2023年4月からスタートした実在の植物学者の牧野富太郎(まきのとみたろう)をモデルにした物語NHK連続テレビ小説・朝ドラ「らんまん」は神木隆之介(かみきりゅうのすけ)さん演じる、主人公の槙野万太郎(まきのまんたろう)がついに上京。
東京にやってきて植物学の研究をスタートし、ついに、東京大学の植物学教室を訪れて、要潤さん演じる田邊彰久教授(たなべあきひさ)と出会うことになります。
この田辺教授、最初は万太郎を受け入れてくれて、良い人だと思っていたのですが、一癖も二癖もある難しい人物よう。
そんな田邊彰久教授のモデルは実在の植物学者の矢田部良吉(やたべりょうきち)教授です。牧野富太郎さんが、東京大学(当時の帝国大学)の植物学教室で出会った教授です。
そんな矢田部良吉と牧野富太郎さんの関係とは一体どういうものだったのでしょうか??確執があった?実は2人の関係性は出会った時から後に大きく変わることになります。不仲になった??
一体その理由とは?
実は、確執の理由については諸説あるんです。
今回は朝ドラ「らんまん」に登場する田邊教授のモデルである矢田部良吉さんと牧野富太郎さんの関係性と確執の理由について、なぜ仲が悪くなってしまったのか??についてご紹介していきます。
矢田部良吉と牧野富太郎の出会った頃の関係とは?東京大学に親切に受け入れた?
徳永政市助教授のモデルは松村任三!牧野富太郎とは確執があった?
矢田部良吉は田邊彰久教授のモデルで東京大学の教授
田邊彰久
東京大学植物学教室の初代教授。万太郎の人生を大きく変えることになる人物。
引用元 NHK公式サイト
朝ドラ「らんまん」に登場した田邊彰久は、東京大学植物学教室の教授で、アメリカのコーネル大学に留学して植物学を学んできていて、授業は英語で行っているので、優秀な東京大学の学生たちも苦労しています。
また田邊教授は浜辺美波さん演じる寿恵子が関わることになる鹿鳴館の建設の中心人物であることもわかっています。
東京大学の植物学教室にやってきた万太郎が田邊教授と対面したシーンは緊張感がありましたが、植物への知識が豊富な万太郎を気に入り、植物学教室に自由に出入りすることを許します。
またドラマでは、万太郎が仲良くなった植物学教室の波多野と藤丸と一緒に植物学の雑誌を作ることになりますが、田邊教授が快く許してくれるのか?皆で緊張している展開です。
そんな田邊教授のモデルは、東京大学の植物学教室の教授でアメリカの大学に留学して植物学を修めたエリートの矢田部良吉教授です。
矢田部良吉と牧野富太郎の出会いは?植物学教室に受け入れた?
万太郎と同じように、東京にやってきた牧野富太郎さんも、東京大学植物学教室(現在の小石川植物園内)で初代植物学教授の矢田部良吉さんに面会します。
矢田部良吉さんは、牧野富太郎さんに関する自伝などの書籍には必ず登場する重要な人物です。
明治10年の今日、小石川植物園が東京大学(2日前に設立)の附属施設となり、矢田部良吉が主管者となった。米国コーネル大学に学んだ矢田部は、弱冠26歳で植物学教室の初代教授に就任、日本の植物学の礎を築いた。#朝ドラらんまん
出典:近代日本人の肖像 pic.twitter.com/VfiDiQofOp— S. Nemoto (@nemo_syu) April 14, 2023
牧野富太郎さんは「らんまん」と同じようにお酒の博覧会の時に、最初に上京します。そしてその3年後の鹿鳴館が完成した翌年の1884年・明治17年に、再び上京。牧野富太郎さんは当時22歳でした。
大学を受験する2人の友人と一緒に上京した野富太郎さんは誰からの紹介なのかは、はっきりとわからないのですが、その紹介者に連れられて東京大学の植物学教室に連れて行ってもらいます。
いつも植物や標本の束がおかれていたことから、「青長屋」と呼ばれていたそうです。
NHK朝のドラマ『らんまん』がとても面白いので、ドラマのモデルになっている植物学者・牧野富太郎記念庭園を散策して来た。場所は西武池袋線の大泉学園駅南口から徒歩5分。 pic.twitter.com/D3UzfF0e81
— 井上リサ (@JPN_LISA) May 6, 2023
そこで、矢田部良吉教授と出会います。また松村任三、大久保三郎という2人の助教授がいました。
らんまん:田中哲司が登場 東京大学植物学教室の助教授役 万太郎の“障壁”に? #朝ドラ #朝ドラらんまん #徳永政市 #田中哲司 https://t.co/E8rcNGex7W
— MANTANWEB (まんたんウェブ) (@mantanweb) May 14, 2023
ちなみに、松村任三は、朝ドラ「らんまん」では、田中哲司さん演じる徳永政市助教授のモデル、そして、大久保三郎は今野浩喜さん演じる講師の大窪昭三郎だと思います。
【そこに愛はあるんか?】NHK朝ドラ「らんまん」今野浩喜演じる講師の大窪登場 ネット「すっかり役者さん」「そこにアポはあるんか!?」https://t.co/4RUiTFpUdw#朝ドラらんまん の第32話(16日放送)。今野浩喜演じる大窪昭三郎が登場した。
— イザ!編集部 (@iza_edit) May 16, 2023
そして、「土佐植物目録」に挑んだ才能を認められ、富太郎さんは、東京大学の植物学教室への出入りを許されて、専門書籍や植物標本を自由に利用できるようになりました。
一方、ドラマと同じように、富太郎さんは植物学教室で仲良くなった市川延次郎さん、染谷徳五郎さんと一緒に日本の植物学について語り合う仲になり、3人で植物学の雑誌の刊行を思いつきます。そして3人は原稿を書いて、出版の準備を整えて、青長屋の主であった矢田部良吉教授に了解を求めました。
すると矢田部教授はこの申し出を快諾してくれて、学会で発行すると言ってくれ、他の助教授や学生たちの協力を経て無事に発行するに至ります。
と言うように、牧野富太郎さんと矢田部教授の関係は非常に良好なものでした。
矢田部良吉と牧野富太郎の確執とは?関係性が大きく変わる出来事が!
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牧野富太郎さんは、植物学雑誌を出した後、次に植物図説集の出版準備に取り掛かります。当時、図鑑という言葉ありませんでした。富太郎さんは掲載する植物図のほとんどは書き溜めていました。
そして自ら印刷所で印刷技術を身につけます。しかし、植物の本を出そうという出版社が見つからず、自費で出版することになります。つまり何もかも自分で行ったのでした。すごいことですよね。
そして明治21年に「日本植物志図鑑」が出版!これが植物学者の牧野富太郎さんの植物学界でのデビューになります。
その内容は素晴らしく、当時の植物学者を驚かせ、皆絶賛したそうです。
そして以降、植物学者として、植物の学名、和名を日本の学会誌に発表した最初の日本人となったり、希少な食中植物を発見して、ムジナモと名付けたりと、その名は日本だけでなく世界で知られるようになります。
しかし、この後・・・それまで良好だった矢田部良吉教授との関係が変わってしまいます。
1890年・明治23年に富太郎さんは、「日本植物志図鑑」の第6集を出版します。すると、矢田部良吉教授から突如、植物教室への出入りを禁じられてしまったんです。
出入りを禁じた理由は、富太郎さんが出版を続けていた「日本植物志図鑑」と同様の本を植物学教室で出版することにしたので、所管する書物や標本を部外者には見せられないと言うものでした。
しかし納得がいかない富太郎さん。
困惑した富太郎さんは、豹変してしまった矢田部教授の富士見町(現在の千代田区)の自宅を訪ねて、改めて真意を聞いたそうです。
富太郎さんは「自分は私利私欲で植物の研究をしているわけではない」「先生のような大先輩が数少ない後輩研究者を引き立ててくれることが植物学の発展につながる」と必死に言葉を尽くし出入りを許してくれるようにお願いしました。
しかし、聞く耳を持ってくれなかった矢田部教授。出入り禁止を繰り返しただけだったそうです。
矢田部良吉と牧野富太郎の関係が変わった理由①若い才能に嫉妬?
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しかしそれまで良好だったに2人の関係はどうして悪くなってしまったのでしょうか??
矢田部良吉がどうして出入りを禁じたのでしょうか?
矢田部教授が突然の東京大学植物学教室への出入り禁止宣言のはっきりとした理由はわかっていないのですが、牧野富太郎さんが植物学者として注目されていたこともあり、嫉妬したからなのでは?と言われています。
このことを恨みに思っていたこともあり、のちに矢田部良吉教授が非職となったことについて、牧野富太郎さんは著書にこう記載していました。
「その原因は権力争いであったといわれる。遠因として、矢田部良吉教授は西洋かぶれで鹿鳴館でダンスに夢中になったり、兼職で校長をしたり、雑誌への投稿が物議をかもしたことなどがある」
矢田部良吉教授は日本人離れした思考や、マイペースな性格などで、今でいうお騒がせ人物だったともいわれています(;^^)
そのことを著書で批判していた富太郎さん。
2人の関係性は悪化してしまったことがうかがえますね。
矢田部良吉と牧野富太郎の関係が変わった理由②大学の資料を独り占めしたから?
牧野富太郎さんの多くの著書を確認したのですが、はっきりとした確執の理由はわかってはいないようですが、多くの著書で矢田部教授の富太郎さんへの嫉妬と書かれていました。
しかし他の説・可能性を書いている著書もいくつかありました。
当時、牧野富太郎さんが植物学教室だけでなく下宿でも研究を続けていたため、大学の貴重な標本や書類を大量に借り受けて下宿に持ち帰ってしまい、長期にわたって返却が滞ってしまったこと、大量の資料を富太郎さんが持ち出していることで、研究が遅延してしまっていると、しばしば苦情が寄せられた事実が書かれていました。
また、大学生でもない富太郎さんの東京大学の植物学教室への出入りを良く思っていない周囲からの苦情を受けての宣告だったと言う話もあり、そのことが理由だったと語られていました。
矢田部良吉と牧野富太郎の関係が変わった理由③失礼な言動を繰り返した?
しかし諸説あり、植物学に夢中で周囲が見えない富太郎さんが、矢田部良吉教授に対して、失礼な言動を繰り返していた可能性もあるのでは?という意見もあったそうです。
そのあと、富太郎さんは矢田部教授の心無い仕打ちに対抗心を燃やして、「日本植物志図鑑」の更新を続けていきます。
しかし、富太郎さんの研究を経済的に支えていた実家の酒屋の経営が傾いたことから、明治24年の11月の「日本植物志図鑑」第11集の刊行が最後になってしまいました。
対抗心を燃やして頑張っていた富太郎さんですが、植物学教室に出入りできなくなることは、研究者として、大きなダメージだったそうです。
牧野富太郎さんに関する著書によっては、矢田部教授の行為は「アカデミックハラスメント」であると批判しているものもありました。
その後牧野富太郎さんは、矢田部良吉教授が非職となったあとの1893年、31歳のときに東京大学(当時は帝国大学)に呼び戻されます。
矢田部良吉教授の代わりに主任となった松村任三に、助手として呼ばれたのでした。
徳永政市助教授のモデルは松村任三!牧野富太郎とは確執があった?
この松村任三をモデルとしたのが、田中哲司さん演じる徳永助教授です。牧野富太郎さんは、後に、松村任三さんとの関係性も悪化してしまうことになります。
人間関係に悩まされることが多かった牧野富太郎さんですが、逆に仲の良い味方になってくれる学友たちも多く、そんな友人たちに、助けられてきたそうです。