桃色争議なぜ「桃色」?赤が名前の由来で蟹工船が発端の実話

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2023年10月から始まったNHK連続テレビ小説・朝ドラ「ブギウギ」はヒロインが怒涛の展開を迎えています。

ヒロイン役は女優の趣里(しゅり)さん。大正時代終わりの大阪・東京を舞台に、歌って踊る歌手を目指す花田鈴子(はなだ・すずこ)が、戦後の日本を明るく照らすスターの道へ駆け上がっていく姿を描いた物語。

福来スズ子(ふくらい・すずこ)と言う芸名でUSK「梅丸少女歌劇団(うめまるしょうじょかげきだん)」に入団し・デビューしたヒロインのモデルは実在の昭和のスター歌手・笠置シヅ子(かさぎ・しづこ)さんです。

梅丸少女歌劇団で活動をしていたヒロイン鈴子たちは、世界恐慌による不況に巻き込まれ「桃色争議(ももいろそうぎ)」というストライキを起こすことになります。

ドラマに登場した「桃色争議」というストライキは、モデルの笠置シヅ子さんも参加した実話です。

ドラマの中でも鈴子が「恥ずかしい」と言っていた「桃色」の由来は、名前の由来は一体何だったのでしょうか?女性だからバカにされた、卑下されたネーミング??

そして「桃色争議」は「蟹工船」が関係している??

今回は朝ドラ「ブギウギ」で起きたストライキ「桃色争議」について実話のストーリーをご紹介。その名前の由来について、そして蟹工船との関係についてもご紹介です。

目次

桃色争議なぜ「桃色」?赤が名前の由来で女性をバカにしたネーミング??

大和礼子のモデルは飛鳥明子!現在は「桃色争議」後に衝撃の顛末

ブギウギで「桃色争議」が勃発!?

朝ドラ「ブギウギ」で3週目のタイトルになった「桃色争議」。

不況の波が押し寄せ、梅丸少女歌劇団にも賃金削減と人員削減が告げられる。一部の楽団員と新人の劇団員は解雇されてしまった。そして、給料が下がったことで、桜庭和希(片山友希)は劇団を続けられなくなり、やめざるをえなくなってしまう。大和礼子(蒼井優)と橘アオイ(翼和希)は会社と話し合いをするために嘆願書を提出する。こうして、スズ子(趣里)も巻き込まれていく、会社と劇団員の「桃色争議」が始まる…。

引用元:https://tv.yahoo.co.jp/program/118285190

アメリカの株価大暴落から始まった世界恐慌は、日本にも大きな影響を与えて、楽団員の一部人員削減、給与カットなどがされることに。

歌劇団の新人の少女たちも解雇されてしまいます。

不況だとしてもあまりにも突然でヒドイ会社の通達に、大和礼子(蒼井優)と橘アオイ(翼和希)は会社と話し合いをするために嘆願書を提出。

これをきっかけに「桃色争議」と新聞で書き立てられることになります。

桃色争議とは?笠置シズ子が参加したストライキで実話

飛鳥明子の死因と生涯!桃色争議で衝撃の顛末に

「桃色争議」とはヒロイン鈴子のモデル・笠置シズ子さんも松竹少女歌劇部(後の松竹歌劇団)・松竹楽劇部(後のOSK日本歌劇団)にいたときに参加した労働争議です。

ドラマでもリーダー的存在で嘆願書を出した、大和礼子のモデルで当時の松竹楽劇部のトップ女優だった飛鳥明子さんが、リーダーだったと言われています。

大和礼子のモデルは飛鳥明子!現在は「桃色争議」後に衝撃の顛末

ちなみに、ブギウギでは描かれないかもしれませんが、「桃色争議」は東京と大阪の2拠点で起きました。大阪で起きた争議のリーダーが飛鳥明子さん。

そして東京で起きた争議の中心人物は、当時のトップスターの水の江瀧子さんで、水の江瀧子さんの愛称にちなんで「ターキー・ストライキ」とも呼ばれていたそうです。

桃色争議なぜ「桃色」?赤が名前の由来で女性をバカにしたネーミング??

そんな中、話題になっているのが、鈴子もドラマの中で「恥ずかしい」と言っていた「桃色」。一体なぜ桃色なのか?名前の由来です。

劇中でも話していましたが、当時の不況で日本で数々の労働争議・ストライキが起きていました。

そんな中、歌劇団で起きた労働争議でしたが、マスコミが書き立てたものでした。その名前の由来について、書籍などを調べてみてもはっきりとした内容は出てきませんでした。

しかし、ツイッターでも指摘があったように、女性たちだから、しかも若い女の子達が起こしたと言うことで、鈴子の父親が言っていた「赤(アカ)」を薄めて名前になったのが由来なのかな?と思います。

しかし逆に「桃色争議」というネーミングでマスコミが書き立てたことがきかっけで、注目されて、世間の批判が松竹に集まり、松竹が彼女たちの要望を聞き入れることになるので、なんとも皮肉なことだと思います。

「ピンク」は赤が名前の由来?

ちなみに「赤」とはいわゆる、共産主義のこと。

社会主義や共産主義の象徴である赤旗の色から、共産主義者、社会主義者などを「赤・アカ」と呼んでいて、あまり良い意味でない使われ方だったようです。

桃色争議は蟹工船が発端で起こった?

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桃色争議は蟹工船が発端?

また「桃色争議」が新聞でセンセーショナルに書き立てられた発端は、東京で最初に起きた「桃色争議」のリーダーだった水の江瀧子さんが、1929年に発表された小林多喜二さんの「蟹工船」を読んで大きな影響を受けたこともあったとのこと。

「蟹工船」がストライキの影響を受けた可能性があるようです。

蟹工船とは?

蟹工船とは、文芸誌『戦旗』で1929年(昭和4年)に発表された小林多喜二さんの小説です。

蟹工船とは、船内に蟹の加工設備を持つ工場船です。搭載された小型船で漁を行い、母船に持ち帰り缶詰に加工。この蟹工船での労働環境は劣悪を極め、さしずめ暴力支配による「ブラック企業」でした。本作は現代の社会問題にも通じる作品で、労働者が人権意識に覚醒し、現状を打破しようとするクライマックスには胸が熱くなること必至です。

 本作の出版当時、日本は軍国主義へと邁進しており、主義に沿わないものは発禁処分にされていました。『蟹工船』もその対象になり、著者である小林多喜二は特高警察に逮捕され、拷問の末に惨殺されるという壮絶な最期を遂げています。

引用元:https://ddnavi.com/serial/1093260/a/

いわゆる現在で言う「ブラック企業」に対して、労働者たちストライキを起こす内容。

その後、原作者の小林多喜二さんは、安維持法違反容疑で逮捕され、警視庁築地署で拷問死という壮絶な最後を迎えています。

桃色争議の顛末とは?笠置シズ子や少女たちはどうなった?

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そして「桃色争議」の実話の顛末をご紹介です。

1933年(昭和8年)6月に松竹が、当時、笠置シズ子さんが所属していた松竹楽学部の一部の楽士の解雇のほか、全部員の賃金削減を通告します。

このことに怒った東京松竹楽劇部の団員たちは、新聞記者を集めて「絶対反対」の意思を示し、待遇改善を要求。

先ほどもご紹介したように、「レビューガール」と呼ばれた彼女たちの中心人物が、東京松竹楽劇部一期生で、当時18歳のトップスターの水の江瀧子(みずのえたきこ)だったこともあり、新聞は「桃色争議(ももいろそうぎ)」と書きたてました。

松竹側は水の江瀧子を懲戒解雇すると通告して態度を軟化させます。

しかし水の江瀧子以下、団員たちは神奈川県湯河原温泉の旅館に立てこもり、一時は水の江瀧子が警察に拘引される事態に。

その後も、松竹側に待遇改善を要求しましたが、拒否されたことで、今度は東京の動きに刺激を受けた大阪、関西の松竹楽劇部で70名余りの楽劇部員たちが当時も人気スターだった飛鳥明子をリーダーに舞台が中止されて高野山の金剛三昧院に立てこもりました。

このように、東京を発端として起きた「桃色争議」の大阪でのリーダーとなったのが、ドラマ「ブギブギ」の大和礼子のモデルの飛鳥明子さんです。

ドラマではおそらく、大阪でのストライキしか描かれないのでは?と思います。

この大阪の方のメンバーの中には、当時19歳の笠置シヅ子さんもいて、東京のリーダーは、水の江瀧子さん、そして関西のリーダーが飛鳥明子さんでした。

マスコミで書き立てられたことで、松竹は世間のイメージダウンを招いてしまったことから彼女たちの要求をのむことになります。

そして翌月、東京のリーダーの水の江瀧子さんは謹慎処分。そして飛鳥明子さんをはじめとする幹部団員は責任を取り、退団となってしまいます。

しかし賃金カットは行われずに、団員たちの嘆願書の要求はほぼ通ったとのこと。

このように、会社に対するストライキのリーダーとなり、退団に追い込まれてしまった飛鳥明子さん。皆の犠牲になってしまったようで、なんとも言えない顛末でした。

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