鈴木亮平(すずきりょうへい)さん主演のTBSの日曜劇場のドラマ『下剋上球児(げこくじょうきゅうじ)』が2023年10月からスタートしました!
このドラマは社会科の「ごく普通な」教師・南雲脩司(なぐも・しゅうじ)が、弱小高校野球部の顧問・監督となり甲子園を目指す3年間の軌跡を描くストーリーです。
舞台は三重県の越山高校(えつざんこうこう)の廃部寸前の野球部。
そして、原作は同名のノンフィクション小説で実在の三重県の白山高校が甲子園出場を果たした実話をもとにしたストーリーなんです。
ということは、主人公の南雲脩司先生は、モデルが実在する?おそらくモデルは小説「下剋上球児」で白山高校を甲子園出場に導いた顧問・監督の東拓司さんだと思われます。名前の読み方は東拓司(ひがし・たくし)さんです。
今回はTBSの日曜劇場のドラマ「下剋上球児」の主人公・南雲脩司(なぐも・しゅうじ)のモデルだと思われる、白山高校の監督・東拓司さんについてご紹介です。
そして白山高校が甲子園に出場した後の、現在の東拓司さんについてご紹介。現在は昴学園の野球部で指導している??
【下剋上球児】南雲先生のモデルは東拓司監督!ヤンキー校・白山高校の弱小野球部を甲子園に導いた!
【下剋上球児】原作ネタバレ!南雲の秘密と結末は甲子園出場決定まで?
南雲脩司先生とは?下剋上球児でヤンキー校で弱小野球部の顧問に!
まずはドラマのストーリーについてご紹介です。
10月スタートの日曜劇場は
『下剋上球児』主演・鈴木亮平!
『TOKYO MER~走る緊急救命室~』
以来約2年ぶりに日曜劇場へ凱旋!日曜劇場主演2作目は
弱小高校野球部で“下剋上”!?高校野球を通して、さまざまな愛を描く
ドリームヒューマンエンターテインメント
10月、もう1つの “甲子園”が開幕・・・!高校野球を通して、現代社会の教育や地域、家族が抱える問題やさまざまな愛を描く、ドリームヒューマンエンターテインメントだ。
主人公の南雲脩司(なぐも・しゅうじ)は、三重県立越山(えつざん)高校に赴任して3年目の社会科教員。大学まで野球一筋でやってきたものの、怪我をきっかけに引退。大学中退後はスポーツトレーナーとして働いていたが、教師になる夢を捨てきれず、32歳で大学へ再入学し教師になった。教員生活を送る中、地元の大地主の孫が入学したことを機に、廃部寸前の弱小野球部の顧問を担当することになり、日常が一変する。プライベートでは2児の父であり、妻と共働きで義父と同居しており、家庭のことも積極的にこなす一面もある。
引用元:https://www.tbs.co.jp/gekokujo_kyuji_tbs/about/
主人公の南雲先生は三重県立越山高校で社会を担当しているごく普通の教師。実は、大学時代まで野球をしていたのですが、その過去を隠していました。
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そんな中、廃部寸前の野球部の顧問を頼まれ困惑する南雲先生。南雲先生には何やら秘密があるようで、その秘密から「自分が顧問をする資格」がないと思っています。
その秘密が気になるところですが、予告動画などから、南雲先生が野球部の顧問として、野球部員たちと甲子園を目指して奔走するという展開がわかっています。
南雲脩司先生のモデルは東拓司監督!ヤンキー校・白山高校の弱小野球部を甲子園に導いた!
ドラマ「下剋上球児」は同名タイトルのフリーの編集兼ライター、菊地高弘(きくちたかひろ)さんによる、ノンフィクション小説が原案となっています。
【#下剋上球児】
いよいよ10月15日スタートの #日曜劇場 下剋上球児!
原案作品である菊地高弘氏 @kikuchiplayer による『下剋上球児 三重県立白山高校、甲子園までのミラクル』第一章を公開です!ドラマの前にぜひ~ 第二回です。
書籍は好評発売中!!@base_ch https://t.co/AXoqIuh1yd— カンゼン (@KANZEN_pub) October 11, 2023
ノンフィクション小説「下剋上球児」は、2019年3月7日に発売されました。
10年連続の県大会初戦敗退だった、弱小高校の野球部の三重県立白山高校がまさかの甲子園に出場するまでの軌跡を描いた実話です。
そしてこのドラマを原案ということであくまで実話をもとにしたフィクションであると公式サイトでは紹介しています。
■原案
「下剋上球児」(菊地高弘/カンゼン刊)このドラマは「下剋上球児」(菊地高弘/カンゼン刊)にインスピレーションを受け企画しましたが、登場する人物・学校・団体名・あらすじはすべてフィクションです。
引用元:https://www.tbs.co.jp/gekokujo_kyuji_tbs/about/
あくまでフィクションだと名言していますが、小説を読む限り、ドラマの登場人物にはモデルと思われる人たちがいました。
そしておそらく、違う部分も多いですが、弱小野球部の顧問を担当したと言うことで、南雲脩司先生のモデルは白山高校の東拓司監督だと思われます。
東拓司監督は、ヤンキー校と言われていた白山高校に異動してきて、廃部寸前だった弱小野球部の顧問に就任。非常に辛い道のりでしたが、白山高校を甲子園に導いた、すごい方なんです。
先日、四日市市霞ケ浦野球場で撮影された、10月にスタートするTBS日曜劇場『下剋上球児』に当店スタッフもエキストラとして参加してきました✌️
2018年甲子園初出場を果たした白山高校がモデルとなったドラマだそうです😁
記念品の手ぬぐいは店に飾ってあります👍
今からドラマの放送が楽しみです😊 pic.twitter.com/abh7zJZBq9— 野球専門店 辻井スポーツ鈴鹿店 2F (@tsujiisportsbb) September 1, 2023
以降では、そんな東拓司監督について詳しくご紹介していきます。
【下剋上球児】南雲先生のモデルの東拓司監督の経歴とは?ヤンキー校・白山高校の弱小野球部を甲子園へ!
東拓司監督とは?白山高校に異動する前までの経歴とは?
東拓司さんは、1977年に三重県の南部・北牟婁郡紀伊長島町(現在の紀北町)に生まれます。
4歳で中勢部の一志郡三雲町に引っ越しをすると、中学は地元の三雲中に通います。ご両親は教員をされていて、優秀な成績だったお姉さんがいらっしゃいます。
久居高校に入学すると、野球部の監督の松崎さんの厳しい指導のもと、めきめきと上達していった東拓司さん。
高校時代には、県大会でベスト8、ベスト4など良い成績を収めていたものの、甲子園への出場は高い壁だったそうです。
高校卒業後は一浪して、大阪体育大学に進学。2学年上には、後にドラフト1位で巨人に進む上原浩治さんがいたそうです。
そんな中でも、大学2年生の時には、代走としてチャンスをつかみ、3年生ではレギュラーに定着する実力でした。4年生の春は全日本大学の選手権に出場していました。
ここまでは順調だった東拓司さんでしたが、体育科の教員採用試験に合格するまで6年かかってしまったそうで、それまでいろいろな学校で講師として経験を積んできたそうです。
そして29歳になった東拓司さんはついに教員採用試験に合格して、上野高校で教員生活をスタート。
上野高校では、野球部を甲子園まであと一息というレベルにまで引き上げていた東拓司さんだったのですが、突如、異動を命じられます。
公立高校の教員ということで、異動はま逃れないのですが、異動先の学校を聞いて、落ち込んだそうです。
東拓司監督がヤンキー校・白山高校へ!
東拓司さんの赴任先は、三重県の白山高校。
先ほどもご紹介しましたが、当初そんな白山高校への赴任が決まった、東拓司先生はショックを受けたそうです。
住所:〒515-3133 三重県津市白山町南家城678
いわゆるヤンキー校で周囲からの評判もあまりよくなく、「家庭教師のトライ」が発表している三重県内の公立高校の偏差値一覧によると、白山高校はもっとも低い「40」だったそう。
校内のトイレに行くと、ヤンキーが煙草を吸っているようなそんな学校でした。
当時の年齢は35歳。これから指導者として脂がのってくる大事な時期の異動先にこのような高校なんてと衝撃を受けた東拓司さん。
野球部が弱いだけでなく、教育困難校として悪評が立つ学校でした、
しかし、異動を言い渡した当時の校長に「すまん。きみの野球人生を終わらせてしまった」という謝罪の言葉にひっかりを覚えたという東拓司さん。
最初からあきらめているよな口ぶりに、指導者としての自分を否定されたようにも感じたと言います。そして逆に奮起して「やってやろう」と思ったそうです。
しかし白山高校を、甲子園どころからまともに他校と試合ができる学校に成長させることは簡単なことではありませんでした。
【下剋上球児】南雲先生のモデルの東拓司監督の白山高校を甲子園出場に導くまでの道のりとは?
下剋上球児のモデル元ネタは白山高校でドラマより過酷な道のりとは?
ドラマでは「甲子園を目指す3年間の軌跡」のストーリーとなっていますが、甲子園をあくまで目指すとあるので、甲子園に行けるのか?いけないのかは、今のところわかりません。
実際に東監督が白山高校の顧問に就任して、甲子園に出場するまでには5年の年月がかかっています。
2013年の大会から甲子園を目指して戦ってきた東拓司先生でしたが、白山高校が甲子園に行けたのは、2018年でした。
もちろん、5年で弱小学校が甲子園に行けるなんて、奇跡に近いですが、この5年は東監督によって長く辛い地道な戦いでした。
最初の数年は1回戦突破どころか「コールード負けをしない」という目標で挑むレベルだった白山高校。
しかし見事に・・・コールド負けをしてしまうことが続いていました。
そもそもひどい場所で練習をしていた野球部員たち。
東拓司先生が最初に行ったのは、練習場の整備。
耕運機で地面を耕したり、夏休みは半日以上、グランドの整備を部員たちと行っていたという東拓司先生。
しかも弱小チームの野球部員にお金など出ません。なんと東拓司先生は、奥さんに了承を得て100万円の貯蓄型の生命保険を解約して野球部の運営費に充てていたんです((+_+))
奥様も理解のある素晴らしい方だと思います。
そのお金でマイクロバスを安く購入したり、野球部の運営のために使ったそうです。
それなのに、頑張っても頑張っても、コールド負けが続いたとき、涙を流したという東拓司先生。
そんな中でも最初の年は、部員が足らず、最初は白山高校だけでなくほかの高校と連合チームを組んで試合に挑むことになりました。しかも連合チームへの白山高校からレギュラー入りしたのは、1人だけで練習を続けていた青木隆真くんだけだったそうです。
しかしこの連合チームの他校の生徒たちへの指導も熱心に行っていた東拓司監督でした。
また、部員を集めるために、中学生へのスカウト活動も積極的に行っていたと言う東拓司監督。しかしスカウトしても最初はほとんど入ってくることはなく、本当に地道な作業でした。
野球部の弱く、そしてヤンキー校として評判の悪い学校に入ろうとする生徒はいませんよね。しかしこのような地道な努力が実り、東拓司監督の努力に協力をしてくれる人も出てきて、白山高校の野球部への入部を後押ししてくれる中学生の野球の関係者も出てきたと、徐々に部員も増えてきました。
そしてやっと実力のある生徒たちが集まったところで問題が。いわゆるヤンキー学ならではの、問題児野球部員たちの存在です。
部員の中に素行の悪い、問題児軍団がいて練習をさぼったり、退部騒動を繰り返したりする問題児たち。練習中も自分たちの好きなことしかやろとしない。しかも学校でもトラブルを起こしたりしました。
しかし・・・残念なことにこの問題児たちは、実力そこそこありもっと真面目に練習をしたら、本当に伸びるという部員たちだったんです。
白山高校に来るまでは、どの顧問の先生もそうだと思いますが、野球部の生徒たちには厳しく接していた東拓司監督。今までの学校でしたら、問題児たちにも退部を言い渡していたかもしれません。しかし今まで通りに接していたら、生徒たちは「ダルい」「ウザい」と言って野球部を辞めてしまいます(^^;
そんな問題児たちの対応には手を焼いていたと思いますが、根気よく対話をしていった東拓司監督。
ちなみに最終的に甲子園に行ったときの主要メンバーには、このいわゆる問題児たちがいました。問題児だからと言って、退部させていたら、甲子園にはいけなかったかもしれません。
【下剋上球児】南雲先生のモデルの東拓司監督の現在は昴学園に!
【下剋上球児】南雲の秘密とは?過去の考察は犯罪で病気の可能性は?
そんな東拓司監督ですが白山高校を甲子園に導いた後、現在はどのような活動をされているのでしょうか??
2018年夏に甲子園では、残念ながら名門・愛工大名電に1回戦負けしてしまった白山高校。
そして県内でマークされる存在になた白山高校が再び、甲子園に行くことは難しかったそうです。
昨年の2022年に東拓司監督は、チームの指揮を後進の池山桂太コーチに譲り、「心機一転、新たな環境でやってみたい」と異動願を出したそうです。
そして新たな赴任先が三重県南部の多気郡大台町「昴学園」でした。
実は「昴学園」は、東拓司監督が教員試験になかなか受からなった時、講師として働いていた1つが「昴学園」でコーチとして当時の野球部も指導していたそうです。
昴学園は、公立高校ながら総合学科のある全寮制高校として唯一無二の学校として知られています。
まさに古巣で心機一転、指導をスタートした東拓司監督。
今後の高校野球の注目の学校となること間違いなしですね。