飛鳥明子の死因は結核!夫や子供【娘】の現在は?

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NHK朝ドラ「ブギウギ」ヒロインの福来スズ子のUSKの先輩・大和礼子のモデルは笠置シヅ子さんが所属していた歌劇団の団員だった飛鳥明子さんです。

飛鳥明子の死亡時の死因、夫や子供(娘)・子孫の現在についてご紹介します。飛鳥明子さんの死因は結核?

目次

飛鳥明子の死因は結核!

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上のSNSにあるように、飛鳥明子さんはUSK梅丸少女歌劇団のモデル松竹楽劇部(現在のOSK日本歌劇団)の一期生の娘役トップスターでした。とても努力家だったのですね。

飛鳥明子さんは1907年、開業医の家に生まれました。きっと裕福なご家庭に生まれたのでしょう。

当時はまだクラシックバレエは珍しかったはず。小さな時からバレエを習っていたのではないでしょうか。

ちなみに笠置シヅ子さんは1912年生まれなので、5歳年下になります。

高等女学校卒業後に、松竹楽劇部に一期生として入団し、娘役のトップスターとして長年君臨します。

トゥシューズのつま先で踊る、トゥダンスの名手。舞台への真面目な姿勢と、ストイックすぎる努力で踊りの天才と呼ばれ、絶対的な地位を確立しました。

飛鳥明子さんには、バレエシューズが手に入らないため、足先に包帯を巻き、血をにじませながらバレエの稽古をしていた、という伝説があります。

口数も少なかったようで、その存在は圧倒的。笠置シヅ子さんも大きな影響を受けています。

そんな飛鳥明子さんですが、病気により29歳でお亡くなりになりました。

死因は結核とのことです。以降では、そんな飛鳥明子さんの夫や子供の紹介とともに、死亡の状況、死因について詳しくご紹介していきます。

飛鳥明子の夫や子供【娘】の現在は?

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若くして死亡してしまう飛鳥明子さんですが、現在のOSKである大阪松竹楽劇部を退団後、ご結婚されています。

夫は宝塚音楽学校の指揮者兼ギタリストの片野実雄さん。

飛鳥明子さんのお孫さんだという土井孝司さんの、SNSのプロフィールでわかりました。

祖母がOSK日本歌劇団初代トップスターで祖父が宝塚音楽学校の指揮者兼ギタリストで団員の代わりに宝塚の舞台に立つ 高校進学の祝いにマイルスデイビスのコンサートのチケットを頂きました

松竹と宝塚・・・どのようにして知り合ったのでしょうね?

ドラマの股野はパッとしない男性ですが、実際の旦那様は、おしゃれで素敵な方だったようですね。

旦那さまとの結婚後は振付師として後輩を指導されていたそうですが、娘を産んで間もなくの1937年、病気により29歳でお亡くなりになりました。

飛鳥明子さんが結核を患っていたことは、お孫さんの発信で判明しました。

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飛鳥明子さんが何年に退団されたのか、正確にはわかりませんが、桃色争議があったのは1933年。

たぶんこの年に退団されたものと想像できます。

そうなると退団されてから、4年後にお亡くなりになったことになります。

結婚して子供(娘さん)が生まれ、幸せの真っただ中での病気だったと思うと、とても胸が痛みますね。

ちなみにお孫さんのツイッターでは、娘さんの現在の姿がわかりました!

旦那様は、飛鳥明子さんの死後も立派にシングルファザーとして、娘さんを育て上げたんですね。

もちろん、いろいろご苦労があったようです。

しかしご子孫の方がこのように情報を発信してくれるのは「ブギウギ」で興味を持った視聴者にとってうれしいことですね。

飛鳥明子は桃色争議のリーダーだった!

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飛鳥明子さんの人生を大きく変えただろう事件。それは「桃色争議」です。

桃色争議は1933年に起こりました。大阪松竹楽劇部が創設されたのが1922年なので、11年後になります。

世の中の不況により、松竹が松竹楽劇部の一部の映画活弁士などを解雇し、全部員の賃金削減を発表したのです。

猛反対した東京松竹楽劇部の団員たちは、新聞記者たちを集めたうえで、待遇改善の要求をしました。

当時東京松竹楽劇部の男役トップスターは、一期生のターキーこと水の江瀧子さん。

なんとお美しい(≧∇≦)

水の江瀧子さんを委員長に、ストライキを決行。230名の部員たちが立てこもりをします。

上のSNSにありますが、水の江瀧子さんも飛鳥明子さんを尊敬していたそうです。

このストライキを新聞各紙は「桃色争議」と呼び、大々的に報じました。

これに乗じ、大阪松竹楽劇部も会社側に待遇改善を要求しますが、会社側は拒否。

飛鳥明子さんをリーダーに、70人ほどの団員たちが高野山に立てこもりました。このなかに笠置シヅ子さんも含まれています。

このときリーダーの水の江瀧子さんはまだ18歳。そんな若い女の子たちが、会社に立ち向かう姿は、きっと世の中に受け入れられたのでしょう。

世論は少女たちに味方し、観客たちも宝塚少女歌劇団へと流れていきます。

どんどん会社のイメージがダウンしていくことに・・・。

最終的に松竹は、週休制と最低賃金の設定を認め、少女たちの勝利で終わりました。

ですがこの騒動の責任を取る形で、飛鳥明子さんをはじめとする幹部団員たちは退団することになります。

東京の水の江瀧子さんたちは謹慎処分で済んだのですが、大阪の方は退団になってしまったのですね。

こうして飛鳥明子さんは松竹楽劇部を去っていきました。

飛鳥明子がモデルの大和礼子の死因・死亡とは?【閲覧注意】

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以降では、今後の大和礼子のブギウギでの衝撃のネタバレをご紹介していきます。知りたくない方は閲覧注意です。

大和礼子とは?

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大和礼子(やまと れいこ):蒼井優(あおい ゆう)

大阪の梅丸少女歌劇団(USK)第1期生の娘役で、劇団を引っぱるトップスター。ヒロイン・鈴子のあこがれの先輩。鈴子は踊りや歌への大切な精神を礼子から受け継いでいく。

引用元 NHK公式サイト

鈴子にとって礼子は雲の上の存在でしたが、ようやくお話することができましたね♪

お客様や同期を大切にする気持ちを、鈴子は礼子から教わりました。

鈴子の靴擦れを見て、テーピング?のようなものをくれるなど、面倒見が良いのかもしれませんね。

人物紹介によると、これからも鈴子のお手本となる存在のようです。

それにしても蒼井優さん、ダンスが優雅でとてもお上手ですよね(≧∇≦)

2歳のころからバレエを習っていて、現在もまだ続けているらしいです。

まだまだ蒼井優さんの華麗なバレエが見れそうですね♪

大和礼子の死因と死亡のネタバレとは?

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梅丸少女歌劇団の単独公演まで、あとひと月。

鈴子(澤井梨丘)は同期の幸子(清水くるみ)と辰美(片山友希)の2人と3人一緒に、デビューすることが決まりました(≧∇≦)

3人の役は水の滴の役でしたが、3人の正式な入団が決まりました。

単独公演の開幕前、大和礼子(蒼井優)は鈴子にこう言って激励します!

お客様は現実を忘れに劇場に来るって言ったけど、それだけじゃない。現実に立ち向かう力をもらいに来るの。しっかりね!

こうして梅丸少女歌劇団の単独公演は、無事終了しました。

それから6年。鈴子たちは一人前のレビューガールに成長。梅丸少女歌劇団も人気劇団となり、公演はすべて単独公演になっています。

ある日、次の公演が大和礼子の演出で行われることになりました。

大和と橘(翼和希)が中心となり、厳しい練習が始まります。

練習の伴奏は、オーケストラ志望の股野( 森永悠希)。股野は劇団のピアニストですが、生活のために歌劇団の仕事もしていました。

そんな股野は大和に想いを寄せています♪

今回の公演では、大和の願いで最後に全員でラインダンスをすることになりました。

初めてのダンスに戸惑う団員たち。大和が熱心に指導します。

そんなとき、家の都合で辰美が、家の事情で退団したいと言い出しました。

ショックを受けた鈴子が、大声で大阪音戸を歌っていると、大和は「いつかあなたの武器になるかもしれないわね」と声を掛けます。

鈴子は「つらくても一緒にがんばりたい」と辰美に言い、辰美も劇団を続ける決心をしました。

それを聞いていた大和も「誰も辞めさせたくない。みんなで楽しくやりたい。それだけ」と言い、劇団員たちは胸を打たれます。

みんなの想いが一致団結したとき!

一部の楽団員が解雇になり、劇団員や一部の社員の賃金が減額になると告げられます。

慢性的な不況のせいでした。

大和は会社と交渉するとみんなに言いますが、家計が苦しい辰美はその日に退団し、ほかにも数人が辞めていきました。

大和から嘆願書を受け取った林(橋本じゅん)は、できる限りのことはすると約束します。

会社側は団員たちに、一時金を払うことで決着をつけようとしましたが、それに失望した大和。

ストライキをみんなに呼びかけますが、お客様ファーストの橘は反対し、対立してしまいます。

実は橘は、ストライキをすることで大和の立場が悪くなることを懸念していたのです。

ですがとうとうストライキは決行されました。

このストライキは「桃色争議」と呼ばれ、新聞などにも取り上げられたため、一般人たちにも知れ渡ります。

団員たちは山寺に立てこもり、舞台の稽古を続けていました。

規則正しく礼儀正しい団員たちは、住職や地元の人たちからも応援されます。

一時金を受け取って会社に残った股野でしたが、思い直し会社を辞めると報告に来ました。

そして大和に想いを告げましたが、大和はそれどころではない・・・と。

オーケストラに挑戦すると言う股野にエールを送りました。

2週間後、会社側が折れ、要求を全面的に受け入れると報告に来ました。

ですが翌日、林は大和と橘を連れてきて、責任を取って退団するとみんなに告げます。

鈴子は猛反対し泣き出し、ほかの団員たちも泣いていましたが、退団が覆ることはありませんでした。

辰美など、一度辞めた団員たちも復帰し、新たな稽古が始まります。

大和が退団して4年経った1937年。久しぶりに大和は股野と一緒に公演を見に来ていました。実は二人、結婚していたのです(≧∇≦)

ふたりで踊りとピアノの教室を開いていました。

そのころ鈴子と辰美は幹部になり、幸子はリリー白川としてトップスターの座に。

公演後、股野夫妻と一緒に団員たちは食事を楽しみました。

ところが!突然の訃報が届きます。

股野との子どもを出産した大和が、突然亡くなってしまったのです(>_<)

そのころ鈴子には東京の梅丸からのスカウトが来ていて、迷っていました。

はな湯を離れることが怖かったのです。

ですが大和の葬儀に出た鈴子は、大和みたいになりたいと改めて思い、東京行きを決心します。

大和礼子に関するネタバレはここまでです。

 

飛鳥明子の死因とは?夫や子供についても!まとめ

朝ドラ「ブギウギ」で、蒼井優さんが演じる大和礼子は、梅丸少女歌劇団のトップスターです。

今回はこの大和礼子のモデルについて考察してみました。

個人的にモデルは飛鳥明子さんだと思います。

理由は梅丸少女歌劇団のモデル、大阪松竹楽劇部の最初のスターだったこと。

子どもを産んで間もなく亡くなっていること。

桃色争議のリーダーだったこと

苗字が大和と飛鳥で、時代の名称を使っていること。

夫は指揮者であり演奏家でもあったこと。

です!これだけ理由があれば十分かも?

ガイドブックには大和礼子の死因はありませんでしたが、史実と同じように病死するのかもしれませんね。

飛鳥明子さんのあまりにも若すぎる死に衝撃でしたが、朝ドラ「ブギウギ」でこの死の顛末がどのように描かれるのでしょうか!

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