大和礼子の死因の病気は腎臓病!現在のその後は?

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朝ドラ「ブギウギ」の蒼井優さん演じるヒロイン鈴子の先輩・大和礼子が死亡することがわかりました。

大和礼子の死因の病気のネタバレとモデルの飛鳥明子さんの実話の史実をご紹介します。

死因の病気は?そしてその後はどうなったのか?現在についてもご紹介です。

目次

大和礼子の死因の病気とは?腎臓の病を抱えていた!

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大和礼子とは?娘役トップで桃色争議でリーダーに

大和礼子
(蒼井優)
大阪の梅丸少女歌劇団(USK)第1期生の娘役で、劇団を引っぱるトップスター。
ヒロイン・鈴子のあこがれの先輩。鈴子は踊りや歌への大切な精神を礼子から受け継いでいく。

引用元:https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=39517

大和礼子は、ヒロインの鈴子が入団した梅丸少女歌劇団(USK)娘役のトップスターで、鈴子が憧れる存在。

父親に誘われて梅丸少女歌劇団(USK)の公演を見にいった鈴子が始めたみた大和礼子にくぎ付けになります♪

花咲音楽学校の受験に失敗した鈴子(澤井梨丘)は酷(ひど)く落ち込んでいた。そんな時、梅吉(柳葉敏郎)から道頓堀に新しくできた梅丸少女歌劇団(USK)のことを教えられる。梅吉は鈴子をUSKの公演に連れて行くことにした。劇場でトップスターの大和礼子(蒼井優)や橘アオイ(翼和希)の踊りを見て感動した鈴子は、梅丸少女歌劇団に入りたいと心に決める。試験の日、鈴子は意気揚々と会場へ向かうのだが…

大和礼子の踊りを見て、魅了され、USK「梅丸少女歌劇団」に入りたい!と思い、飛び込みで入団試験を受けて見事合格します。

大和礼子にとって、男役のトップスターの橘アオイは同期でいつも見守ってくれる存在です。

鈴子が梅丸少女歌劇団に入団し、6年がたち1933年(昭和8年)に。

梅丸少女歌劇団は関西で人気劇団に成長し、鈴子も劇団の中心として活躍していました。

そんな中、一部の楽団員が解雇になること、劇団員や一部の社員の賃金が減額されることが突然発表されます。

慢性的な不況が原因でした。大和礼子は会社と交渉すると団員たちに宣言しますが、数人が辞めてしまいます。

残った団員たちが大和礼子のもと、結束して、梅丸少女歌劇団の親会社の大熊社長にあてた嘆願書をうけとった林部長(橋本じゅん)。

この騒動は「桃色争議」として新聞に取り上げられ、世間を騒がせることに。

会社は団員たちに一時金を払ってごまかそうとしますが、そんな会社のやり方に失望した大和礼子は団員たちにストライキをよびかけ、ストライキを決行!

鈴子たちも一緒に山寺に立てこもり、舞台の稽古を続けながら規則正しい生活を送っていました。住職や地元の人たちは団員たいと応援してくれていました。

そして・・・山寺に梅丸の社員たちがやってきて、団員の要求を全面的に受け入れることになったと言います。

鈴子たちは喜び、山を下りることに。しかしその翌日、大和礼子と橘アオイが、争議の責任をとって辞めることになります。

鈴子たちは激しく反発しますが、2人はほかの団員たちのために、退団する決意をするのでした。

大和礼子の死因の病気とは?腎臓の病気を抱えていた

そんな大和礼子がなんと死亡してしまう悲しい事態が訪れます。

桃色争議をきっかけに、梅丸少女歌劇団を退団した大和礼子は、梅丸のピアニストだった股野と結婚。そして妊娠していました!

鈴子たちのUSKの公演を久々に見に来てくれた大和礼子と再会した鈴子は、礼子に悩んでいることを相談しアドバイスをもらっていました。

出産を控えた幸せそうな大和礼子が登場したばかりだったのですが・・・。なんと鈴子は大和礼子が死亡してしまったという連絡を受けることになります。

大和礼子(蒼井優)が出産後に亡くなったと知らされる。お別れの会で、スズ子(趣里)は、大和が梅丸少女歌劇団に入団以来ずっと会っていなかった、大和の両親と出会う。

スズ子(趣里)たちは、大和礼子(蒼井優)が出産後に病院でなくなったと知らされる。スズ子はお別れの会で、大和が梅丸少女歌劇団に入団以来ずっと会っていなかった、大和の両親と出会う。一方、スズ子は東京行きの件でツヤ(水川あさみ)と相変わらずわだかまりを抱えていた。ツヤは、スズ子が東京に行ってしまったら帰ってこなくなるのではないかと心配しており、梅吉(柳葉敏郎)にどうするべきなのか相談する。

引用元:https://tv.yahoo.co.jp/program/118852594

腎臓の病気を抱えていたものの、どうしても子供が欲しいと言うことで、出産を決意したようでした。

現在も昔も出産で女性が命を落としてしまうことは意外に多いんですね。なので、出産が原因の死かもしれません。

大和礼子の死亡の死因はどうだったのか?大和礼子の実在モデルの実話からも予想していきたいと思います。

大和礼子の死因の病気の実話は結核だった!

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大和礼子さんのモデルは、ヒロイン鈴子のモデル・笠置シヅ子さんが所属していた、歌劇団・大阪松竹楽劇部の女役トップスターだった飛鳥明子さんだと言われています。

鈴子同様に、笠置シヅ子さんも飛鳥明子さんを尊敬していたようですね。

飛鳥明子さんは1907年、開業医の家に誕生します。

ちなみに笠置シヅ子さんは1912年生まれなので、5歳年下の飛鳥明子さん。

高等女学校卒業後に、松竹楽劇部に一期生として入団し、娘役のトップスターとして長年活躍していました。

トゥシューズのつま先で踊る、トゥダンスの名手。舞台への真面目な姿勢と、ストイックすぎる努力で踊りの天才と呼ばれ、絶対的な地位を確立した飛鳥明子さんは、バレエシューズが手に入らないため、足先に包帯を巻き、血をにじませながらバレエの稽古をしていた、という伝説があります。

口数も少なかったようで、その存在は圧倒的。笠置シヅ子さんも大きな影響を受けています。

そんな飛鳥明子さんですが、病気により29歳で死去されています。

飛鳥明子さんは、大阪松竹楽劇部を退団後、ご結婚されています。夫は宝塚音楽学校の指揮者兼ギタリストの片野実雄さんです。

ご結婚後は振付師として後輩を指導されていたそうですが、娘を産んで間もなくの1937年、病気により29歳でお亡くなりになりました。

飛鳥明子さんのお孫さんが、飛鳥明子さんが結核を患っていて、感染させないように、娘さんと一緒に過ごしていなかったと言うことを語っているので、死因は結核なのでは?と思います。

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ドラマの大和礼子と同様に、娘さんを出産後に死去されていたモデルの飛鳥明子さんの実話でした。

大和礼子の現在のその後は??

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そして気になるのが、生まれたばかりの娘を残してしまった大和礼子さん。

その後、大和礼子の夫の股野はどうなるのでしょうか??

ずっと片思いをしていて、やっと大和礼子と結婚できたのに・・・股野さんも気の毒な展開ですね。

現在わかっているネタバレでは、股野が今後登場するのか?わかっていません。

では、モデルの飛鳥明子さんの実話のその後はどうだったのでしょうか?

お孫さんがこんなツイートをされていました。

なんと、現在、娘さんの嘉子さんはまだご健在で、ブギウギの放送がスタートしたことから、新聞などの取材を受けているようです。

飛鳥明子さんの旦那様の片野実雄さんはシングルファザーとして苦労しながらも娘さんを育てたと思われます。

このようにドラマでは、大和礼子が命と引き換えに出産した娘を股野が立派に育てていく?という展開になるのかな?と思います。

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