やなせたかしが漫画コンテストで「ボオ氏」グランプリ受賞の史実とは?

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NHK朝ドラ「あんぱん」で北村匠海さん演じる柳井嵩(やない・たかし)が漫画コンテストに応募し「ボオ氏」でグランプリを獲得しますが、やなせたかしさんのエピソードの実話なのでしょうか?

やなせたかしさんも漫画コンテストで「ボオ氏」でグランプリを受賞した史実をご紹介します。

目次

あんぱんで柳井嵩が漫画コンテストに応募!きっかけは世界旅行の置いてけぼり!

きっかけは世界旅行の置いてけぼり!

9月2日放送の朝ドラ「あんぱん」では、柳井嵩(北村匠海)といせたくや(大森元貴)がいつものように喫茶店で話をしていると、辛島健太郎(高橋文哉)がやってきます。

健太郎は、嵩の漫画家仲間がひどいと言うのです。

それは嵩に声をかけずに、皆で海外旅行に行ってしまったから。

自分には漫画家としての代表作が無く、漫画家仲間から認められていない?

そんなふうに思ったのか、かなりショックを受けた嵩。

妻であるのぶ(今田美桜)はそんな嵩を連れ出して、一緒に近くの階段を上り「いごっそうになれ」とアドバイス!

いごっそうとは、大胆不敵に己を貫くという意味です。

のぶのその言葉に前向きさを取り戻した嵩。

柳井嵩が漫画コンテストに応募!そして「ボオ氏」がグランプリ受賞

9月3日放送の第113話ではなんと漫画コンテストに応募することを決意するのです!

週刊誌の漫画コンクールのページを目にした嵩(北村匠海)は、のぶ(今田美桜)に勧められ、その懸賞に挑戦することに。

結果よりも描きたい漫画を描くことに意味があると言うのぶに、自分にもプライドがあると言って何日も仕事部屋にこもる嵩。心配するのぶの前で、嵩はこれがダメだったら漫画家をやめると宣言する。

引用元:公式サイト

皆さんすでにご存じかと思いますが、嵩のモデルは「アンパンマン」を生み出した漫画家のやなせたかしさんですね。

のぶにすすめられて、とある漫画コンテストに応募する決意をした、たかし。

そして、たかしは、結太郎の「帽子」を被って掃除機をかけるのぶを見て思いつきます。

それは、正体のわからない「某氏」を主人公にした漫画『ボオ氏』!

一心不乱に描き続けて、コンテストに応募!すると・・・なんと漫画懸賞で大賞を受賞するんです!!

八木の会社で受賞祝いが開かれることになります♪

世界旅行に誘われなかった悔しさをバネに頑張ったたかし。

果たして、この漫画家コンテスト応募エピソードは史実なのでしょうか?

以降でご紹介します。

やなせたかしが漫画コンテストに応募を決意の実話とは?

コンテスト応募のきっかけの世界旅行

まずは9月2日に描かれた、海外旅行に誘われなかったエピソード。

これも実はやなせたかしさんの史実なんですね。

やなせたかしの世界旅行の漫画家の仲間はずれ事件は実話だった!

やなせさんは三越で会社員をしていた時代からマンガを多数投書しており、その時期に小島功さんを中心にした独立漫画派という集団に属しています。

のちにフリーになってからは、成人向けのマンガ、いわゆる「大人漫画」を描く漫画家たちの団体、漫画集団にも入ることに。

漫画集団には、『まっぴら君』の作者である加藤芳郎さんら、さまざまな漫画家がおり、1960年代になってからは、手塚治虫さん、赤塚不二夫さん、石ノ森章太郎さん、藤子不二雄ら有名漫画家も加入しています。

そんな漫画集団で、やなせさんは月1の総会や年末に箱根で行われる忘年会が楽しみだったそうです。

自伝の中で、特に忘年会が「大人の学芸会みたいで楽しかったですよ」と振り返っていました。

しかし、やなせさんはその漫画集団の世界旅行にはなんと誘わなかったのです((+_+))

やなせさんの自伝で当時の自らのことをこう振り返っています。

「漫画家の中では相かわらずランクは眼にも見えない下の方で、相撲の番付でいえば序二段ぐらいのところだ」

「漫画集団世界旅行というのにもさそいの声さえかからなかった。自分が完全に無視されている、存在していないとおなじ、ということが身にしみた」

当時のこの出来事はかなり悔しかったようですね。

とある漫画コンテスト【懸賞】を受けることに!

そんなやなせさんが、漫画集団が旅行に行っている1967年、週刊朝日の「プロアマ問わず連載漫画募集」という「週刊朝日漫画賞」の広告を見かけます。

すでにプロであったやなせさんは、応募をためらったそう。

もしも落選したら、もしくは微妙な三位や佳作に終わったら、周りに笑われるのではないかと。

しかし応募を決めたやなせさん。

その背景には、漫画集団からはぶられた屈辱的な出来事が大きかったようですね。

落ちたら恥をかくという恐れもあったものの決意すると、ペンネームや違う名前なども使わずにプロの漫画家「やなせ・たかし」(当時は「・」が入っていたそうです)の名前で作品を描くのでした。

当時、詩人としてはそれなりに評価はされていたが、漫画家としては世間からも同業者からも無視されている。

それがたまらなく悔しかったゆえの応募でした。

「ボオ氏」グランプリ受賞の史実とは?

「ボオ氏」とは?

そして漫画懸賞に応募することにしたやなせたかしさん。

応募する漫画はパントマイムをネタにするものでした。

無声漫画なら世界中誰でも理解できるから。

キャラクターの顔は分からないようにして、読者の想像力に任せることに。

こうして誕生した漫画が「MR.BO(ミスター・ボオ)」、「ボオ氏」でした。

「ボオ氏」は帽子をかぶったキャラと、某氏にかけたネーミング。

半年分となる24本の四コマ漫画を完成させました。そして主催だった朝日新聞社に持って行くのでした。

まさかの!?グランプリ受賞!

やなせさん的にはあまり手ごたえはなかったそうですが・・・

なんと結果は週刊朝日漫画賞グランプリ受賞を獲得したのです!!!

これにはやなせさんも大喜びし、周囲からの反響も上々でした。

漫画家としての評価は高まり、この「ボオ氏」シリーズは晩年まで続き、アンパンマンに並ぶ代表作となります。

そして「ボオ氏」が世に広まったある日、やなせさんのもとに一本の電話が入ります。

それは漫画家・手塚治虫からでした。

劇中では、手嶌治虫の名前で前田郷敦さんが演じていますね!

手塚治虫は、同じ漫画家集団にいるも、別世界の人間。

そんな手塚治虫が長編アニメを制作するので、手伝ってほしいと連絡をしてきたのです。

当初は冗談だと思い、二つ返事で返したやなせさんでしたが・・・

なんと冗談ではなく、手掛ける映画「千夜一夜物語」は大人向けだから、キャラクターデザインをそれに適した人に任せたいと、やなせたかしさんに白羽の矢を立てたというわけ。

こうして、やなせさんはさらに漫画家として知名度を高めていくことになるのでした。

 

幻の「週刊朝日漫画賞」の意外な展開

以外な後日談!幻の漫画賞に

先ほどご紹介した「週刊朝日漫画賞」グランプリ受賞ですが後日談がありました。

当時のニュースは全国で報じられ、周囲からも次々と祝福の声が届きました。まだ無名の若手だったやなせさんにとって、大舞台に立ったかのような出来事でした。

ところが、この栄誉には少しばかり不思議な後日談があります。実はこの「週刊朝日漫画賞」、やなせさんが受賞したその回かぎりで打ち切られてしまい、二度と開催されることはありませんでした。まさに“幻の賞”となったのです。

授賞式も行われず連載もすぐに終了!?

さらに授賞式も行われませんでした。

代わりに、やなせさんが当時出していた詩集『愛する歌』をもとにしたコンサートの会場に、週刊朝日の編集長がふらりと現れ、その場で賞状と賞金を渡したといいます。

華やかなセレモニーとは程遠い、どこか拍子抜けするような光景。しかし、その素朴で人間味あふれる瞬間は、後になってやなせさんの記憶に深く刻まれました。

受賞作『ボオ氏』は週刊朝日で半年ほど連載されましたが、あっけなく終了します。

とはいえ、やなせさんは別の媒体に舞台を移し、同作を描き続けました。決して大ヒットにはつながらなかったものの、自身の手で作品を育てる喜びを味わったのです。

のちにやなせさんは自著『アンパンマンの遺書』の中で、この経験をこう振り返っています。

「冬枯れの小道にかすかに一条の光がさしたような感じはあった」

それは、大きな成功ではありませんでした。しかし、暗闇の中でほんの少しでも希望を見つけることができれば、人はまた歩き出せる。やなせさんにとってこの受賞は、漫画家としての未来を信じるための小さな光だったのです。

まとめ

今回は「あんぱん」の嵩の漫画コンテストグランプリは史実なのかご紹介しました。

やなせたかしさんは、漫画仲間の世界旅行に誘われなかったことがショックで、一念発起して漫画コンテストに応募することに。

「ボオ氏」という作品を書き上げ、グランプリを獲得し漫画家としての名声を上げたのです。

結果的に旅行からはぶられて、良かったかもしれませんね(;^_^A

朝ドラ「あんぱん」でもそのエピソードが、9月3日から4日にかけて描かれるので是非皆さんご期待ください!

 

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