村山愛助(水上恒司)は死ぬの?実在モデルは吉本頴右の病気とは?【ブギウギ】

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朝ドラ「ブギウギ」に水上恒司さん演じる村山愛助(むらやまあいすけ)は死ぬの?村山愛助の実在モデルの吉本興業の御曹司の吉本頴右(よしもとえいすけ)さんの死因の病気の病名・笠置シヅ子さんの結婚相手なのか?母親についてもご紹介です。

目次

村山愛助(水上恒司)の実在モデルは吉本頴右!母親は吉本興行の創始者の吉本せい

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朝ドラ「ブギウギ」に村山愛助(むらやまあいすけ)が、NHK連続テレビ小説「ブギウギ(ぶぎうぎ)」に登場します!

演じるのは大河ドラマ『青天を衝け』で、渋沢平九郎を演じた水上恒司(みずかみこうし)さん。

今回はこの村山愛助のモデルについて調べてみました!

モデルとされるのは、吉本興業の御曹司だった吉本頴右(よしもとえいすけ)さんです!

笠置シヅ子さんが、生涯ただ一人愛した、最愛の男性です!

吉本頴右さんとは?そして朝ドラ「ブギウギ」村山愛助のネタバレも一緒にご紹介させていただきます!

モデルの吉本頴右の母親は吉本興行の創始者・吉本せい

吉本頴右さんの母親は吉本興業の創業者・吉本せいさんです。

吉本頴右さんは1923年に、吉本吉兵衛さんとせいさんの間に生まれた次男坊。

出生時は「泰典」と命名されましたが、吉本頴右さんが20歳のとき、通称として使っていた「頴右」に変えています。

吉本ご夫妻には、2男6女が生まれましたが、結局成人を迎えたのは、吉本頴右さんただひとり。

しかも吉本頴右さんが生まれた翌年、夫の吉兵衛さんも亡くなっています。

それゆえ、せいさんに溺愛され、吉本興業の後継者として育ちました。

早稲田大学に入学

1943年、20歳の吉本頴右さんは早稲田大学に入学するため上京。

最初の半年間は、帝国ホテルから通学していたとか!かなりのお坊ちゃまだったんですね~。

当時東京支社長だった、叔父の弘高さんがよく面倒をみていたそうです。

笠置シヅ子との出会い

大学生だった1943年、笠置シヅ子さんとの運命の出会いがありました(≧∇≦)

おふたりが出会った日のことは、笠置シヅ子さんは日付まで覚えていた、とガイドブックにあります。本当に運命の出会いだったのでしょうね。

このころ笠置シヅ子さんは、地方巡業などをしていたころで、名古屋の太陽館の出演が決まっていました。

このとき知り合いの俳優の楽屋を訪ね、初めて吉本頴右さんと顔をあわせます♪

このときに会話はなかったのですが、その後吉本興業の名古屋主任が、吉本頴右さんを連れて笠置シヅ子さんの楽屋にやって来ます。

そして吉本頴右さんが、笠置シヅ子さんの大ファンだと紹介。

笠置シヅ子さんはこのときの印象を、このようにべた褒めしています。

「眉目秀麗(上品ですっきりとした美形)たる貴公子タイプ」

かなりのイケメンで長身だったという吉本頴右さん。端麗な近代感にあふれていたといいます。

恋人へ

明日大阪に戻ると言う吉本頴右さんに、ちょうど翌日神戸の劇場に移動する予定だった笠置シヅ子さん。

「一緒に行きまひょか」

と誘ったそうです。もしかしたら、笠置シヅ子さんも一目惚れだったのかも?

翌日一緒に列車に乗った吉本頴右さんと笠置シヅ子さん。

吉本頴右さんは、笠置シヅ子さんの荷物を運んで手伝うなど、さらに好印象を植えつけました。

吉本頴右さんは、笠置シヅ子さんを神戸まで見送り、大阪へと戻ったそうです。

吉本頴右さんは周囲の人たちからも愛されていて、「ぼん」と呼ばれ大事にされていました。

社員たちも、吉本頴右さんが社長になるのを待ち望んでいたとか。

吉本頴右さんは、笠置シヅ子さんより9歳年下だったので、最初は姉弟のような関係だったそうです。

吉本頴右さんは、まだ学生だったこともあり、笠置シヅ子さんはただのハンサムな青年、というふうに見ていました。

ですが、東京に戻りお互いの家を行き来するようになり、おふたりは愛し合うように。

このころの吉本頴右さんについて、笠置シヅ子さんはのちにこう語っています。

「一人息子なのに苦労人肌で、学生とは思えない」

内面にも惚れ込んでいたようですね。辛いこともひとりで耐えてきた笠置シヅ子さん。こうも語っています。

「生涯でこんなに人の愛情に甘えたのは、この時間以外にはないでしょう」

おふたりの愛情の深さがわかりますね。

そして1945年、東京に空襲があり、どちらも家も焼失。林弘高さんの家の裏にあった洋館で、一緒に暮らすことになりました。

この洋館にはほかにも数人がくらしていましたが、おふたりが同じ屋根の下で暮らした、唯一の時間となります。

吉本頴右は死ぬの?死因の病気と笠置シヅ子との結婚は?

結婚を決意!

このときには結婚の話も出ていましたが、吉本頴右さんは突然大学を辞めると言い出します。

1946年に大学を中退し、弘高さんのもとで吉本興業東京支社で、本格的に働き始めました。

その理由について、笠置シヅ子さんはのちにこう回想しておられます。

「元々体が弱かったので、早く芸能の仕事に専念したかったのでは」

そしてもうひとつの理由が、笠置シヅ子さんと早く結婚したかったから!

結婚を認めてもらうには、学生では難しいと考えたのかもしれませんね。

笠置シヅ子さんは、一度服部良一さんの家に身を寄せますが、のちにファンの家に住まわせてもらうようになります。

このころ笠置シヅ子さんのマネージャーとして、吉本頴右さんは吉本興業の社員、山内義富さんをつけました。

山内さんは戦前、コロムビア制作部にいて、笠置シヅ子さんのレコードプロデュースをしたこともある人物。

笠置シヅ子さんは山内さんに、絶大なる信頼を寄せました。

妊娠が判明し結婚を決意

大阪では母親のせいさんが、体の弱い頴右さんを心配し、大阪に戻ることを望んでいました。

笠置シヅ子さんも養母の死に目に会えなかったので、吉本頴右さんに帰阪を勧めますが、時間の折り合いがつかず、実現できません。

ようやく時間が取れ、大阪に戻ることになった吉本頴右さん。笠置シヅ子さんは琵琶湖まで見送ることにします。

このときに一緒に見た琵琶湖の夕焼けは、笠置シヅ子さんにとって忘れられないものとなります。

そしてその年の10月。笠置シヅ子さんは妊娠したことに気付きます。

妊娠3ヶ月で、周囲の勧めもあり大阪に行くことにした笠置シヅ子さん。

マネージャーが率先して、出産や入籍の問題について、話し合ってくれたそうです。

翌年の1947年に、吉本家の財産の整理が終わるので、そのときに結婚のことを切り出し、子どもが生まれたらすぐに認知することでまとまります。

笠置シヅ子さんも出産・結婚をきかっけに、お仕事を辞める決意をしていたそうです。

笠置シヅ子さんは、医師を楽屋に待機させ、ステージの出演をこなしました。

死亡と死因の病気病名とは?

笠置シヅ子さんは臨月を迎えましたが、吉本頴右さんは肺結核を悪化させ、東京に来れる状態ではなくなります。

シヅ子さんも大阪に行き、吉本頴右さんに会いに行こうと思ったのですが、妊娠中の長旅は危険と言うことで断念。

吉本頴右さんは幼いころから体が弱く、大病を患ったこともあり、また、18歳の時に一度肋膜(肺)を病んだこともあり本人も周囲も健康に心配していたのですが・・・。

吉本頴右さんに会えないまま出産が近づき、入院していた笠置シヅ子さん。

吉本頴右さんの訃報が届きます。

なんと、結婚を前に死亡してしまった吉本頴右さん。

このとき吉本頴右さんはまだ24歳でした。

吉本頴右の死後・娘が誕生

笠置シヅ子さんのは、後ろから金づちで打たれたように気が遠くなり、その場に泣き伏せたそうです。

夜更けまで眠れず、やっと眠れても吉本頴右さんのラッパで、歌う夢をみて目が覚めたという笠置シヅ子さん。

入院中の笠置シヅ子さんのもとに、吉本頴右さんが遺した3万円の預金通帳が届けられました。

笠置シヅ子さんは吉本頴右さんが生前着ていた、丹前と浴衣を壁にかけ、出産のときは浴衣を抱きしめながら、出産に臨んだそうです。

こうして無事女の子を出産。吉本頴右さんの訃報から10日後でした。吉本頴右さんの遺言により、娘は「エイ子」と名付けられました。

せいさんはずっとふたりの交際を反対していましたが、笠置シヅ子さんの妊娠により、態度を軟化させていたといいます。

吉本頴右さんが亡くなってから4か月後、せいさんと笠置シヅ子さんは初めて顔を合わせます。

このときせいさんは入院中で、それから3年後に息子のもとへ旅立ちました。

村山愛助は死ぬの?福来スズ子と結婚などブギウギのネタバレは?

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今後のネタバレをご紹介するので、知りたくない方は閲覧注意です。

運命の出会い!村山興業の御曹司だった

1943年、戦争が激化するなか、スズ子(趣里)たちが巡業で訪れていた、愛知の劇場の楽屋に、スズ子のファンだという、ある学生が興行主に連れられやってきました。

そのおとなしい学生の名前は村山愛助(水上恒司)。大阪出身の20歳で、東京の大学に通っているといいます。

何となく六郎( 黒崎煌代)の面影を感じたスズ子。

小夜(富田望生)は村山愛助がお金を取ったと誤解し、そのお詫びにスズ子は村山愛助を食事に誘いました。

村山愛助はスズ子が梅丸少女歌劇団にいたころから、大ファンだったといい、スズ子の歌のすばらしさを熱く語ります。

翌朝、スズ子たちが出発しようとしたとき、宿代の半分を村山愛助が支払ってくれたことを知ります。

次の巡業先へ向かうため、列車に乗り込んだスズ子たち。すると村山愛助も同じ列車に乗っていたのです!

宿代を返そうとするスズ子でしたが、そこに位の高そうな軍人が声を掛けます。

「村山の坊ちゃんじゃないですか!」

村山愛助は、大阪随一の演芸会社、村山興業の御曹司だったのです。

大阪で久しぶりにはな湯やUSKに立ち寄り、いろんな人たちとの再会を喜び、帰宅したスズ子のもとには、村山愛助からのたくさんの手紙が届いていました。

村山愛助は去り際に、「お手紙書いてもよろしいでしょうか」と聞き、スズ子は住所を教えていたのです。

手紙にははな湯に行ったことや、また公演を見に行く、などが綴られていました。

「男は色と欲の生き物だっぺ。こうやって近づいてくんだ」

と、警戒する小夜(;^^)ですが、スズ子は気にしません。

というのも、村山愛助はスズ子より10も年下で、色恋の相手にならないと思っていたからです。

ある日村山愛助は、スズ子の家にやってきて、蓄音機を聴きに来ないかと誘います。

一度は断りましたが、小夜と一緒に出掛けることにしたスズ子。

村山愛助の部屋には、スズ子のレコードや記事がたくさんあり、それ以来ふたりでときどき会うようになりました。

そんなある日、スズ子の楽団事務所に、村山興業の東京支社長、坂口(黒田有)がやってきます。

「うちのボンをたぶらかさんといて、いただきたい」

坂口はスズ子にそう言い、スズ子はただの友達だと答えます。

次に村山愛助の家に行ったとき、10歳も違うし、世間からはよく思われない、とスズ子が言うと、村山愛助は突然の告白を(≧∇≦)

「年の差なんか関係あらへん!ボクは福来さんのことが好きです!」

スズ子は少し考えたい、と言ってその場を去りました。

学徒出陣が始まったと知り、愛助が戦地に行ったら・・・と胸が苦しくなるスズ子。

自分の気持ちに気付いたスズ子は、話し合うため村山愛助の元を訪ねます。

福来スズ子と交際がスタート!

スズ子への気持ちは本当ですが、同級生が出兵していくなか、病弱ということで招集が来ない自分は、恋にうつつをぬかしていていいのか?と村山愛助は悩んでいます。

スズ子は正式に交際したいと告げ、部屋を出ました。

お互いに二人の交際について悩み、会わないでいたのですが、ふたりのことは業界中に広まっていました。

村山愛助のもとに、母のトミ(小雪)から手紙が届きます。

手紙には、「お国のため、自分のできることをすればいい、劣等感を感じる必要はない」と書かれていて、心のモヤモヤが晴れた愛助。

スズ子のもとへ行き、こう告げます。

「福来さんにふさわしい男になります!僕と交際してください!」

スズ子が「よろしゅうお願いします」と答えると、楽団員たちが祝福の演奏を奏でました。

1944年3月。警察の取り締まりは厳しくなる一方でしたが、スズ子は愛助とのささやかな幸せを感じていました。

母親・村山トミの交際反対とマネージャー五木のまさかの裏切り

そんなある日、坂口がスズ子の楽団のマネージャー、五木( 村上新悟)のもとへやって来ます。

坂口はスズ子と愛助を別れさせてほしい、とお金を渡します。

五木は楽団の経営が厳しいので、別れたフリをしてほしいと頼みます。そうすると大金が入ると・・・。

きっぱり断ったスズ子。「まさかもうお金もろうてまへんね?」と聞くと、五木は姿を消してしまいます。

その後五木は手紙を残し、行方をくらましてしまいました。

手紙にはすでにお金をもらっていたこと、そして謝罪の言葉が。

事情を聞いた村山愛助は責任を感じ、村山興業を引退した、初老の山下(近藤芳正)というマネージャーを紹介します。

ですがそれがトミの耳に入り、愛助はスズ子と別れるよう言われてしまいます。

そして山下がマネージャーをすることも許してもらえません。

さらにスズ子に会ったトミはこう言って去っていきました。

「愛助は村山興業の跡取りです。そのことを重々ご理解ください」

別れろという意味だと理解したスズ子でしたが、村山愛助は母親を説得すると言います。

年末のある日、空襲警報が鳴り避難したスズ子と愛助。

ところが愛助は喀血してしまいました。

病気・結核で入院

結核を患っていた村山愛助でしたが、しばらく具合が良かったのです。

入院することになった愛助。結核は感染病ですが、スズ子は寄り添い看病を続けました。

村山愛助はスズ子に、病気がよくなったら結婚してくださいと言い、スズ子はそれを受け入れます。

スズ子の献身ぶりを知った坂口が、ふたりのために家を借りてくれました。

村山愛助のことを、スズ子に預けたのです。小夜はその近くに家を借りました。

ふたりにとって幸せな日々が続き、村山愛助の体調も少し良くなったため、山下がマネージャーをすることを、許してもらうため大阪に行こうと考えます。

それを聞いた坂口は、代わりに自分が行くと言い、トミの元を訪れます。

最初は怒ったトミでしたが、愛助の看病をしてもらったこともあり、山下のマネージャーは許しましたが、ふたりの交際は認めない、と言います。

1945年。病状が良くなり、普通にくらせるようになった村山愛助。

スズ子もこれまでにない幸福を味わっていました。

以上が、現在わかっている村山愛助に関するネタバレです。

愛助は死亡するの?

気になるもがモデルの吉本えいすけさんが、結婚を前に死去されているので、死んでしまうのか?ということだと思います。

史実どおりだと、もうすぐ村山愛助は病死してしまいますが、おそらくドラマでは史実通りに、愛助は死亡してしまうと思います。

と言うのも、ブギウギの1話のオープニングでは、鈴子が1人で赤ちゃんを抱えて、東京ブギウギを歌うシーンがあり、愛助の死の後に、笠置シヅ子さんと同じように、娘を出産した後のシーンだと思います。

これまでも割と忠実に描かれてきた「ブギウギ」なので、恐らく村山愛助は死んでしまうのだと思います。

村山愛助役のキャスト俳優の水上恒司とは?

福来スズ子の実在モデルは本人でなく笠置シヅ子!夫との壮絶な結末も

プロフィール

名前 水上恒司(みずかみ こうし)
生年月日 1999年5月12日
​出身地 ​福岡県
​身長 178cm
​体重 74kg
​血液型 O型

引用元 水上恒司オフィシャルサイト

水上恒司さんは現在24歳。福岡県出身です。

小学2年生から野球を始め、捕手として活躍。

中学1年生のとき、スパイスパワーからスカウトされますが、野球に専念していたため、5年に渡ってオファーを断り続けます(;^^)

高校3年生だった2017年、演劇部顧問にスカウトされ、特攻隊員を演じ全国高等学校演劇大会に出場。

それ以来役者になりたいと思うようになりました。

2018年のドラマ『中学聖日記』のオーディションで、見事主人公(有村架純)の相手役に合格し、華々しく俳優デビュー(≧∇≦)

この作品でドラマアカデミー賞助演男優賞を受賞しています。

このときの芸名は岡田 健史(おかだ けんし)で、2022年に現在の水上恒司に変わっています。

出演作品

映画では驚愕のサイコサスペンス「死刑にいたる病」で、阿部サダヲさんとW主演を(≧∇≦)

2023年12月8日公開予定の「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」は、福原遥さんとW主演です!

ドラマは2019年に「ドクターX」にご出演!エースの陸上選手で、右脚に痛みを覚え、極秘入院する四日市を演じました。

2020年には「いとしのニーナ」「これっきりサマー」で主役を(≧∇≦)

ほんとにあった怖い話 2020特別編『訳ありのカラオケ店』でも主人公を演じました。

2021年には大河ドラマ「青天を衝け」では尾高平九郎役を演じ話題に♪

主演が玉木宏さんの「桜の塔」では富樫遊馬役を演じ、アナザーストーリーで主役を演じました。

そんな水上恒司さんの、朝ドラ「ブギウギ」ご出演のコメントがこちらです♪

『ブギウギ』を楽しみにお待ちの皆様、お初にお目にかかります。この度、村山愛助役を授かりました水上恒司と申します。村山愛助を演じられるのは世界で私だけである自覚を持って趣里さん演じる花田鈴子と世界で1番ブギウギな音を奏でていきます。『ブギウギ』もうしばらくお待ちくださいませ!!

引用元 オリコン

まとめ

MIU404九重役は岡田健史!中学聖日記など出演作品は?

朝ドラ「ブギウギ」に村山愛助が登場します!のちにスズ子の最愛の人になる人物です。

この村山愛助のモデルは、笠置シヅ子さんの最愛の人だった、吉本興業の御曹司、吉本頴右さん!

史実ではふたりの娘が誕生する10日前、24歳にして病気でお亡くなりになりました。

「ブギウギ」はこれまでも、けっこう史実に忠実に描かれているので、おそらく村山愛助も、若くして亡くなってしまうのではないでしょうか。

そんな村山愛助を演じるのは、「中学聖日記」でセンセーショナルにデビューした、水上恒司さん!

正統派のイケメンで、現在24歳です。

大河ドラマ「青天を衝け」でも 尾高平九郎を演じ、今後が楽しみな俳優です。

そんな水上恒司さんが演じる村山愛助!スズ子とのラブロマンス、結末は悲しいですが (T_T)、どうぞ楽しみにしていてください!

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