朝ドラ「ブギウギ」は笠置シヅ子さんがモデルの福来スズ子の母親の花田ツヤが病気になり、死亡フラグ?と話題になっています。今回は鈴子の母親のモデル・笠置シヅ子さんの母親の亀井うめさんについて生涯、そして病気の病名・死因についてご紹介します。
笠置シヅ子の母親・亀井ウメは養母だった!
羽鳥善一【はとりぜんいち】のモデルは?『ブギウギ』で草彅剛が服部良一を演じる!
朝ドラ『#ブギウギ 』第28話📺
スズ子の渾身の #バドジス が楽しみです!「ラッパと娘」は、#服部良一 が #笠置シヅ子 のスイングに魅力を感じて書き下ろした名曲です🎵
ぜひオリジナルを聴いて戦前のスイングを体感してみてくださいね💃
▼視聴はこちらhttps://t.co/nyMT9WE7j7#趣里 #草彅剛 pic.twitter.com/n9uwTXaIoo
— 笠置シヅ子とブギウギの時代 (@kasagi_boogie) November 7, 2023
ブギの女王と呼ばれた大スター、笠置シヅ子(かさぎしづこ)さんをモデルにした、趣里(しゅり)さんが演じるスズ子(すずこ)がヒロインの朝ドラ「ブギウギ(ぶぎうぎ)」。
水川あさみ(みずかわあさみ)さんが演じている、スズ子の母親、ツヤ(つや)は、実は血のつながりはなく、育ての母親であったことが描かれました。
ツヤは体調を悪くしていて、SNSでもみなさん心配しているようですね。
そこで今回は、ツヤのモデル、亀井うめ(かめいうめ)さんの生涯について調べてみました!
笠置シヅ子さんの育ての母親だった亀井うめさん。笠置シヅ子さんを育てることになった経緯や、病気と死因とは?
「ブギウギ」ツヤの今後のネタバレと一緒に、ご紹介させていただきます!
亀井うめは養母
笠置シヅ子さんさんにとって、母親は2人います。ひとりは産みの親で、もうひとりは育ての母親です。
笠置シヅ子さんは1914年、香川県大川郡相生村(現:東かがわ市)黒羽で生まれました。
産みの母親は谷口鳴尾さん。
和裁を習うため、住み込んでいた家の跡取り息子と恋に落ち、笠置シヅ子さんを身ごもりますが、その家から結婚を反対され、鳴尾さんは実家に戻ります。
笠置シヅ子さんがどこでどのように生まれたのか、はっきりとはわかっていません。
笠置シヅ子さんの自伝によると、ご自身もご存じなかったようです。
笠置シヅ子さんの実の父親、三谷陳平さんは、その前後で病死されています。
母乳を与える
笠置シヅ子さんを産んだ鳴尾さんですが、母乳の出が悪かったといいます。
そのころ近所に、出産のため大阪から帰省していた、亀井うめさんがちょうど次男を出産し、笠置シヅ子さんにも母乳を与えていました。
当時母乳を他人の子にあげるのは、地域での助け合いということで、一般的に行われていたそうです。
亀井うめさんの実家は、手袋などを作っていた裕福な家。引田にあるので、鳴尾さんのご実家もこの近くだと思われます。
笠置シヅ子さんは実の母より、お乳をくれる亀井うめさんに、なついていたといいます。
すっかり情が移った亀井うめさんは、大阪に連れて帰ろうか、など冗談っぽく言っていたそうです。
義理と人情
その後の経緯はよくわかりませんでしたが、結局亀井うめさんが笠置シヅ子さんを引き取り、大阪で育てることになります。
夫のいない鳴尾さんを不憫に思われたのでしょうか。女で一つで乳飲み子を抱え、生きていくのは大変です。
なにしろ鳴尾さんは当時まだ20歳前でした。
亀井うめさんも男の子2人を出産していたので、女の子がカワイイと思ったのかもしれませんね。
おそらく朝ドラ「ブギウギ」ツヤのような人物で、義理人情に厚くしっかりもので、姉御肌の女性だったのではないでしょうか。
こうして笠置シヅ子さんは生後6か月にして、亀井うめさんに引き取られ、長女として大阪で暮らすことになりました。
笠置シヅ子を長女として育てる
大阪に戻った亀井うめさん。夫は同郷の亀井音吉さんで、お米などの販売をしていたそうが、のちに銭湯の経営に変わりました。
いきなり双子を連れた亀井うめさんでしたが、音吉さんも養父として育てることに同意。
音吉さんは遊び人で、芸事が好きで、ギャンブルもしていたとか。でもきっと根は良い人だったのでしょう。
一家の大黒柱として、しっかり者の亀井うめさんが、家のことを切り盛りしていたようです。
芸事が好きだった両親の元、自分は養女だとは知らず、愛情いっぱいに笠置シヅ子さんは育てられました。
亀井家の長男と、笠置シヅ子さんと同時期に生まれた次男は、幼い時に亡くなってしまいます。
その後に生まれた三男、八郎さんと2人姉弟として、笠置シヅ子さんはすくすくと育ちました。
笠置シヅ子の母親の死因とは?病気の病名は?
茨田りつ子【いばらだりつこ】モデルは淡谷のり子!ブギウギで菊地凛子が演じる
笠置シヅ子への愛情
亀井うめさんは、笠置シヅ子さんを愛情いっぱいに育てました。
18歳のころ、笠置シヅ子さんは実母に会っていますが、母は実母だと名乗らず、笠置シヅ子さんもこのことは亀井夫妻に伝えていません。
自分を大事に育ててくれた、ご夫婦への配慮だったのでしょうね。
笠置シヅ子さんは1938年、東京の松竹楽劇団に入団することになり、家を出て上京することになります。
朝ドラ「ブギウギ」では最初ツヤが反対しました。スズ子を手放したくなくて・・・。
これも恐らく実話だと思います。
笠置シヅ子さんの自伝によると、笠置シヅ子さんが上京する前の晩、亀井うめさんはここのように言っていたそうです。
あんたを手放す決心がついたからには、いつまでも気を長くして、出世を待ってるよって、わたしや家のことは心配せんと、しっかり精を出しなさい
亀井うめの死因と病気の病名とは?
実はこのとき、亀井うめのさんはすでに胃がんの兆候があり、歩行困難でした。ドラマから察すると、腰痛による歩行困難でしょうか?
亀井うめさんは笠置シヅ子さんが旅立つ前の夜、うなぎ屋に連れて行き、めずらしく丼を平らげたそうです。
笠置シヅ子さんの自伝には「胃がんの兆候」とあるので、このときはまだ胃がんかどうかわからない状況だったのかもしれません。
そして笠置シヅ子さんが東京に行ってから、亀井うめさんは寝たきりになります。
笠置シヅ子さんの自伝によると、「胃がんと心臓を患って寝たきりとなる」とありました。
笠置シヅ子さんが東京に言ってから、さらに容態が悪くなり、寝たきりになってしまったのでしょう。
笠置シヅ子さんは給料のほとんどを家に仕送りしていました。
きっと亀井うめさんに良い治療を受けさせ、回復を願っていたのでしょう。
もっと仕送りの額を増やしたくて、移籍話に乗ってしまいました(;^^)
もし本当に移籍していたら、義理と人情の厚い亀井うめさんに叱られたかもしれません。
笠置シヅ子さんの育ての母親、亀井うめさんの正確な死因はわかりませんでしたが、朝ドラ「ブギウギ」で、亀井うめさんをモデルにしたツヤは、腰が痛いと言ってたので、こらが正しければ胃がんで亡くなったのかもしれません。
母親との別れ
亀井うめさんは1939年9月にお亡くなりになりました。笠置シヅ子さんが東京に出て、1年後のことです。
亀井うめさん危篤の電報を受け取った笠置シヅ子さん。
周囲は帰郷を勧めましたが、自分がいなくなると、舞台での代役がいません。
断腸の思いで、笠置シヅ子さんは舞台に出ることを決意します。
この時の気持ちをこう表現しています。
「胸のうちは焼けつくばかり」
どれほど亀井うめさんに会いたかったことか。
でもプロとして舞台に穴をあけるわけにはいかない・・・そう思ったのでしょう。
結局笠置シヅ子さんが帰郷できたのは、亀井うめさんの四十九日の法要でした。
ブギウギで母親のツヤは死亡する?今後のネタバレは?
笠置シヅ子の弟の亀井八郎の死因は戦死?ブギウギの六郎のモデル
朝ドラ「ブギウギ」第8週目のサブタイトルは「ワテのお母ちゃん」です!
ここからネタバレです。
第二次世界大戦が始まろうとしていて、食料供給も減り人々の暮らしに影を落としていきます。
舞台の活動も息苦しさを感じるようになってききたころ、ツヤ(水川あさみ)は床に臥せるようになってきていて、大きな病院で診てもらった方がいいと言われています。
六郎( 黒崎煌代)にはついに赤紙が!「ワイにもちゃんと来たで!」と無邪気に喜ぶ六郎に、ほほ笑むツヤ。
六郎は頭を丸め、恥ずかしそうにしています。
熱々先生(妹尾和夫)が連れてきた医者が、ツヤを診て、こう告げます
「手の施しようがない」
風呂屋売り払っても金はなんぼでも払うから、助けてください、と懇願する梅吉(柳葉敏郎)を、ツヤは叱責します。
「しっかりし!スズ子(趣里)と六郎には言うたらあきまへんで!」
ツヤは覚悟ができていました。
ツヤの病気の重さを知らない六郎は、落ち込む梅吉の前でふざけてはしゃいでしまい、梅吉を怒らせてしまいます。
六郎はスズ子に会うため、予定より少し早く入隊に向け出発。
布団を並べて姉弟で一緒に寝て、翌朝六郎は出征していきました。
ある朝、公演真っ最中のスズ子のもとに「ハハ キトク」の電報が届きます。
ですが気がかりなスズ子は、いつものように歌えません。事情を知った善一(草彅剛)は、判断をスズ子に任せます。
スズ子は舞台をやり通す決心をして、いつもより鬼気迫る雰囲気で歌い上げ、公演をやり遂げました。
大阪に駆け付けたスズ子。弱ったツヤを見て号泣し、そんなスズ子はをツヤは優しく撫でます。
受け止められないスズ子は、もっといい病院に入院させれば・・・と梅吉に言いますが・・・。
アホのおっちゃん(岡部たかし)が、ツヤのために一週間もかけ、桃を探してきました。
ツヤの看病をしていたスズ子でしたが、いつの間にか眠ってしまいます。
翌朝目を覚ましたスズ子は、信じられない光景を目にします!
ツヤが起き上がっていたのです!
「久しぶりに番台入るで!桃食べたらえらい元気でたわ!」
ですがそれも束の間のことで、またツヤは床に臥せてしまいます。
明るくツヤに話しかけるスズ子と梅吉。スズ子は「恋は優し野辺の花よ」歌い、梅吉は泣きながら手拍子をします。
ツヤは穏やかに笑顔を浮かべ、天に召されていきました。
というのが、ツヤの最期のネタバレでした。
現在わかっているあらすじでは、ツヤの死因はわかっていませんが、おそらく胃がんが死因ではないでしょうか。
実話では心臓も患っていましたが、ドラマではそのことは描かれないのかもしれません。
史実では笠置シヅ子さんは、最後に亀井うめさんに会えませんでしたが、「ブギウギ」ではちゃんと見送れて、良かったな~と思います。
笠置シヅ子の母親・亀井うめの死因や病気・生涯のまとめ
作詞家・藤村薫のモデルは野川香文?ブギウギで宮本亞門が演じる!
ブギの女王、笠置シヅ子さんを育てたのは、養母となる亀井うめさんです。
亀井うめさんは笠置シヅ子さんが東京に行く前から、胃がんの前兆があり、歩行困難に陥っていました。
それでも前の晩にはうなぎを平らげ、自分と家のことは心配せず、精進しなさいと送り出しています。
それから1年後くらいに、亀井うめさんはお亡くなりになりました。
死因ははっきりしていませんが、胃がんのほかに心臓も患っていたとのこと。
実の我が子2人を幼いころになくし、笠置シヅ子さんを長女として育て、弟ともに愛情いっぱいに育てました。
自分のために舞台に穴を空けなかった、笠置シヅ子さんを誇りに思ったに違いありません。
亀井うめさんはきっと「ブギウギ」のツヤのように、義理と人情に厚く、愛情深く、しっかり者の女性だったのだと思います。