反戦メッセージを多くの場所で述べられていました。
近藤富枝さんより『馬込文学地図』を賜りました。待望の復刊。名著揃いの近藤さんですが、『大本営発表のマイク 私の十五年戦争』は、とりわけ個人的にお薦めしたい一冊です。「……私にとって戦争は一歩近づき二歩後退のような存在だった」(て) pic.twitter.com/531Asa3L4v
— 月刊望星編集部 (@bosei_jp) July 2, 2014
そして2016年に老衰のため93歳でお亡くなりになりました。