後鳥羽上皇の死因と最後とは?その後はどうなる?【鎌倉殿の13人】

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NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人(かまくらどののじゅうさんにん)」は、小栗旬さん演じる北条義時(ほうじょうよしとき)が、鎌倉幕府の頂点に立つ姿を描く歴史物語です。

2022年12月に入り、ストーリーもクライマックスに突入します。

歴史上でも有名な義時と後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)のバトル承久の乱(じょうきゅうのらん)が描かれることになりそうですね。

そして皆さん気になるのは、俳優の尾上松也さん演じる上皇様こと後鳥羽上皇のその後だと思います。

有名な話なのでご存じの方も多いと共いますが、後鳥羽上皇は承久の乱で敗れたのちに配流されてしまうんです!

そして最後はどうなったのか?死因なども気になる方も多いはずです。

今回は「鎌倉殿の13人」の後鳥羽上皇の死因と最後についてネタバレ紹介していきます。

目次

後鳥羽上皇とは?最終回の最後に向けてのネタバレは?

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後鳥羽上皇を演じているのは尾上松也さんです!

物語の中盤から登場したのですが、序盤で源頼朝(大泉洋)を夢枕で苦しめていたあの後白河法皇(西田敏行)の孫にあたる人物なんですよね(;^_^A

高倉天皇の第4皇子でありながら、兄である安徳天皇が平家と共に都落ちしたため、天皇として即位。

若いころは後白河法皇や九条兼実(田中直樹)が政治を主導していたものの、土御門天皇に譲位したのちは、上皇として権力を握り院政をスタートします。

文武両道で和歌にも秀でた後鳥羽上皇は、自らが朝廷政治をけん引しようとしますが、その邪魔になったのが鎌倉幕府を牛耳る北条義時(小栗旬)の存在です。

その力をそぐために、平賀朝雅(山中崇)や源仲章(生田斗真)を使って幕政への干渉を試みつつ、いとこの千世(加藤小夏)を、将軍・源実朝(柿澤勇人)に嫁がせるなど工作を続けています。

それが功を奏して、後鳥羽上皇と実朝の関係は良好となっていくのですが、実朝が公暁(寛一郎)に暗殺されたことで、幕府との関係は悪化の一途をたどります。

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時期将軍は、後鳥羽上皇の皇子を送る予定だったものの、朝廷と鎌倉幕府とでそのやり取りは揉めて膠着状態に!

そこでやってきた義時の弟・北条時房(瀬戸康史)が、蹴鞠で後鳥羽上皇と交流を深めたことで事態は好転し、九条家の子息・三寅を次期将軍とすることで話がまとまることになりました。

それにしても後鳥羽上皇に気に入られたのか、時房は「トキューサ」と呼ばれていましたね(笑)

しかし、後鳥羽上皇の北条義時への嫌悪感はぬぐい切れていませんでした。

そして世にいう「承久の乱」につながっていくのです。

12月11日放送の第47話、そして最終回で描かれていくことになりますが、先取りしてそのストーリーをガイドブックから以降でネタバレ紹介します!

知りたくない方は閲覧ご注意くださいね。

後鳥羽上皇の最後はどうなる?鎌倉殿の13人の承久の乱の結末は?

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京で源氏の末流・源頼茂が、次期鎌倉殿が三寅になることを不服として謀反を起こします。

内裏に火を放って自刃した結果、内裏は燃えて宝物とともに消失してしまいました。

後鳥羽上皇は内裏再建のため、御家人たちに費用ねん出を求めますが、義時らはその命には従いません。

しかしそれは後鳥羽上皇にとっては計算通りでした。

その後、後鳥羽上皇は京都守護で義時の義理の兄にあたる伊賀光季を襲撃し自害させます。

「これをもって、北条討伐ののろしといたす」

ついに、世にいう「承久の乱」の火ぶたが切られることになったのです。

数日後、三浦館には後鳥羽上皇の使者が現れて、義時追討を命じる院宣が三浦義村に手渡されます。

一方で義時の元には、光季が襲撃前に文を送っていたことから、事前に後鳥羽上皇の挙兵を知り驚きを隠せません。

義村は義時のもとに現れて、後鳥羽上皇からの院宣を差し出し、味方になることを誓います。

そして義時は、泰時(坂口健太郎)、時房らを呼び院宣を見て言いました。

「これは鎌倉に攻め込むためではない。私(義時)を追討せよというものだ」

自らのために鎌倉を戦場にできないと考えた義時は、泰時らに鎌倉の今後を託して姉である政子(小池栄子)に会いに行き、執権として最後の役目を果たすと決意を表します。

その後、義時は御家人たちを集めて、後鳥羽上皇との経緯を話そうとすると・・・

そこに政子が毅然として現れて、義時を下がらせ、演説を始めるのです!

「頼朝様が朝敵を討ち果たし、関東を治めてこのかた、その恩は山よりも高く、海よりも・・・」

しかし政子は見ていた紙をしまい、後鳥羽上皇が狙っているのは、鎌倉ではなく義時の首であることを正直に語りました。

「ここで上皇様に従って未来永劫、西の言いなりになるのか。戦って坂東武者の世を作るか。頼朝様の恩に今こそ答えるのです」

その政子の言葉に鼓舞されたかのように、御家人たちは高々と雄たけびを上げました。

そして、後鳥羽上皇は日本中に義時討伐を命じることになります。

一方義時は、嫡男の泰時を総大将として先陣を切り、兵を率いて東海道を京に向かい次々と周辺の御家人を味方につけていきました。

そして京の宇治川で、後鳥羽上皇の近臣・藤原秀康(星智也)と戦い見事泰時は勝利するのです!

その後義時は、朝廷を裁くという重責を担うことになり、後鳥羽上皇は隠岐に配流。

次期天皇には後鳥羽上皇の甥が即位することになりました。

こうして「承久の乱」は鎌倉方の勝利で幕を下ろしたのです。

後鳥羽上皇の死因と最後の史実は?その後はどうなる?

承久の乱の結果、隠岐に配流となった後鳥羽上皇。

今の隠岐の島に島流しにされてしまったのです。

この出来事は史実なのですが、かなり異例のことでした。

武士が上皇を島流しにした最初の事例と言ってよいと思います。

配流された当時、後鳥羽上皇は41歳。

それから約20年間、隠岐の源福寺で過ごし二度と京に戻ることはありませんでした。

そして60歳でその生涯を隠岐で閉じたと言われています。

その死因はおそらく病気でしょうが、詳しいことは分かりませんでした。

和歌が得意な後鳥羽上皇は、隠岐で以下のような歌を詠んだと言われています。

「我こそは新島もりよ 隠岐の海の 荒き浪かぜ 心して吹け」

私はこの島の新しい島守。隠岐の海の荒波風は心して吹けという意味です。

この歌からも、上皇の寂しい気持ちが伝わってきますね。

崩御ののち御遺体は火葬され、御遺骨の大部分は京都の三千院の裏手にある大原陵に納められているそうです。

後鳥羽上皇の最期の地としてゆかりの深い隠岐の島!

2022年12月10日には、歴史系のシンポジウムも行われ、今回大河ドラマで後鳥羽上皇が登場したことで盛り上がりを見せている感じです。

 

後鳥羽上皇の死因と最後まとめ

鎌倉殿の13人最終回ネタバレ結末!義時の最後の死因は?

今回は「鎌倉殿の13人」で尾上松也さん演じる後鳥羽上皇の死因や最期についてご紹介しました。

承久の乱で北条義時に敗れた後鳥羽上皇は、隠岐に島流しされてしまいます。

それから京に戻ることなく、60歳で生涯を終えたとされており、おそらく病死でしょうがその詳しい死因は分かりませんでした。

最終回まで後鳥羽上皇は、登場しますがおそらくその死は描かれないでしょう。

もしくは最後に生きている登場人物が皆ナレ死(ナレーションで死が語られる)で語られる可能性もありそうですね!

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