黒柳徹子の父親の戦争の史実や死因とは?シベリア抑留はどうなった?

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黒柳徹子さんの父親は、天才バイオリニストだった黒柳守綱(くろやなぎ・もりつな)さん。

朝ドラ「チョッちゃん」では世良公則さんが演じていますが2025年8月30日に放送される「24時間テレビ48ドラマスペシャル」では小澤征悦さんが演じますが戦争の史実や死因とは?

黒柳徹子さんの父親、守綱さんの戦争の史実や死因などについてご紹介します。シベリア抑留の後はどうなった?

目次

黒柳徹子の父親は黒柳守綱!バイオリン奏者で驚きの結婚秘話も

黒柳守綱さんと朝さんご夫妻。おふたりともなんとお美しいこと(≧∇≦)

この写真は、淡谷のり子さんが「美しい夫婦」と推薦し、雑誌に掲載されたものとのこと。

守綱さんは写真が嫌いだったそうで、貴重なお写真です。

生まれ

黒柳守綱さんは1908年、医者でカトリック本所教会の長老を務めていた田口潔矩さんの四男として東京に生まれました。

兄は松竹蒲田撮影所の初代所長の田口桜村さんと、ジャーナリスト・カメラマンの田口修治さん。

守綱さんが8歳のときに父親が他界し、兄の修治さんとともに三越呉服店で働き始めました。

このとき守綱さんは12歳でしたが、社員として働いたそうです。

時期はわかりませんが、田口姓から母方の黒柳姓に変わりました。

三越でバイオリンと出会う

三越で三越少年音楽隊入隊し、そこでバイオリンと出会います。

この音楽隊は吹奏楽団でしたが、管弦楽も演奏するようになっていました。

1922年に音楽隊は解散します。

守綱さんはハタノ・オーケストラを経て、山田耕筰さんに見いだされ、日本交響楽協会に進みました。

天才少年バイオリニストとして、当時話題になったといいます。

1932年ころ、ダンスホール「フロリダ」の昼のステージに出演。折からブームとなっていたタンゴを演奏されたそうです。

1937年に現在のNHK交響楽団のコンサートマスターに就任。

1942年から東京弦楽四重奏団としても活動し、毎日新聞優秀演奏家賞を受賞されました。

結婚までの驚きの秘話

黒柳朝さんが東洋音楽学校声楽家に、伯父の家から通っていたときに、守綱さんと出会いました。

ベートーヴェンの『第九交響曲』の公演を共にし、最終日の帰りに朝さんを待っていたのが守綱さん。

お茶に誘われ喫茶店を出であと、断り切れずに守綱さんの部屋に着いていった朝さん。

30分ほどで帰ろうとしましたが、電車はもうないので、泊まっていくしかない、と引き止められます。

朝さんはこのとき「人さらいにさらわれた、もうダメだ」と思ったそうです(^^;)

そのまま軟禁状態となった朝さんでしたが、当時朝さんを可愛がっていた淡谷のり子さんの後押しにより、ふたりはその後結婚します。

翌年の1933年に長女の黒柳徹子さんが誕生。3男2女が誕生しましたが、長男は幼いころに亡くなっています。

おふたりはおしどり夫婦で、いつも一緒だったといい、黒柳徹子さんはこのように語っています。

母は父からものすごく大事にされていた

愛されすぎて、朝さんは同窓会にも行けなかったといいます(^^;)

ですが朝さんも守綱さんと出かけるときはすごくおしゃれをしたといい、特に守綱さんが出るコンサートのときは、それは着飾って行ったそうです。

満洲国建国10周年を祝し、1942年にほかの演奏家や楽団員で組織された「満洲国建国十周年慶祝交響楽団」の第1バイオリンで参加。

満州国に派遣されます。指揮は山田耕筰さんでした。

日本はだんだんと戦況が厳しくなっていきます。

 

黒柳守綱の戦争の史実とは?シベリア抑留はどうなった?

出征

黒柳守綱さんは1944年に召集され、満州に出征しました。

1945年に日本が敗戦し終戦。守綱さんはシベリア抑留となります。

このころ朝さんと子どもたちは、青森に疎開していました。

朝さんは行商で生計を立て、子どもたちを育てます。

守綱さんからはずっと音信不通だったのですが、守綱さんたちがシベリアに抑留されている、と新聞に大きく載りました!

新聞に大きく掲載されるなんて、守綱さんはかなりの有名人だったのでしょうね。

朝さんは汽車が止まるたびに走って行き、「黒柳守綱さんのバイオリンを聞いた方、いらっしゃいませんか?」と聞いていたそうです。

ある日聞いた、という人がいて「元気でしたよ、奥さんも頑張って生きてください」と声をかけらたことがあったといいます。

何も情報がないなか、朝さんは精いっぱいの情報収集をされたのでしょうね。

シベリア抑留

ロシア(当時はソ連)によるシベリア抑留は、戦後満州や千島列島にいた60万人もの日本人がいて、シベリアやモンゴルの各地の収容所に移送されました。

多くが20歳前後の青年たちで、極寒のなか、飢餓に苦しみ重労働をさせられています。

最初の1年目ではおよそ6万人の死亡者が出たといいます。

そんななか守綱さんはロシアからバイオリンを渡され、ハバロフスク沿岸の日本人の捕虜の収容所の巡回と慰問をされます。

音楽を含めた芸術を、国民の意識をするための策として重視していたため、音楽家は貴重な存在だったのかもしれません。

守綱さんは合唱指揮者の北川剛さんチェリストの井上頼豊さんとともに「沿海州楽劇団」として活動。

のちにはロシア人たちのため、工場や作業場などでも演奏するようになりました。

守綱さんは出征前、家族で撮った写真を軍服のポケットにしまい、家族とともにいる気持ちで過酷な捕虜生活を送っていました。

捕虜のお世話をするロシア人のご婦人から「家族はいるのか?」と聞かれた守綱さん。

写真を見せるとそのご婦人が言いました。

こんなきれいな奥さんと可愛らしい子供がいるんだから、逃げようなんて思っちゃダメよ、絶対帰れるんだから

当時は収容所から脱走し、銃殺される日本人もいたようです。

帰還

守綱さんは1949年に帰還しますが、このときロシアから引き止められたそうです。

守綱さんが帰還され、家族が品川駅に迎えに行ったとき、守綱さんは朝さんと徹子さんにこう言いました。

良かった

ロシアで随分引き止められたそうです。

「日本はアメリカのものになっているから、帰国しても仕方ない。

モスクワでバイオリンの先生になってくれないか?」

守綱さんはロシアでとても貴重な存在だったのでしょうね。

戦時中に軍部の人に、軍歌は弾きたくない、と言っていたという守綱さん。

ですが捕虜収容所では、リクエストされれば軍歌でも何でも弾いたそうです。

知らない歌であれば、一度歌ってもらい、楽譜に落として弾いたそうなので、守綱さんの熱意も相当のものだったのでしょう。

捕虜収容所で辛い思いをしているみなさんのため、きっと一生懸命に弾かれたのだと思います。

帰国されてから、守綱さんらによりロシア音楽が日本に広められていきました。

新交響楽団、東京交響楽団といった、当時の日本における主要オーケストラのコンサートマスターを歴任。

スタジオでは、1954年公開「ゴジラ」のテーマ曲を演奏されました。

黒柳守綱の死因とは?プレイボーイの最期の言葉とは?

厳しい戦争を生き抜いた黒柳守綱さん。

黒柳守綱さんは1983年に74歳でお亡くなりになっています。

死因は心筋梗塞だったそうです。

このとき黒柳徹子さんは「徹子の部屋」の収録前だったそうですが、気丈に番組の収録をされました。

音楽界では「才気煥発でハンサム、女性にモテる人物」と評されており、徹子さんも著書などで「結婚前はプレイボーイだった」と触れていた黒柳守綱さん。

しかし、結婚後は一途な夫となり、徹子さんの母・朝さんを大切にし続けたといいます。
浮気をしないだけでなく、家族に深い愛情を注ぎ続けたことが、徹子さんの回想に色濃く残っています。

そして最期は妻の朝さんに「じゃあね」「君は僕がいなくなっても誰とも恋をするなよ」
という言葉を残し、この世を去られました。

徹子さんはこれを印象的に語っておられました!
プレイボーイと呼ばれた青年時代からは想像できないほど、夫婦愛を全うした人だったことが伝わります。

徹子さんはお父様を非常に尊敬しており、著書や対談でもしばしば父の話題を出しています。
とても映画や小説のように劇的で、愛情深い生涯ですよね。

黒柳徹子の父親役の歴代キャスト俳優とは?小澤征悦と守綱の縁とは?

これまでに黒柳守綱さんを演じた俳優たちをご紹介します。

MHK連続テレビ小説「チョッちゃん」 世良公則

1987年に放送された第38作目のNHK連続テレビ小説。

黒柳朝さんの自伝『チョッちゃんが行くわよ』を原作とし、黒柳朝さんをモデルとしたヒロイン、蝶子役を古村比呂さんが演じました。

世良公則さんが演じた岩崎要は、独学で身に着けた天才バイオリニスト。女性にモテすぎてトラブルが絶えない人物です。
気性が荒く、柔軟性がないと評される人物です。

テレビドラマ「トットてれび」 吉田栄作

「トットてれび」は2016年に放送されたNHK総合の土曜ドラマ。

黒柳徹子さんの自伝エッセイ『トットひとり』『トットチャンネル』を原作とし、主人公を満島ひかりさんが演じました。

夫となる黒柳守綱役を演じたのは吉田栄作さん。

第1話のみの登場でした。

テレビドラマ「トットちゃん」 山本耕史

2017年にテレビ朝日系「帯ドラマ劇場」で放送。黒柳徹子さんの半生と家族の物語を描いた大石静さんの作品です。

清野菜名さんと松下奈緒さんのW主演。徹子さん役を清野菜名さん、母親の朝さん役を松下奈緒さんが演じました。

守綱さん役は山本耕史さんです。

24時間テレビ「48ドラマスペシャル」 小澤征悦

2025年8月30日と31日で放送される、日本テレビ系24時間テレビのなかの「48ドラマスペシャル」で、黒柳徹子さんががNHK専属女優となるまでの青春時代が描かれます。

黒柳徹子さんの役を蘆田愛菜さんが演じます。

「神様は、どんな人間にも、必ず、飛び抜けた才能を1つ与えてくださっている」

そんな父の言葉を信じ、それを見つけるためにあらゆることに挑戦。

ですがどれもなりたい自分ではなく・・・。

やがて徹子はたった一つの大きな夢を見つける!というあらすじです。

黒柳守綱さんの役を小澤征悦さんが演じます。

ご存じの方も多いと思いますが、小澤征悦さんの父親は、指揮者の小澤征爾さん!

小澤征爾さんが高校生の時、師事していたチェロ演奏者の齋藤秀雄さんがオーケストラを指揮した際は、黒柳守綱さんがコンサートマスターを務めていた、と小澤征爾さんが語っておられました。

一緒に演奏されたことも、あったのでしょうね。

自分の父親との知り合いの役を演じる。そんなご縁があるほか、黒柳徹子さんとも公私にわたりお付き合いがあるとのことです。

声優として 田中秀幸・小栗旬

1996年に公開された劇場アニメ『チョッちゃん物語』は、黒柳朝さんの自伝エッセイ『チョッちゃん物語』が原作。

朝さんの声は 島本須美さん、守綱さんの声は田中秀幸さんが演じました。

劇場アニメ『窓ぎわのトットちゃん』は2023年に公開。黒柳徹子さんの『窓ぎわのトットちゃん』が原作です。

トットちゃんの声を大野りりあなさん、守綱さんの声は小栗旬さんが演じました。

まとめ

黒柳徹子さんの父親、黒柳守綱さんの戦争の史実や死因についてご紹介しました。

1944年に出征し満州へ。終戦後はロシアに抑留されシベリアへ。

ロシアからバイオリンを渡され、ほかの音楽家たちと収容所への慰問などをされていました。

4年後に帰還が決まりますが、モスクワでバイオリンの先生になってほしいと頼まれます。

ですが断り帰国し、家族と再会し戻ってよかったと思ったそうです。

音楽一筋、妻の朝さん一筋だった黒柳守綱さん。

黒柳徹子さんはこう語っておられます。

わたしは、父ほど人を疑わない人を見たことがない

きっとものすごく純粋で、人を疑うことを知らない人物だったのでしょうね。

黒柳守綱さんは1983年4月30日、心筋梗塞により74歳でお亡くなりになりました。

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