【本日も晴天なり】モデルは近藤富枝で実在?アナウンサーで作家?

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「本日も晴天なり(ほんじつもせいてんなり)」は1981年から1982年にかけて放送された、第28作目のNHK朝ドラ・連続テレビ小説です。

ヒロインを演じたのは原日出子(はらひでこ)さん。

NHKのアナウンサーからルポライター、そして作家となり主婦業をしながらも、仕事に生きがいを見出し、激動の時代を生き抜いた女性を描いた作品です。

2022年9月からドラマ「本日も晴天なり」の再放送がBSプレミアムでスタートします。

そんなドラマ「本日も晴天なり」にはモデルが実在します!

ドラマと同じようにNHKアナウンサー、そしてルポライターから作家になった近藤富枝(こんどうとみえ)さん!

今回はドラマ「本日も晴天なり」のモデルとなった近藤富枝さんの生涯について調べてみました!さて近藤富枝さんの波乱万丈とは?

目次

本日も晴天なりはモデル近藤富枝で実在の朝ドラ!

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「本日も晴天なり」は1981年10月5日から1982年4月3日まで、全153話放送された朝ドラです。

東京人形町に生まれたヒロインが、NHKのアナウンサーを振り出しに、戦後はルポライター、そして作家への道を歩んでいく姿を、昭和の世相をからめながら描いた物語。

元NHKアナウンサーでのちに作家になった、近藤富枝さんの半生を元に、『マー姉ちゃん』や『3年B組金八先生』シリーズなどを手がけた小山内美江子 さんが書き下ろしました。

キャストはヒロインの原日出子さんを始め、夫役に鹿賀丈史さん、両親役に津川雅彦さんと宮本信子さん。ほかには木の実ナナさん、犬塚弘さん、菅井きんさんなどなど。

再放送はBSプレミアム・BS4K 同時放送 !2022年9月19日から、毎週月曜日から土曜日まで、午前7時15分から15分間放送され、毎週日曜日午前9時半から6話まとめて放送されます。

本日も晴天なりモデルの近藤富枝はアナウンサーで作家?

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「本日も晴天なり」ヒロインのモデル、近藤富枝さんは学校を卒業後NHKアナウンサーとなり、ご結婚され子育てをしながらルポライターをされ、のちの小説家になられました。

年譜

 

1922年 東京日本橋で袋物問屋を営む家に生まれる
1929年 父の破産により一家離散。父方の祖父母に引き取られ、東京市田端で育つ
1942年 芸術小劇場の研究生、のちに文学座の研究生となる
1943年 東京女子大国語専攻部を戦時中のため繰り上げ卒業
1944年 NHK第16期アナウンサーとなる
1945年 敗戦を機に退職
1946年 近藤新治さんと結婚
1963年 週刊朝日に掲載されたルポ『私の八月十五日』が特選になる
1968年 最初の著書『永井荷風文がたみ――ほろびし東京の歌』が刊行
1977年 財団法人民族衣裳文化普及協会の設立に参加し理事になる
1979年 「王朝継ぎ紙研究会」を設立し主宰者になる
1981年 朝ドラ「本日も晴天なり」のモデルになる
1983年 東京創作集団から女流文学賞を受ける
1986年 武蔵野女子大学の教授になる
1989年 著書『宵待草殺人事件』がドラマ化され火曜サスペンス劇場で放送
1993年 武蔵野女子大学を退職
1997年 NHK趣味悠々「きものを楽しむ」に連続出演
1998年 著書『本郷菊富士ホテル』が映画化され、テレビでも放送される
2000年 杉並区立中央図書館にて「近藤富枝展」が開かれる
2008年 NHKラジオ第2で「源氏物語の魅力」を5回に渡って語る
2014年 「DHCシアター『光る君』近藤富枝が語る源氏物語」がスカパーで放送
2016年 老衰のため93歳で逝去

引用元 近藤富枝ウエブサイト

本日も晴天なりモデルの近藤富枝の生涯とは?アナウンサーになったのに終戦で退職?

近藤富枝さんは1922年に袋物問屋の家に生まれました。ですが近藤富枝さんが7歳のころに父親が破産してしまいます。

このことを近藤富枝さんはご自身の著書「父と娘のいる風景」で書かれています。

近藤富枝さんの父親は、商売そっちのけの遊び人だったそうで(;^^)、不況だったこともあり倒産してしまいます。両親は離婚し、7歳の近藤富枝さんは3歳の妹とともに父方の祖父母が住む田端に引き取られました。

祖父は近藤富枝さんの父親に店を譲ったのに潰され、そのうえ小さな子どもを押し付けられ(;^^)たこともあり、始終父親の悪口を言っていたそうです。

近藤富枝さんはそんな祖父母たちを心の中で憎悪しながら育ったと書かれています。

東京女子大に進学した近藤富枝さんですが、戦況が厳しくなり繰り上げ卒業します。学生時代は演劇に熱中し、卒業後は文部省で働き始めますが、役所の仕事が肌に合わなかった近藤富枝さん。

22歳のときに日本放送協会の女子放送員の募集を聞き応募しました。

演劇部だった近藤富枝さんは、ラジオで和田信賢アナウンサーの見事な朗読の虜になり、またベルリンオリンピックの水泳の実況で聞いた「前畑ガンバレ!」などもありNHKへの就職も悪くないと思っていたそうです。

このころの女子アナウンサーは年に1人か2人の採用で、採用されると新聞にも載るような花形職業。ですが当時は戦時中で男性社員はみんな戦争に。このときの募集では東京だけでも13人も採用されたそうです。

合格後は3週間研修を受け、近藤富枝さんの初めての仕事は学校放送の紹介アナウンス。先輩方が仕事の内容をチェックしたそうですが、みなさんおっかない存在だったとか(;^^)

戦争が激化し空襲が激しくなるとどんどん職員がいなくなり、泊まり勤務も増えました。

そして8月15日。敗戦を告げる玉音放送を近藤富枝さんが尊敬する和田信賢アナウンサーが読み上げます。

終戦となりどんどん男性職員たちが引き上げてきました。NHKサイドから男性職員が復帰するため女性職員は家庭に戻れ・・・という圧力を感じたという近藤富枝さん。

戦争が激しいときにも疎開もせずに頑張ってマイクを守ってきたのに、戦争が終わるなり辞めてくれ、というのはどういうことか!と憤慨されたそうですが、近藤富枝さんはこのとき1年1ヶ月在籍したNHKを退職されました。

その1年後に元軍人の近藤新治さんとご結婚。近藤新治さんはのちに軍事史研究科となり筆名は土門周平です。

玉音放送の記憶を綴った「あの瞬間の放送員室」は、1963年に週刊朝日にルポとして掲載され特選になりました。

ドラマで放送されるのは、このころまでだと思われます。ヒロインの元子(原日出子)が飛行機事故の取材に行ったあと、祖母の波津(原泉)の危篤が入り、元子が駆け付けたときにはすでに亡くなったあと。

元子が号泣する、というところでドラマは終わります。

本日も晴天なりモデルの近藤富枝は作家として数々の作品を

近藤富枝さんは1968年に最初の小説『永井荷風文がたみ――ほろびし東京の歌』を刊行。

その後和紙工芸のひとつである「王朝継ぎ紙研究会」を立ち上げます。この研究会は今でも存在しています。

王朝継ぎ紙研究会

1981年に近藤富枝さんをモデルとした「本日も晴天なり」が放送され、1986年から武蔵野女子大学で教鞭をとるようになりました。

1989年に近藤富枝さんの著書『宵待草殺人事件』がドラマ化。

奥田英二さんや黒木瞳さんなどがご出演されています。

1998年には著書『本郷菊富士ホテル』が舞台化。

森光子さんや岡本健一さん、中田喜子さんらがご出演されています。

小説家のほかにも着物を愛され、デザインなども手掛けられていた近藤富枝さん。晩年は反戦メッセージを多くの場所で述べられました。

そんな近藤富枝さんをモデルにした朝ドラ「本日も晴天なり」が再放送がどのように描かれるのか?楽しみですね。

本日も晴天なりモデルは近藤富枝!アナウンサーで作家のまとめ

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「本日も晴天なり}は1981年から1982年に放送されたNHK連続テレビ小説。近藤富枝さんの半生をもとに、小山内美江子さんが書き下ろしました。

近藤富枝さんは終戦前にNHKでアナウンサーを1年ちょっとされ、終戦をきっかけに退職。1年後にご結婚され、その後ルポライターとしてご活躍されます。

やがて小説家となりドラ化や映画化された著書もあります。また着物のデザインや着物のエッセイなども多く出版されています。

主婦業をしながら仕事にも生きがいを見出し、奮闘する姿を描いた「本日も晴天なり」。近藤富枝さんをモデルにしたヒロイン、桂木元子を原日出子さんが演じます!

およそ40年前の作品ということで原日出子さんも20歳を少し過ぎたばかり。メッチャかわいいですよ(≧∇≦)

「本日も晴天なり」放送は9月19日から!どうぞお楽しみに!

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