牧野富太郎のロシア留学計画は実話!衝撃の顛末とは?

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NHK連続テレビ小説・朝ドラ「らんまん」が、神木隆之介さん主演で2023年4月からスタートし、主人公の槙野万太郎と寿恵子(すえこ)が結婚し子供が生まれ、新たな展開を迎えています。

このドラマは、植物学者・牧野富太郎(まきの・とみたろう)をモデルに植物に一途に情熱を注ぎ続けた主人公・槙野万太郎(まきの・まんたろう)の波乱万丈な人生を描いたドラマです。

東京大学で植物学教室に出入りを許されて植物学の研究に邁進していた万太郎ですが、かねてから万太郎に対して複雑な思いを抱いていた田邊教授が、ムジナモの論文をきっかけに、万太郎の植物学教室への出入りを禁止します。

東京大学の植物学教室への出入りを禁じられるということは、万太郎が植物学の研究を続けることが不可能に近いことでした。

絶望する万太郎は・・・なんとマキシモヴィッチ博士の元で研究するために、ロシア行きを決意する展開になります!

実は万太郎のモデルの牧野富太郎さんも、東京大学の植物学教室を出禁となり、ロシア行・留学を計画した実話の史実通りの展開なんです。

今回は朝ドラ「らんまん」で万太郎のモデルの牧野富太郎さんのロシア行きの史実について、ご紹介していきます。

そして衝撃のロシア留学計画の結末についてもドラマのネタバレとともにご紹介していきます。

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目次

槙野万太郎がロシア留学を決意のネタバレとは?マキシモヴィッチ博士の元で研究!?

伊藤孝光のモデルは伊藤篤太郎!矢田部良吉教授と破門草事件で確執?

まずは牧野富太郎さんをモデルにした万太郎がロシア行を決意するネタバレをご紹介です。

万太郎(神木隆之介)は、自分のことを認めてくれるマキシモヴィッチ博士の元で研究をしようと、寿恵子(浜辺美波)と娘を連れてロシアへ行くことを決める。そして、峰屋に渡航費の相談をしようと考えていた矢先(やさき)、峰屋では腐造が起こってしまい、綾(佐久間由衣)と竹雄(志尊淳)は窮地に立たされていた。そして…さらなる苦難が万太郎と寿恵子を襲う。

引用元:https://tv.yahoo.co.jp/program/115477649

田邊教授からムジナモの論文を作成することを許された万太郎は必死に植物図を書き、論文を掲載した植物雑誌が完成しました!

しかし・・・その論文を見て田邊教授が激怒します。論文には田邊教授が期待していた田邊教授の名前が記載されていなかったんです。

自分だけの手柄にしたと万太郎に怒りをぶつける田邊教授は、植物学教室への出入りを禁止すると万太郎に告げるのでした。

万太郎は論文を書き直して、田邊教授の自宅に行き、謝罪して、許しを請おうとしますが、聞き入れない田邊教授。

田邊教授は植物図鑑を制作する予定だと言い、万太郎が図鑑を制作していたことから、やっていることがかぶるので、出入りを禁じると改めて言うのでした。

東京大学の大量の標本や書籍を利用できないことは、植物学の研究をできないことと言っても過言ではないことでした。

絶望した万太郎ですが・・・自分のことを認めてくれている、マキシモヴィッチ博士の元に行き研究をする決意をします。

マキシモヴィッチ博士とは・・・なんとロシアです。ロシアへの留学を決意をした万太郎でした。

いきなりのロシア行きという驚きの展開ですが、牧野富太郎さんも実は同じようにロシア留学を計画していた実話なんです!

以降では、牧野富太郎さんの実話のストーリーについてご紹介です。

牧野富太郎のロシア留学計画は実話!マキシモヴィッチの手紙を読んで決意!

【らんまん】娘・園子のモデルは牧野富太郎の子供で長女で驚きの史実とは?

マキシモヴィッチの手紙を読んでロシア留学を決意!

牧野富太郎さんも万太郎と同様に、田邊教授もモデルの東京大学の教授だった矢田部良吉(やたべりょうきち)から東京大学の出入りを禁じられます。

そして矢田部教授の自宅まで行き、何度も富太郎さんは植物学教室の出入りをさせてほしいと懇願しますが、聞き入れてくれません。

植物学教室の出入りを禁じられてしまった富太郎さんは、発見したばかりのムジナモの研究をする環境を失ってしまいました。

そして妻の寿衛さんが心配する声を耳に届かずに自室にこもる日々が続いたそうです。

その時、一冊の本が目に留まります。それは、富太郎さんが「日本植物学図篇」とともに送った標本の返礼としてロシア植物学者であるマキシモヴィッチから送られたもので、おそらく富太郎さんの膨大な蔵書の中に遺されていた「アジアの新植物記載」では?と言われています。

富太郎さんは本に添えられていた手紙を取り出して読みました。

そこには「あなたの描画はどれも正確で分析もすばらしい。2冊いただいた本の1冊は付属の植物園に寄贈します」と書かれていました。

この手紙を見て、富太郎さんはロシアに行き、マキシモヴィッチの元で研究する、留学をしようとひらめいたそうです。

マキシモヴィッチとは?

そんな富太郎さんがロシア行を決意して会いに行こうとしたマキシモヴィッチ博士(カール・ヨハン・マキシモヴィッチ)とは、ロシアを代表する世界的な植物学者です。

マキシモヴィッチ博士は日本を中心とする東アジアにおける植物相研究の第一人者です。

マキシモヴィッチ博士はモスクワ近郊のトゥーラで1827年に生まれます。

そしてタルトゥ大学を卒業後に1852年にサンクトペテルブルク帝立植物園標本館の研究員となりました。

1859年には中国の東北地方の植物相の超さのために、サンクトペテルブルクを出発し、中国の北部で植物採集をしていて、その時に日本が開港していることを知ります。

ウラジオストック経由で1860年に日本の箱館(現在の函館)に上陸し、約4年間、日本に滞在し箱館、横浜、長崎などを精力的に植物学の調査をおこなったそうです。

長崎の出島ではシーボルトとも出会っていたそうです。

1864年にロシアに帰国すると日本と中国で採集した植物研究の成果を論文にまとめて発表。その後は、1869年に主任研究員、1870年に標本館館長に就任。

そしてらさに1871年に科学アカデミーの正会員となりました。

富太郎さんとの交流は古く、少なくとも明治18年の1885年に、富太郎さんが佐川の岩場に自生する丸みを帯びた葉をしたマルバマンネングサ採取し、そのほかの多くの標本とともに、マキシモヴィッチ博士あてに送っていました。

その時、マキシモヴィッチ博士は富太郎さんが採取したマルバマンネングサを新種として認め、学名を発見者の富太郎さんの名前にちなんで「 “Sedum makinoi Maxim.”」と学術雑誌に発表しました。

ちなみに朝ドラ「らんまん」の第12週タイトルが「マルバマンネングサ」でこちらのエピソードもドラマで描かれました。

というように、古くから富太郎さんと交流があったマキシモヴィッチ博士。

牧野富太郎のロシア留学計画の衝撃の顛末とは?

富太郎さんはマキシモヴィッチ博士とのそれまでの、やり取りが思い浮かび、彼ならば自分の研究を正当に評価してくれると思い、気持ちが明るくなったそうです。

しかしマキシモヴィッチ博士と書籍や標本を通じて交流があったものの、研究者として受け入れてもらうためには、本人の了承を得る必要がありました。

富太郎さんは駿河台(現在の千代田区)にあるニコライ堂を思い出し、ニコライ堂・ロシア正教会の神父様を通じて依頼すればマキシモヴィッチ博士に受け入れてもらえるのでは?と思い、神父に会いに行きます。

神父は快く引き受けてくれて、マキシモヴィッチに手紙を書くと約束してくれました。そして妻の寿衛さんの了承を得て、ロシア行きを楽しみにしていた万太郎さんでした。

ところが・・・衝撃の連絡がロシアから届きます。

明治24年(1891)年春、ようやく手紙の返信が来たと喜んでいた富太郎さんですが、その内容を読んで驚きます。

その手紙はマキシモヴィッチ博士の娘さんからでした。

マキシモヴィッチ博士は、富太郎さんの不幸を心配してロシアに来るのを楽しみにしていたけれども、風邪をこじらせて急死したと言う内容でした。

富太郎さんの最後の希望は打ち砕かれ、期待が大きかっただけに落胆します。

富太郎さんのこのロシア留学は最終的になくなってしまったものの、富太郎さんにとって大きなことだったのか?自伝や富太郎さんに関する書籍のほとんどに記載されています。

自伝では、富太郎さん自身が以下のように語っています。

「私がもし当時、マキシモヴィッチ氏の下に行っていたならば、私のこの自叙伝もこの先、全く異なったものとなったわけである」

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