宇野千代流産の原因は不育症・不妊だった?史実は?

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朝ドラ「ブラッサム」で、珠(石橋静河)がおなかの赤ちゃんを亡くす悲しい展開があり、話題になっています。
珠にはモデルがいて、それが作家の宇野千代(うの・ちよ)さんです。
第7週では、珠がお医者さんからつらい言葉を告げられる場面も描かれます。

「宇野千代さんも同じだったの?」「原因は何だったの?」と気になった方もいるのではないでしょうか。
今回は、ドラマのネタバレと、宇野千代さんの流産・死産の史実、不育症や不妊の可能性についてまとめてご紹介します。

目次

ブラッサム 珠の流産ネタバレ

珠が妊娠7か月で流産する悲しい展開

宇野千代(うの・ちよ)さんをモデルにした主人公の珠は、東京で保(金子大地)と恋人になり、赤ちゃんを授かりました。
札幌行きも決まり、母親になる日を楽しみにしていた第6週。

ところが、妊娠7か月をすぎたころに、珠をはげしい腹痛がおそいます。
赤ちゃんは早く生まれてしまい、助かりませんでした。

作りかけの肌着を見つけて、自分を責めて泣く珠の姿に、胸が苦しくなった方も多かったようです。

https://twitter.com/annomiyu/status/2119024176401109305

第6週のくわしいネタバレは、以下の記事にまとめています。

ブラッサム 珠の妊娠と子供の今後はどうなる?ネタバレとは?

札幌で少しずつ笑顔を取りもどす

保は大学をやめて、珠と札幌で新しいくらしを始めました。
仕立ての仕事が評判になり、珠は少しずつ元気になっていきます。

頼母子講で大金も手にした2人は、家を買おうと考えはじめ、ようやく子どもの話もできるようになりました。

第7週ネタバレ「元気な赤ちゃんは望みが薄い」

しかし、第7週でふたたび試練がやってきます。
浪江(杉田かおる)に念のためにとすすめられた助産院へ行くと、お医者さんから思いもしないことを告げられるのです。

その夜、珠は保に打ち明けます。
珠の体では、元気な赤ちゃんが生まれる望みは薄いというのです。

もうあんな思いはしたくないと泣く珠。
保は「つらかったのう」と寄りそい、子どものことはあきらめるしかないと受け止めます。

このあと珠は、仕立ての仕事に身が入らなくなってしまいました。
そんなときに新聞で見つけたのが、新人小説の募集です。

物語はここから、珠が小説家として大きく動き出していきます。

宇野千代の流産の原因は不育症だった?史実まとめ

では、宇野千代さんの場合はどうだったのでしょうか。

藤村忠と夫婦だったころに何度も赤ちゃんを亡くした

史実の宇野千代さんも、2番目の夫・藤村忠さんと夫婦だったころに、何度も赤ちゃんを亡くしています。

亡くした数は、出どころによって分かれています。

  • 6人:1983年の『婦人公論』で、瀬戸内寂聴さんとの対談で語ったと紹介されている数
  • 5人:札幌時代を取り上げた記事によるもの(妊娠5回のうち流産が4回、もう1回は誕生した日に死亡)

いずれにしても、5回以上の妊娠で、1人も育たなかったことになります。

SNSでも、この史実にふれる声がありました。

史実のくわしい内容は、以下の記事でまとめています。

宇野千代は流産・死産を経験した?妊娠と子供の史実まとめ

本人は「骨盤が小さいから」と語っていた

原因について、本人はどう考えていたのでしょうか。

同じ対談の中で、宇野千代さんは、自分は骨盤が小さいので赤ちゃんがおなかで大きく育たず、7か月くらいまでに生まれてしまう、という意味のことを話していたそうです。

ドラマの珠が7か月で赤ちゃんを亡くす設定は、この話と重なります。

ただし、これは本人の話として伝わっているものです。
お医者さんの診断として残っているものは、調べた範囲では見つかりませんでした。

不育症とは?

ここで気になるのが「不育症(ふいくしょう)」です。

さいたま市のホームページでは、不育症を次のように説明しています。

  • 妊娠はできるものの、流産や死産、生まれて1週間以内に赤ちゃんを亡くすことを、2回以上くり返す状態
  • 半分以上は、原因がわからない流産
  • わかる原因には、子宮の形、甲状腺のはたらき、染色体、血を固めるはたらきの異常などがある

「妊娠できない」のではなく、「妊娠はするけれど、赤ちゃんが育ちにくい」状態のことなんですね。

不妊とのちがいは?

いっぽうの「不妊」は、妊娠を望む健康な男女が、一定の期間(一般的には1年ほど)妊娠しない状態をいいます。

宇野千代さんは、何度も妊娠しています。
そのため、藤村忠さんと夫婦だったころは、「妊娠しにくい」という意味の不妊には、あまり当てはまらないように見えます。
ただ、その後の体の状態までは記録がなく、妊娠しにくくなっていた時期があった可能性も、ないとは言い切れません。

宇野千代は不育症だった可能性はある?

何度も赤ちゃんを亡くしたという史実だけを見ると、今でいう不育症に当てはまる可能性はありそうです。
「2回以上くり返す」という説明に、合っているからです。

もちろん、100年以上前のことで、宇野千代さんが不育症と診断されたわけではありません。
検査の記録もないので、本当の原因はわかりません。
本人が語った骨盤の話も、さきほどの不育症の原因の例には入っていません。

なお、さいたま市のホームページによると、今は不育症の外来を受診した方の約80%以上が出産に至っていると報告されているそうです。
大正時代とは、まったく状況がちがうんですね。

ブラッサムの医師の言葉は実話?ドラマと史実のちがい

史実で医師に言われたかはわからない

ドラマのように、宇野千代さんがお医者さんから「元気な赤ちゃんは望みが薄い」と言われたのかどうか。
これについては、調べた範囲では確認できませんでした。

宇野千代さんは、自伝的な作品『生きて行く私』でも、流産や死産についてはほとんど書いていないといわれています。
この場面は、本人が語った「育たない体」という話をもとに、ドラマで作られた可能性もありそうです。

ドラマと史実のちがいは?

ドラマと史実を並べてみましょう。

  • ドラマ:結婚する前に妊娠し、亡くす赤ちゃんは1人
  • 史実:藤村忠さんと結婚して夫婦だったころに、5〜6人ともいわれる赤ちゃんを亡くした
  • ドラマ:助産院で、お医者さんから体のことを告げられる
  • 史実:本人が対談で「骨盤が小さい」と語った(医師に言われたかは不明)

何度もくり返された悲しみを、ドラマでは1つの流れにまとめて描いているようです。

悲しみのあとに書いた小説で作家の道へ

史実の宇野千代さんも、札幌で仕立ての仕事をしながら小説を書き、『脂粉の顔』で懸賞小説の1等に選ばれます。
ここは、ドラマの珠と同じ流れです。

宇野千代さんが札幌へ行った理由や、仕立ての話は、以下の記事でまとめています。

宇野千代は北海道の札幌になぜ行ったのか?史実まとめ

宇野千代が仕立て屋をしたのは実話?【ブラッサム】

宇野千代さんは、そのあと98歳まで書き続けました。
子どもを育てることはかないませんでしたが、たくさんの作品を世に送り出した人生でした。

つらい経験をした珠が、どんな小説を書いていくのかにも注目です。

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