ダンサー中山史郎のモデルは中川三郎!ブギウギでタップダンスの名手!

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朝ドラ「ブギウギ」は鈴子が東京の梅丸楽劇団(UGD)に入りダンサーの中山史郎(なかやましろう)が登場!東京の歌劇団の男性ダンサー中山史郎のモデルはタップダンスの名手・実在のダンサーの中川三郎さんです。モデル中川三郎さんについてご紹介します!

目次

ダンサー中山史郎のモデルは中川三郎!タップダンスの名手の経歴とは?

羽鳥善一【はとりぜんいち】のモデルは?『ブギウギ』で草彅剛が服部良一を演じる!

中川三郎は社交ダンスの父と呼ばれるダンサー!

中川三郎さんは「社交ダンスの父」と呼ばれる、モダンダンスの創始者で、日本タップダンスの祖でもあります。「擬装の麗人」と呼ばれていました。

また、日本のディスコの生みの親としても知られています。

中川三郎さんは1916年生まれ。大正5年ですが、上の画像を見ると、顔の小ささや足の長さは、まるで現代人ですよね~(≧∇≦)

大阪出身で、15歳のころに日本歌劇の創始者、伊庭孝さんに師事し、楽劇理論を学び、この年に初舞台を踏みました。

学生時代にはダンスホールに通っていたそうです。ニューヨークでタップダンサーとして活躍していた、ジョージ堀さんの指導を受けます。

慶應義塾大学経済学部予科を経て、17歳のときにタップダンスを学ぶためニューヨークに行き、シティカレッジ(CCNY)を卒業されました。

日本人としては初めて、タップダンサーとしてブロードウェイ・ミュージカルの劇場に出演されています。

1933年から、RCAチェーン劇場などに出演し、ダンスを披露していました。

1935年に母親が亡くなり、帰国することになります。

1936年に日比谷公会堂で、帰国後初となる公演を開催。満員の会場で、3時間無我夢中で踊られたそうです。

吉本興業の専属ダンサーに!?

その後東京進出を考えていた吉本興業に高額で引き抜かれ、専属ダンサーに。トップダンサーとしてご活躍されます。

演奏楽団の舞台演出など、新しい手法を次々と編み出し、現在のミュージカルの土台を作り上げました。

1937年、日本初のミュージカル映画「鋪道の囁き」で主役を演じます。

このころの画像がコチラ♪なんというイケメン(≧∇≦)

銀座では、お茶は「モナミ」食事は「オリンピックグリル」レコードを聴くときは「ヂュエット」とありますね。

「モナミ」には当時有名だった作家や、画家といった芸術家たちが集まったといいます。流行の最先端が集まった場所なのでしょうね♪

松竹楽劇団の創設メンバーとして笠置シヅ子と出会う

松竹楽劇団立ち上げのとき、新しいものとしてタップダンスのジョージ堀さんがスカウトされました。中川三郎さんのお師匠さんにあたる人物です。

ジョージ堀さんのお口添えでしょうか?1938年に中川三郎さんは、松竹楽劇団の創設メンバーのひとりとして抜擢。

ここで笠置シヅ子さんと出会うことになるんですね。

松竹楽劇団は、淡谷のり子さんの「別れのブルース」で一躍人気作曲家となっていた服部良一さん、秋山美月のモデルと思われる秋月恵美子さんなどが集結!

中川三郎さんは、前宣伝の段階では、目玉は「大阪の歌姫」の笠置シヅ子さんだったそうです。

松竹楽劇団でソリストとなり、トップダンサーとしてご活躍されました。

1939年に東宝に移籍し、「中川三郎ハタアズ」の旗揚げ公演を開催。松竹には1年ほどしかいなかったのですね。

このころから戦時色が濃くなり、ダンスホール関係がどんどん閉鎖されていきます。

中川三郎さんのタップの音を、モールス信号と疑われ、スパイ扱いされたこともあったそうです(;^^)

戦後はダンスホール、ダンススタジオを立ち上げる!

1945年終戦。中川三郎さんはこの年の10月に、ダンスホールを建設しましたが、やってくるのはGHQ将校ばかり。

食べるだけで精いっぱいの日本人は、それどころでなかったのです。

1951年にNHKが開局し、ビデオ第1回試作として、音楽一家の15分番組を制作。

1952年に実験劇場コーパを大岡山に建設し、外国のミュージカル映画などを上映しました。

1955年に全日本職業舞踊家協会を設立し、初代会長に就任。中川三郎さんが40歳のころです。

毎年各レコード会社と組んで、新しい音楽とダンスをコラボした「ニュー・リズム」を発表。

1958年に中川三郎ダンススタジオをオープンさせ、スタジオネットワークを展開。日本中にダンスを広めるきっかけを作りました。

1965年、日本初のディスコ「中川三郎ディスコティック」を開業。オーディションで選ばれたアマチュアバンドが出演し、のちに有名になったバンドも多かったとか。

1968年に佐藤栄作総理大臣より紺綬褒賞を受賞。

2003年に85歳でお亡くなりになるまで、ダンス界にて様々な功績を残されました。

このように中川三郎さんは、類まれなダンスセンスで日本のダンスを牽引し、その礎を残されたダンサー。

松竹楽劇団には、結成時から1年ほどしか在籍していませんでした。

そんな中川三郎さんをモデルにしたのが、NHK連続テレビ小説「ブギウギ」中山史郎です!

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連続テレビ小説初出演

ダンサー / 中山史郎(なかやま・しろう);小栗基裕 (s**t kingz)

日本のトップダンサーの一人。タップダンスの名手。秋山と組んで公演の主演を担う。

<小栗基裕さんからのコメント>

初めて朝ドラに出演させていただきます。
中山史郎という寡黙なダンサーを演じました。ダンスシーンも必見です!
梅丸は個性的なキャラクターだらけですが、中山もなかなかクセ強です。笑
エンタメの世界ってクセが強い人ばかりですよね。でもそれが一周回って愛おしくなってくる。だからやめられない!
笑えて泣けて元気がもらえる、素晴らしい「ブギウギ」の世界を沢山の方に楽しんでいただけたら幸いです。

引用元 NHK公式サイト

以降では、今後の中山史郎のネタバレをご紹介します。重要なネタバレを含むので知りたくない人は閲覧注意です。

1938年。スズ子(趣里)と秋山(井原六花)は、東京の梅丸楽劇団(UGD)に入団し、東京の下宿で一緒に暮らすことになりました。

隙間なくしゃべり続けるチズ(ふせえり)と(;^^)、寡黙なご主人の吾郎(隈本晃俊)が経営しています。

翌日スズ子と秋山が日帝劇場に行くと、ふたりは梅丸楽劇団の関係者たちに紹介されます。

トランペット奏者のバンドマスター、一井( 陰山泰)や、音楽監督の羽鳥善一(草彅剛)らです。

その中にいたのが、振り付けを担当する、男のトップダンサー、中山史郎(小栗基裕)!

初日舞台では、ふたりのダンスが披露され、秋山のタップダンスも、観客を大いに盛り上げました。

スズ子も善一の厳しい指導の元、体全体でジャズを歌い、ショーは大成功で終わります。

ふたりはともに、人気が上昇していきました。

そんなころ、秋山が中山と付き合い始めます。

中山にこう言われ戸惑う秋山。

「自分と踊るためにも、男役をやめて娘役になってみては」

その後秋山は中山からプロポーズされます!

そのころスズ子は梅丸楽劇団演出家で、すでに移籍していた憧れの松永(新納慎也)から、ライバル会社への引き抜きの話を持ち掛けられ、悩んでいました。

善一がスズ子のために作った楽曲に心動かされ、スズ子は梅丸に残ることに。

一方秋山は、中山からのプロポーズを断ろうとしていました。一緒にいると、自分らしくいられないと感じていたのです。

そして秋山も中山のプロポーズを断り、大阪で男役としてやっていくと決心し、大阪に帰っていきました。

中山史郎のネタバレは以上です。

トップダンサーとして梅丸楽劇団にやってきて、秋山に求婚するもフラれてしまう。。。という役どころでした。

トップダンサーという設定なので、演じる小栗基裕さんも超ダンスががお上手な俳優です(≧∇≦)

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ダンサー中山史郎役のキャスト俳優の小栗基裕とは?

ブギウギ辛島役は安井順平!部長役の出演作品は?

小栗基裕(おぐり もとひろ)

生年月日 1987年1月6日(36歳)
出身地 東京都
血液型 A
身長 172cm

引用元 アミューズ公式サイト

小栗基裕さんはs**t kingz(シットキングス)のメンバーです。

s**t kingzは4人組のダンスパフォーマンスグループ♪通称シッキンです。本来は「shit kingz」ですが、「shit」が英語圏で放送禁止用語なので、伏字になりました。

2007年に結成され、三浦大知さんのバンクダンサーになります。

2010年にアメリカ最大のダンスコンテスト「BODY ROCK」にて、日本人初の優勝(≧∇≦)しかも2011年と2年連続の快挙でした!

これにより世界中からオファーが殺到!

三浦大知さん以外にも、多くのアーティストの振り付けや、バックダンサーを務めるようになります。

10月には武道館ライブも!

小栗基裕さんがダンスを始めたきっかけは、両親から「今しかできないことをやりなさい」と、高校1年生のときに言われたから。

大学には行かないつもりだった小栗基裕さんですが、親に言われて早稲田に進学。

そこで興味のあったダンスを始めることになりました。

そんな小栗基裕さんですが、俳優としてもご活躍!2021年の映画「孤狼の血 LEVEL2」に戸倉毅役でスクリーンデビュー。

敵とみなしたものにはなりふり構わず、襲い掛かっていく危険なヤクザを演じました。

この役はオーディションで選ばれましたが、実は別の役でオーディションに臨んでいたそうです(;^^)

ですが決まったときには、嬉しさと驚きで震えが止まらなかったとか。

ヤクザのドキュメンタリーを見たり、しっかりと役作りをされたそうです。

その後「日本一の夕暮れを、大切な人と観に行くドライブって、エモくない?」(TVer)にご出演されますが、テレビドラマは初めてのご出演!

小栗基裕さんの演技にもご注目ください!

ブギウギダンサー中山史郎のモデルは中川三郎のまとめ

松永大星役は新納慎也!ブギウギの演出家役

朝ドラ「ブギウギ」に、トップダンサーの中山史郎が登場します!

モデルは日本のタップダンスの祖であり、ディスコやミュージカルの土台を作った中川三郎さん!モダンダンスの創始者です。

十代のときから歌劇団で活躍。その後タップダンスに出会い、渡米して大学を卒業。

その後ブロードウェイ・ミュージカルの劇場に、日本人として初めて出演し、成功を収めました。

母親の死去により帰国。吉本興業の専属となり、ミュージカルの基礎を作ります。

その後松竹に移籍し、松竹楽劇団の創設メンバーとなり、トップダンサーとして活躍。

1年後には東宝に移籍したので、松竹にはあまりいませんでした。

朝ドラ「ブギウギ」では、秋山との恋愛が描かれますが、史実ではそのような話は見当たりませんでした。

ちなみに奥様は戦前にジャズ歌手としてご活躍された、上村まり子さんです。

朝ドラ「ブギウギ」で中川三郎を演じるのは、ダンスユニット「s**t kingz」のメンバー、小栗基裕さん!

s**t kingzはアメリカ最大のダンスコンテストで、2年連続で優勝した、実績のある世界的なグループです。

このように小栗基裕さんは、超一流のダンサー。朝ドラ「ブギウギ」でのダンスシーンが楽しみです♪

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