茨田りつ子【いばらだりつこ】モデルは淡谷のり子!笠置シヅ子との関係とは?

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朝ドラ「ブギウギ」で菊地凛子さん演じる茨田りつ子のモデルは別れのブルースで知られる淡谷のり子さんです。読み方は「いばらだりつこ」!モデルの淡谷のり子さんと笠置シヅ子さんの関係などをご紹介!劇中の茨田りつ子(いばらだりつこ)の歌は誰が歌っている?

目次

茨田りつ子【いばらだりつこ】のモデルは淡谷のり子!「別れのブルース」がヒット!

ブギウギ鈴子は養女!実母がなぜ手放したか実話から

モデルは淡谷のり子!実家が破産し上京!

茨田りつ子【いばらだりつこ】のモデルは実在の歌手・淡谷のり子さんです。

淡谷のり子さんは1907年、青森の豪商「大五阿波屋」の長女として誕生しました。

笠置シヅ子さんは1914年生まれなので、7歳年上になります。

裕福な家に生まれましたが、生まれてから3年後に青森で発生した大火災により、店が全焼してしまいます。

再建を試みますが、父親の放蕩癖により、結局淡谷のり子さんが10代のときに破産してしまいました。

前回の朝ドラ「らんまん」主人公の万太郎(神木隆之介)を思い出しました(笑)

父親に愛想をつかした母親みねさんが、1923年に淡谷のり子さんと妹を連れ上京。淡谷のり子さんが17歳のころです。

東京音楽学校に進学し声楽科へ!

淡谷のり子さんを東洋音楽学校(現在の東京音楽学校)に進学させました。

当時淡谷のり子さんは、日本人で初めて世界的に名前が知られたオペラ歌手、三浦環さんの大ファン♪

朝ドラ「エール」では、柴咲コウさんが演じた双浦環のモデルです。

淡谷のり子さんも音楽教師になり、余暇でクラシック音楽を楽しみたいと思っていました。

母親のみねさんも、声楽科を希望していたのですが、校長から「難しくてできないよ」と言われ、ピアノ科に入学することになります。

入学して間もないころ、荻野綾子先生の講義で、全員が教則本の歌を歌った後、荻野先生から呼ばれた淡谷のり子さん。

数日後に声楽科への編入試験があるので、受けなさいと勧められました。

その編入試験に挑戦するのは17人でしたが、合格者はなんとひとり!

淡谷のり子さんは「嫌です」としり込みしましたが、荻野先生の熱心な勧めにより、受験する決心を。

そして見事合格したのです(≧∇≦)

ピアノ科から声楽科へ編入し、荻野先生の指導の元、クラシック音楽の基礎を学び、オペラ歌手を目指すようになりました。

荻野先生はとても淡谷のり子さんを可愛がり、いろんなところに連れて行ってくれたそうです。

「あなたの声がとても好きなのよ」

そう荻野先生は淡谷のり子さんに言ったそうです。

ヌードモデルで売れた!?

その後実家の暮らしが厳しいものとなり、淡谷のり子さんは1年ほど休学し生活費を稼ぐようになります。

何人かの画家の絵画の裸婦モデルをしていたそうです。のちに「当時私ほど売れたヌードモデルはいないの。多分肌の白さが気に入られたんでしょうね」と語っておられます。

ヌードモデルの過去は普通隠したいと思いませんか?逆に自慢しちゃうのが淡谷のり子さんです(≧∇≦)

その画家のひとり、田口省吾さんが学費を捻出するなど、サポートをしてくれました。

淡谷のり子さんが復学したとき、荻野先生はフランスに行っていたため、後任として久保田稲子さんを指名。

久保田先生は、淡谷のり子さん1人だけを教えることになります。

歌手活動をスタート!服部良一との出会い

こうして淡谷のり子さんは声楽科を首席で卒業し、その年の春に行われた「オール日本新人演奏会」にて、母校を代表し「アガーテのアリア」を熱唱。

「10年に1人のソプラノ」と絶賛されました。

卒業後も母校に残り、研究科に籍を置いていました。クラシック歌手としても活動していましたが、生活のため流行歌も歌うようになります。

やがて流行歌手となった淡谷のり子さん。1931年にポリドールから日本コロムビアに移籍し、映画の主題歌など外国のポピュラーソングを吹き込みました。

この年にピアニストの和田肇さんとご結婚されますが、4年後に離婚しています。

同じ日本コロムビアに在籍していた服部良一さん。朝ドラ「ブギウギ」では草彅剛さんが演じます♪

「別れのブルース」のヒットでブルースの女王に!

服部良一さんは、淡谷のり子さんにブルースの楽曲を作りました。淡谷のり子さんの声を気に入り、日本のブルースを歌わせたいと思ってのこと。

最初淡谷のり子さんはこう反発したそうです。

「私はソプラノよ。こんな低い音、アルトでも無理じゃない」

ですが服部良一さんは、このように淡谷のり子さんを説得。

「ブルースは魂の声だ。マイクに近づいて、この音程で歌ってもらいたい」

こうして出来上がったのが「別れのブルース」♪日本ではあまりヒットしませんでしたが、満州で大ヒット!

やがて海を越え、長崎、神戸など港づたいに曲が広まっていき、ついに東京で大ブームとなりました。

今でいう逆輸入ですね。

この「別れのブルース」レコーディングのため、淡谷のり子さんは一晩中タバコを吸い、わざと喉を潰したそうです。

すごいプロ根性ですね~(≧∇≦)

こうしてブルースものを次々とヒットさせ、淡谷のり子さんは「ブルースの女王」と呼ばれるようになりました。

戦時中でも厚化粧で自分を貫いた!

きらびやかなドレスを纏い、厚化粧でステージに立つことから、戦時中は笠置シヅ子さん同様軍から目をつけられていたという淡谷のり子さん。

1939年ころからは軍の命令にも従わなくなります。

禁止されていたパーマをかけ、厚化粧を注意されても「素顔で出たら目がどこにあるのかわかりません。目の位置を表す化粧です」と返したといいます(;^^)

慰問先では軍歌は絶対に歌わず、ブルースなどを歌っていました。

これから戦地に赴く兵士たちは、惜しみない拍手を送り、強く手を握って旅立って行ったそうです。

ある戦地では「別れのブルース」を聞きたがる兵士がたくさんいて、当時はこの曲は発禁だったため、将校は黙って立ち去り、曲を披露できたという逸話も。

また捕虜となった英米人に向け、英語で歌うこともあったという淡谷のり子さん。

日本に戻ってから、数センチの始末書を欠かされたそうです(;^^)

戦後から最期まで

戦後はレコード会社の移籍を繰り返しながら、ファルセットで歌うようになった淡谷のり子さん。

1953年に第4回NHK紅白歌合戦に初出場。しかもトリを務めました(≧∇≦)第1回目以外で、初出場でトリを務めたのは、長い歴史でも淡谷のり子さんただ一人なんだそうです!

その後バラエティ番組や歌番組などに登場するようになり、辛口コメントが話題になるように。

ご自身がとっても努力家なため、周囲にも厳しかった淡谷のり子さん。

1980年代には「ものまね王座決定戦」で審査員として登場。いつもふざける清水アキラさんへの、辛辣なコメントが話題になりました。

清水アキラさんも、わざと怒られようとしていたと思いますが(笑)

CMでも話題を呼びました。

「かねさ味噌」のCMでは、津軽弁で「大した、たまげた。津軽三年」が大きな話題に。

テレビドラマにも数回ご出演されました。

85歳で新曲を出すなど、ずっと歌手としても活動しておられましたが、1993年に脳梗塞で倒れてしまいます。

1996年には寝たきりとなりましたが、この年に後輩たちが淡谷のり子さんの米寿記念コンサートを企画。

最後に全員で歌った「聞かせてよ愛の言葉を」が、淡谷のり子さんの公での最後の歌声となりました。

1999年老衰のため、92歳で死去。

和田肇さんと離婚後、再婚はしませんでしたが、娘がひとりいます。和田肇さんの娘ではないそうです。

父親の名前は、生涯口にすることはありませんでした。

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ブギウギで菊地凛子が演じる!

朝ドラ「ブギウギ」では茨田りつ子を女優の菊池凛子さんが演じます!

茨田りつ子 (いばらだ りつこ)とは?

モデルは青森出身の歌手で“ブルースの女王”と呼ばれた淡谷のり子さん。りつ子が歌う『別れのブルース』をラジオで聞いた鈴子は、感銘を受け憧れる。やがて二人は生涯の良きライバルとして、時に競い合い、時に支え合いながら芸能の世界を生きていく。

引用元 NHK公式サイト

菊地凛子 Rinko Kikuchi
神奈川県出身。映画『生きたい』(99年)にてスクリーンデビュー。『BABEL』にてアカデミー助演女優賞を含む多数の映画賞にノミネートされる。映画『パシフィック・リム』シリーズなど海外の作品にも多数出演。22年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にて主人公の3人目の妻、のえ役で出演。活動の幅を広げている。

引用元:http://www.rinkokikuchi.com/#biography

1996年にラフォーレ原宿でスカウトされたことがきっかけで芸能界入りし、当初はモデル活動をしていた菊池凛子さん。

そして1999年に新藤兼人監督映画『生きたい』で女優デビュー。

2004年に出演した石井克人監督の映画『茶の味』はカンヌ映画祭で監督週間オープニング作品になりました。

そんな菊地凛子さんが注目されたのが2006年のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の映画『バベル』。

この映画では、女子高生役を演じ、その演技力が絶賛されアカデミー助演女優賞を含むいくつかの映画賞にノミネートされたことから、日本でも注目されます。

そして、最終的にナショナル・ボード・オブ・レビュー新人女優賞、ゴッサム賞新人女優賞を受賞します。

以降、国内外の作品に出演する女優として注目されるように。

プライベートでは、2015年には俳優の染谷将太さんと結婚を発表し、2人のお子さんがいらっしゃるママでもあります。

菊地凛子さんは映画女優のイメージが強いですが、Rinbjö(リンビョウ)名義で歌手活動もされています♪

菊地凛子さんのコメント

当時の厳しい時代を生き抜いた表現者を演じられるこの機会に、心から感謝しております。
モデルは淡谷のり子さん、私が幼い頃に見ていた彼女は、強さとはかなさを合わせ持った少女のような方だった印象があります。彼女の生き様を体現できる機会に巡り会えたことの喜びに浸っております。
今から、この魅力あふれる世界に飛び込む事が楽しみでなりません。趣里さん演じる鈴子さんの大きな旅を近くでみられるこの時間を大切に過ごしたいと思います!
不器用な私ですが、どうかみなさんに応援してもらえるように、精一杯頑張りたいと思います。そして、少しでも、自分が思いもよらない、すてきな時間に出会えますように。
どうぞ、皆さんよろしくお願い致します!!

引用元 リアルサウンド

ブギウギのネタバレとは?

茨田りつ子が朝ドラ「ブギウギ」に登場するのは、2023年11月1日放送の第23話。

梅丸少女歌劇団での自分の今後について、悩んでいたスズ子(趣里)。そんなとき、ラジオから流れてきたのが茨田りつ子が歌う「別れのブルース」♪

スズ子はその歌に感銘を受けファンになります。

しかしその後、出会った茨田りつ子は、スズ子に「あの下品な歌を歌ってるお嬢ちゃん?お化粧も下品だけど、素顔は誰だかぜんぜんわからなかったわ。お芋さんみたいなお顔じゃない」と痛烈な言葉を浴びせ、第一印象は最悪でした。

しかし、その後、戦争が激化し、梅丸歌劇団が解散になり、独立して歌手活動を継続していた鈴子は、茨田りつ子と合同でコンサートを開くことになります。

菊地凛子さんがどんな茨田りつ子を演じ、どんな歌声を披露してくれるのか、とても楽しみです(≧∇≦)

淡谷のり子と笠置シヅ子との関係とは?戦時中の合同コンサートは実話?

治郎丸菊三郎【ブギウギ】実在モデルは三谷陳平で笠置シヅ子の父親

比較された2人の女王

笠置シヅ子さんが「ブギの女王」、淡谷のり子さんは「ブルースの女王」と呼ばれた、戦後を代表するおふたりの歌手。

明るく踊りながら歌う笠置シヅ子さんと、哀愁たっぷりに歌い上げる淡谷のり子さんは、ライバル的な位置にいました。

ふたりはこんなことでも比較されたそうです。

■声楽科出身と少女歌劇団出身

■豪商の娘と銭湯の娘

笠置シヅ子さんからしてみると、ほっといて!という感じだと思いますが(笑)

服部良一と共通点

おふたりとも服部良一さんの楽曲を歌っています。

1937年に淡谷のり子さんの「別れのブルース」が発売され、翌年に服部良一さんは笠置シヅ子さんと出会っています。

一方共通点もあります。

それはゆるぎない反骨精神と努力家であったこと。おふたりとも日々の努力は惜しまなかったといいます。

淡谷のり子さんは、努力をしない人にも厳しかったようです。

戦時中は軍歌を歌わず、軍の命令に背いているところも同じ。

さらに娘がひとりいること。どちらも父親はいません。笠置シヅ子さんは娘が誕生する前に病死しており、淡谷のり子さんは父親を公表していません。

実際のおふたりの関係について、あまり情報はありませんでした。

戦時中の合同コンサート

ドラマでは茨田りつ子とスズ子が2人で、戦時中の締め付けが厳しい中、合同コンサートを開きます。

これは実話なのでしょうか?ドラマでは、1941年12月8日のアメリカとの開戦の後に合同コンサートが行われましたが、実話ではその直前に、笠置シヅ子さんが「笠置シズ子とその楽団」を結成した後、淡谷のり子さんとコラボして、「松竹楽劇団」の本拠地であった邦楽座で「タンゴ・ジャズ合戦」を開催していました。

笠置シヅ子さんの楽団のマネージャーも淡谷のり子さんからの紹介だったので、つながりは深かったのかな?と思います。

友人同士だった

戦中戦後の辛い時期を一緒に過ごした仲間であり、有人であったといい、晩年まで友人関係が続いたそうです。

ときに淡谷は辛辣に笠置を批評することもあったが、お互いを知り尽くした友人同士として晩年まで交流を続けた。淡谷は笠置の家に遊びに来るたびに娘のエイ子に「お母さんに感謝しなさいよ」と言っていたという。

引用元 リアルサウンド

笠置シヅ子さんのモノマネをしていた、当時11歳の美空ひばりさんのことを「大嫌い」発言したことも(;^^)

「淡谷のり子さんのステージの前に出演させてくれ、と言われ、笠置シヅ子のモノマネを歌われて、私のステージはめちゃくちゃよ」

と語っていたそうです(笑)

好き嫌いがハッキリしている淡谷のり子さん。きっと笠置シヅ子さんとは、いい友情関係を築いていたのだと思います。

このように、淡谷のり子さんと笠置シヅ子さんは、同じ時代を歌手として生きてきた同士であり、友人だったものと思います。

茨田りつ子【いばらだりつこ】の劇中の歌は誰が歌っている?

そんな中、「ブギウギ」での茨田りつ子【いばらだりつこ】のコンサートでの歌声など、誰が歌っているのか?演じている菊地凛子さんなのか?吹替なのか?話題になっていましたが、判明しました!

なんと菊地凛子さん自らが楽曲を歌っていたんです。

今後も茨田りつ子の歌唱シーンは多々あると思うので、菊地凛子さんの歌う「別れのブルース」などのヒット曲にも注目ですね。

茨田りつ子がjujuと似てると話題に

個性的なキャラクターの「ブギウギ」の茨田りつ子ですが、ある人気歌手とと似てると話題になっています。

人気アーティストの「JUJU」さんに似てる!!というか、JUJUが演じていてもよかったのでは?という声まで出てきています。

メイクの雰囲気もそっくりですよね!しゃべり方まで似てるという声もあるので、ぜひチェックしてみてください。

まとめ

朝ドラ【ブギウギ】時代背景と時代設定・年代を時系列で!大正時代からスタート?

朝ドラ「ブギウギ」に、菊地凛子さんが演じる茨田りつ子が登場します!

モデルは笠置シヅ子さんと同時期に「ブルースの女王」と呼ばれていた淡谷のり子さん!

淡谷のり子さんは青森の豪商の家に生まれましたが、火事により没落。ぐうたら旦那(;^^)に愛想をつかした母親が、淡谷のり子さんとその妹を連れ上京。

淡谷のり子さんを東洋音楽学校に入学させ、そこで素晴らしい声が先生に認められ、学校を首席で卒業します。

ですがクラシック音楽では食べて行けず、流行歌を歌うように。

その声を服部良一さんに気に入られ、ブルースを歌うようになりました。

ブルースの女王と呼ばれ、戦前、戦中、戦後と自分の意思を貫き通し、辛い時代を乗り切った淡谷のり子さん。

晩年はバラエティ番組などでご活躍され、お茶の間の人気者になりました。

老衰により1999年、92歳でお亡くなりになっています。

ブルースの女王VSブギの女王ということで、笠置シヅ子さんとは何かと対比されましたが、実際には仲が良く晩年まで友情関係は続いたといいます。

おふたりの交友関係については、あまり情報がなかったので、朝ドラ「ブギウギ」で描かれるのを楽しみにしています!

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