淡谷のり子の戦時中とは? 慰問や特攻隊のエピソードなど

  • URLをコピーしました!
#ad #PR #スポンサー

NHK連続テレビ小説「ブギウギ」で淡谷のり子(あわやのりこ)さんをモデルにした、菊地凛子さんが演じる茨田りつ子(いばらだりつこ)の戦時中の言動が話題です。淡谷のり子さんの戦時中の慰問や特攻隊とのエピソードなどについてまとめました。

目次

淡谷のり子の戦時中とは? 慰問や特攻隊のエピソードなどは?

笠置シヅ子の父親は亀井音吉!ブギウギの梅吉のモデル!

NHK連続テレビ小説「ブギウギ」で淡谷のり子(あわやのりこ)さんをモデルにした、菊地凛子さんが演じる茨田りつ子(いばらだりつこ)の戦時中の言動が話題です。

警察の取り調べにも、全く動じることなく信念を通す姿、カッコよかったですよね(≧∇≦)

史実でも淡谷のり子さんは、ずっと信念を貫いたといいます。

今回は、そんな淡谷のり子さんの、戦時中の慰問や、特攻隊とのエピソードなどについてまとめました。

厚化粧を貫いた!

六郎は戦死する?ブギウギで戦争のネタバレと実話も

大ヒットとなった「別れのブルース」は1937年の作品で、戦争が激化してきた1939年。このとき淡谷のり子さんは売れっ子歌手になっていました。

ところが1939年、この「別れのブルース」は発禁となり、歌うことも禁じられてしまいます。

淡谷のり子さんによると、センチメンタルなので国民を鼓舞するような歌でないとダメだ、という理由なんだとか。

大スターになっても反骨精神を忘れなかった、淡谷のり子さんの戦時中のエピソードをまとめました。

美輪明宏さんが、淡谷のり子さんに直接聞いた話があります。

戦地に慰問に行ったとき、憲兵から「貴様の化粧はなんだ!素顔で歌え!」と怒鳴られたそうですが、淡谷のり子さんはこう返したそうです。

「素顔で出たら、目がどこにあるのかわかりません。化粧は目の位置を表す目印です!」

朝ドラ「ブギウギ」では、スズ子がこのようなやり取りをしていました(笑)

軍歌を歌わなかった

慰問でも軍歌は歌わなかったという淡谷のり子さん。しかもいつもドレス姿で登場していたそうです。たとえ憲兵に睨まれても(;^^)

戦地に向かう兵士らの心を慰めながら、「別れのブルース」などを歌っていました。

歌を聴き終えた青年兵士たちは、拍手喝さいで淡谷のり子さんの手を強く握りしめ、出撃していったそうです。

捕虜に向かって歌った

英米人の捕虜がいたとき、淡谷のり子さんは日本兵に背を向け、捕虜に向かって英語で恋愛ものなどを歌っていました。

国防婦人会と対峙

マニキュアや化粧をして銀座を歩いていた淡谷のり子さん。すると国防婦人会の女性たちがやってきて「贅沢は敵です」と叱られます。

でもそんなことに怯まないのが淡谷のり子さん。「兵隊さんが鉄カブトを被るのと同じで、これがわたしにとっての戦闘服なの」と言い返しました。

「別れのブルース」の歌唱を見逃し

上海に慰問に行ったとき。歌うのを禁止されていた「別れのブルース」をリクエストされました。

淡谷のり子さんが歌い出すと、本来なら止めるべきである憲兵と将校が、ホールから出て行きました。

そのふたりは遠くから覗いていて、よく見ると泣いていたといいます。

そのような上官もいたのは、せめてもの救いだったかもしれませんね。

モンペを履かなかった

絶対にモンペは履かなかったという淡谷のり子さん。慰問でもいつも着飾り、兵士の心を慰める歌を歌っていたそうです。

モンペを履かなかった理由を「誰も喜ばないから」と答えていたそうで、恩師にも「あなたは歌とともに死んでいくのね」と言われたとか。

軍や警察に反抗しても、着飾ることを貫いたのは、自分のためではなく兵士さんたちのためだったのです。

特攻隊

慰問先で、少年特攻隊員の姿を初めて見た淡谷のり子さん。

2~30人の鉢巻きをした子供たちがいて、彼らが特攻隊員だと聞かされました。

「彼らは平均16歳で、命令により飛行機で飛んだら、もう二度と戻ってきません。

歌の途中で出て行っても悪く思わないでください」

実際に歌の途中でサッと立ち、にっこり笑い敬礼して出て行く少年を目にし、淡谷のり子さんは次の歌が歌えなくなったそうです。

辛いだろうに、笑顔で敬礼していく少年たち。あんなに悲しい思いをしたことはない、と語っておられました (T_T)

このように・・・度重なる反抗的な態度により(;^^)、帰国後は数センチの始末書を書かされたそうです。

淡谷のり子の生涯!若いころから最後の死因まで

そんなブルースの女王と呼ばれた淡谷のり子さんの生涯を、ものすご~くカンタンにまとめた動画があります!

実家や子供時代

淡谷のり子さんは1907年、青森市で1~2を争うの老舗呉服屋の長女として誕生しました。

1910年に青森大火で家が焼失し、家業は倒産してしまいます。

それでも放蕩を続ける父親に、愛想をつかした母親は、淡谷のり子さんとその妹を連れ、東京に出ます。

母親の弟を頼って借家暮らしを始めましたが、その生活は貧しいものでした。

東洋音楽学校から歌手デビューへ

母親の勧めで東洋音楽学校(現在の東京音楽大学)に進学し、歌手として生きることを決断します。

1929年、東洋音楽学校を首席で卒業した淡谷のり子さん!

持ち味のソプラノは、10年に1度の逸材といわれていました。

ですがクラシック演奏会だけでは食べて行けず、流行歌手への転身を決意します。

服部良一と「別れのブルース」との出会い

デビューから8年後、歌手人生を大きく変える曲が誕生!

作詞は藤浦洸さん。「ブギウギ」では宮本亞門さんが演じている藤村薫で、作曲は服部良一さん!

「ブギウギでは草彅剛さんが、羽鳥善一役で演じていますね。

それが「別れのブルース」♪これまでに練習したことのない低い楽曲。

最初は「ソプラノなので歌えない」と淡谷のり子さんは反発されたそうですが、服部良一さんは淡谷のり子さんの歌唱に賭けていました。

「ブルースにはソプラノもあるともない、魂の声なんだ。無理でもこの音域で歌ってもらいたい」

哀愁のある声を出すため、淡谷のり子さんは慣れないタバコを吸って収録に挑みました。

このプロ根性、すごいですよね~(≧∇≦)

このことは朝ドラ「ブギウギ」でも、羽鳥がサラっとスズ子に伝えています。

「別れのブルース」は、当時としては異例の65万枚の大ヒット!

ブルースの女王と呼ばれ、80歳を過ぎても舞台に立ち続けました。

晩年と最期の死因とは?

晩年にはフジテレビ「ものまね王座決定戦」で、名物審査員として登場。

好き嫌いがハッキリしている審査が話題を呼びました。

服部良一さんが亡くなった1993年、淡谷のり子さんも脳梗塞で倒れます。

症状は軽度でしたが、麻痺が残りメディアへの登場が減っていき、1996年から寝たきりに。

1999年、92歳で老衰のためお亡くなりになりました。

淡谷のり子がモデルの茨田りつ子の戦時中のネタバレは?

羽鳥善一【はとりぜんいち】のモデルは?『ブギウギ』で草彅剛が服部良一を演じる!

 

警察での取り調べの常習犯

衣装のことなどで警察から注意された茨田りつ子(菊地凛子)でしたが、まったく動じることなく反発。

スズ子(趣里)も動くなという指令に背き、踊り出してしまい警察で注意を受けていました。

全く動じない茨田りつ子の姿に驚くスズ子。

茨田りつ子は自分の楽団を抱え、自分のスタイルを貫いているため、取り調べの常習犯です。

鈴子に「つまらない」

ある日羽鳥善一(草彅剛)に呼ばれ、梅丸楽劇団を見に来た茨田りつ子。

大人しく歌っていた鈴子に「今日のあなたはつまんない」と言い放ちます。

以前は「じゃがいもみたい」と言い、スズ子を怒らせています(笑)

「ワテかてもっと自由に歌いたい!」と反論するスズ子に、茨田りつ子は「ならそうすれば?」と言いました。

軍からの指導により、つまらなくなった梅丸楽劇団のショー。客足は遠のき、ついに解散となります。

鈴子に戦時中の厳しいアドバイス

スズ子は途方に暮れ、羽鳥善一の家に行くと、茨田りつ子の公演チケットをもらいます。

「別れのブルース」に心をつかまれたスズ子は、公演後楽屋に行き感動を伝えます。

茨田りつ子の手厳しいアドバイスが炸裂します(;^^)

「こっちは楽団抱えてるのよ!雇われのあなたとは覚悟が違うわ!

あなた歌いたいんじゃないの?人の歌に感動してないで、歌いなさい!」

翌年スズ子は「福来スズ子とその楽団」を結成しました。

スズ子も派手なメイクと、激しいステージパフォーマンスで警察からは目をつけられていて、公演先が決まりません。

2人で年末合同コンサートを開催

そんなときに弟の六郎(黒崎煌代)の戦死の知らせが (T_T)

ずっとふさぎ込んでいた梅吉(柳葉敏郎)は、故郷に帰ることになりました。

ある日善一から、茨田りつ子と共に呼ばれたスズ子。

思うように活動できていない、ふたりの現状を聞き「くそくらえだ」と怒る善一。

善一の計らいで、スズ子とりつ子の年末合同コンサートが決まりました。

善一は六郎のことを聞き、スズ子に「大空の弟」という楽曲を提供。スズ子の目から涙が溢れます。

そして公演当日。りつ子の提案で、トリはスズ子が務めることに。

りつ子の「雨のブルース」や「別れのブルース」に、観客たちは息をのみます。

次に登場したスズ子が「大空の弟」を涙をこらえ必死に歌うと、場内には拍手喝さいが!

次に「ラッパと娘」を歌うと、観客も大盛り上がり。ステップを踏み始めたスズ子を見て、立ち上がろうとした警官たちでしたが、そのまま着席しました。

慰問で特攻隊員たちの前で歌唱

ますます戦争が激化し、茨田りつ子は九州の海軍基地に慰問に来ていましたが、相変わらず軍歌を歌うのを拒否。

その日はいつ出撃命令がおりるかわからない、特攻隊員たちのため「別れのブルース」を涙をこらえ、歌い切りました。

ここであの、涙で2曲目が歌えなかった、というエピソードが描かれそうですね!

現在わかっている茨田りつ子のネタバレは以上です。

ますます淡谷のり子さんに似てきた、菊地凛子さん演じる茨田りつ子の今後にご注目ください!

まとめ

茨田りつ子【いばらだりつこ】モデルは淡谷のり子!ブギウギで菊地凛子が演じる

淡谷のり子さんは戦時中、自分の信念を貫き、軍からの指令には従いませんでした。

そんな慰問先での反骨精神のエピソードがたくさんあります。

化粧や衣装が贅沢だと言われても、自分の戦闘服だと言い張り、モンペを履くことはありませんでした。

これは兵隊さんたちに喜んでもらうためです。

16歳くらいの少年たちが、歌の途中で笑顔で敬礼し、特攻へと旅立って行く姿に、涙で次の歌が歌えなくなったことも (T_T)

そのような経験から、軍歌は大嫌いだという淡谷のり子さん。

そんな淡谷のり子さんをモデルにした、朝ドラ「ブギウギ」菊地凛子さんが演じる茨田りつ子!

声も雰囲気も似てますよね~(≧∇≦)

「ブギウギ」はこれから戦争が激化していきます。ドラマではどんな淡谷のり子さんの、エピソードが描かれるのか楽しみです!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
目次