渡辺守綱と徳川家康の関係とは?敵から家臣になる?

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2023年大河ドラマ「どうする家康(どうするいえやす)」は、松本潤さん演じる徳川家康(とくがわいえやす)の若き頼りないころからを描いた歴史エンターテインメントです。

家康の家臣として、本多忠勝、榊原康政、石川数正など多数が登場していますが、第7回からは新キャラとして渡辺守綱(わたなべ・もりつな)が加わりました。

演じているのは、ドラえもんの「ジャイアン」の声優としてもお馴染みの木村昴(きむらすばる)さんでしたね。

「槍半蔵(やりはんぞう)」の異名を持つ渡辺半蔵守綱(わたなべはんそうもりつな)。その登場シーンがかなり話題になりましたが(;^_^A

松本潤さんの頭を叩くシーンとかびっくりしましたよね笑

そんな渡辺守綱ですが、家康の家臣の中でもさほど有名ではないためご存じでない方も多いと思います。

果たして、史実の徳川家康との関係性はどうだったのでしょうか?三河一向一揆では、敵対するようですが・・・のちに家臣になる??

今回は大河ドラマ「どうする家康」の渡辺守綱の史実のエピソードと徳川家康との関係についてご紹介します!

目次

渡辺守綱とは?どうする家康では徳川家康の頭を叩く衝撃の登場!

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木村昴さん演じる渡辺半蔵守綱(わたなべはんぞうもりつな)は、第7回「俺の家から」登場しました。

武芸達者な家に生まれて、戦場では先方を務める大男で、向こう見ずな性格で槍を振り回し「槍の半蔵」の異名を持っています。

おしゃべり好きで豪放磊落な性格なのですが、登場直後からその性格がよく表れていましたね(^^;)

第7回では、松平家康(松本潤)が、本多忠勝(山田裕貴)、榊原康政(杉野遥亮)とともに、一向宗の本證寺(ほんしょうじ)に農民の姿で偵察に行く姿が描かれました。

熱心な一向宗徒の守綱とそこで遭遇した家康たち。

しかし守綱は、その見すぼらしい男が家康であることには気づきません。

「きたねえ連中だな。そんな面じゃ。女にもてんぞ!顔くらい洗え、あほたわけ!!」

そう言って家康の頭を叩いてしまうのでした(;^_^A

家康が反抗しようとするも、身分を明かすわけにはいきません。

すると守綱は「何だその物言いは?」とさらにいちゃもんをつけてきました。

「俺を誰だと思っとる。渡辺守綱様だぞ!!はっはっはっ・・・」

そう言って家康の首をじゃれあって絞めてしまうんです(・_・;)

なんとか耐えた家康でしたが、「禄を取り上げてやろうか!」と怒っていましたね笑

一方、守綱も「どこかで見たことある顔だな?」と言ってましたが、家康であることに結局気づきませんでした。

守綱が気づいたとき、どうなるのか・・・ちょっと楽しみですよね( *´艸`)

そんな木村昴さん演じる渡辺守綱の登場シーンは、ツイッターでもかなり大きな反響があったので以降でいくつかその声を紹介します。

渡辺守綱はまるでジャイアン?と話題!

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皆さんよくご存じかと思いますが、木村昴さんは人気アニメ「ドラえもん」でジャイアンの声を担当しています。

そのジャイアンのキャラを意識したかのような、登場シーンのセリフにツイッターでは放送中から大反響で「ジャイアン」がトレンド入りするほどでした。

まさに、ドラえもんの世界ののび太とジャイアンが、家康と守綱の関係になったような感じで笑

私も第7回の印象に残ったシーンの一番は、木村昴さん演じるジャイアン守綱でしたね( *´艸`)

そんな渡辺守綱は、第8回では三河一向一揆に関わっていくことになります。

熱心な一向宗徒の守綱は、一揆側に付き主君である家康に槍を向けることになるのです!

8話の冒頭では、自分が家康の頭をたたいてしまったりしたことに気づいた渡辺半蔵守綱。さすがに焦っていましたね。

そして一揆が終息したのちは、反旗を翻した罪は許されて、家康に誠意を尽くしていく家臣として活躍していくことになります。

そんな木村昴さん演じる渡辺半蔵守綱ですが正直、本多忠勝などと比較すると知名度が少し低いような(^^;)

そのためあまりご存じでない方も多いと思います。

以降で、渡辺守綱についての史実と家康との関係について詳しくご紹介していきます。

渡辺守綱と徳川家康の関係とは?敵から家臣となり活躍?

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渡辺半蔵守綱は、槍一筋で戦い続け家康に仕えた武将として知られています。

徳川家康の家臣として「徳川十六神将」という、16人の人物がいるのですが、渡辺守綱はそのメンバーにも数えられているんですよね。

1542年に松平家の家臣渡辺家にて誕生した守綱は、家康と同い年です。

ちなみにその先祖は、平安時代中期に京の大江山の酒呑童子を倒した伝説のある渡辺綱(わたなべつな)とも言われているそう。

守綱は今川の人質時代の家康にも仕えており、1558年、今川氏と織田の家臣・水野信元との戦いで初陣を果たしました。

1562年の家康が敗北した八幡村城を攻めた戦いでは、守綱が陣の最後方である殿(しんがり)を務めあげ、見事撃退したなんて逸話も!

そして現在ドラマで描かれている三河一向一揆の際には、熱心な一向宗徒だったため、主君の家康と対立関係になるんです。

一度は守綱は家康との関係は悪化してしまうんですね。

しかし一向一揆鎮圧後には、家康は守綱ら反旗を翻した武将の罪を許してあげます。

その恩に報いたのか、以降の守綱は槍一本で「姉川の戦い」「三方ヶ原の戦い」「長篠の戦い」など様々な戦で活躍をしました。

1600年の関ヶ原の戦いでは、当時59歳で足軽頭に過ぎなかったもの、その功績が評価され家康から南蛮胴具足を授けられるなど、家康の信頼は厚かったようです。

その後は名古屋藩の付家老となり、1万4千石を与えられた守綱。

付近で起きた洪水を止めるために、堤防を築いて農民から大変感謝されたというエピソードもあります。

1615年の大坂の陣にも70歳を超えて参戦しました。

そして、家康が亡くなった4年後の1620年、79歳という当時としてはかなりの高齢で亡くなったとされています。

槍一筋で、立身出世にはあまり興味はなく、高齢になっても戦場に出ていた渡辺守綱。

一時、三河一向一揆で家康とは対立関係になったものの、その後は生涯に渡って家康を支えた忠臣といっても過言ではないと思います!

そんな守綱のお墓は、愛知県豊田市の守綱寺にあるそうですよ。

 

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今回は「どうする家康」で木村昴さん演じる渡辺守綱についてご紹介しました。

初登場シーンからジャイアンを彷彿させるキャラで大盛り上がりだった守綱(^^;)

三河一向一揆では家康と対立関係になりますが、その後は許されて生涯に渡り槍一本で家康を支えていくことになるんです!

気になるのは、ドラマの中では家康の頭を叩いたこと笑

史実ではそんなことはしていないと思いますが(;^_^A

二人の関係性がどう修復されていくのか、今後の展開が個人的にはとっても楽しみですね!

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