すみれたちが立ち上げたベビーショップ「キアリス」の百貨店での出店が決まって盛り上がってきたNHK朝ドラ「べっぴんさん」。
そんな中、注目したいのが「キアリス」。このベビーショップにはモデルがあるんです。
それは子供服ブランド「ファミリア」です。今回はこのファミリアの創業の歴史や成功までの道のりをまとめて、ドラマのストーリーと違っているのかまとめてみました。
はじまりはベビーショップモトヤの開店
[blogcard url=”https://dorama-netabare.com/archives/5664″]ヒロインすみれのモデルになったのは坂野惇子さんです。
坂野さんについては以下に少し説明してあります。
[blogcard url=”https://dorama-netabare.com/archives/2628″]昭和23年にファミリアの前進となるベビーショップモトヤを坂野惇子さんを中心に以下の4人の主婦で始めました。
坂野惇子
田村江つ子(惇子の女学校時代の親友で絵の才能に恵まれた)
田村光子(江つ子の義姉で技術面・経営面に長けていた)
村井ミヨコ(体が丈夫ではなかったが底抜けの明るさがあった)
ドラマでは独身ベビーナースの明美がいますが、実際は主婦4人で始めました。
ちなみに明美のモデルになったとされている人もいます。以下の記事にまとめてあります。
[blogcard url=”https://dorama-netabare.com/archives/5568″]
ちなみに、ドラマでモモクロ百田夏菜子さん演じる良子のモデルは田村江つ子で、君枝のモデルは村井ミヨコですね。
君枝が病弱であったところなど、忠実にドラマで再現していることがわかります。
当初ベビーショップモトヤは惇子の実家の得意先だった靴職人元田蓮の靴屋の片隅のスペースを借りてオープンしました。
これもドラマで忠実に再現されていますね。市村正親さん演じる靴職人さんとのエピソードも史実とほとんど同じです。
戦後だった当時は、物不足で粗悪品が多く出回っていました。しかしベビーショップモトヤで惇子たちが出していた商品は、戦前に蓄えていた外国製の一流品を使って製作されていたので、驚くべき品質でした。
このことから、開店初日から4万円の売り上げを記録して評判は口コミで広がっていきました。
ベビーショップモトヤの成功の理由は?
一流品を使っていただけでなく、惇子たちのこわだりや、センスは技術がベビーショップを成功に導きました。
「お母さん、赤ちゃん、子供のために良い商品を提供する」という想いのもと、活動的な子供に耐えられるように2度縫いをして耐久性を高めたり、赤ちゃんの肌着は縫い目をあえて外に出して、赤ちゃんの柔らかい肌に縫い目が直接触れるのを避けました。この部分もドラマで描かれていましたね。
また当時、子ども向けのおもちゃがあまり売られてなかったので、空き缶を利用してかわいいおもちゃのバケツを作ったり、かわいい容器を作って、容器にはエプロン、ハンカチなどを入れてギフト商品にするなどの工夫を凝らして人気を得ていました。
またセットやコーディネイト商品も上手に編みだしていて、入学・入園シーズンには弁当箱を入れる袋を作ったり、幼稚園カバンとセットにして販売することを思いついたりしました。
こういったアイデアを上手に生み出していったことも、成功につながった要因だったようですね。
商品力はあるけど経営力はなかった?
[blogcard url=”https://dorama-netabare.com/archives/4559″]ドラマでも描かれていましたが、経営については素人だった惇子たちは、商売の基本がわかっていませんでした。
お店の人気の伴って、お客から個人的に注文を受けることもあったが、その際に制作のための自分たちのデザイン料や労賃を含まない料金で仕事を請け負ってしまったり、商品管理もきちんとできてなく、商品が万引きされてもわからない状態で在庫表もつけていませんでした。
そんな惇子たちに靴屋の靴職人元田蓮や惇子の夫の坂野道夫、また田村江つ子の実家の商家の人間などが経理や商売のいろはを教えて、次第に惇子たちも商売について学んでいったと言われています。
惇子たちの成功は、彼女たちだけでなく、周囲にいろいろな人たちに支えられた結果だったことがわかりますね。
ベビーショップモトヤからファミリアへ
[blogcard url=”https://dorama-netabare.com/archives/5737″]靴屋さんの片隅で始めたベビーショップモトヤは、人気に伴い、オープンの翌年の昭和24年に靴屋のすぐ近くに独立店舗を構えます。そしてそこでも順調に売り上げを伸ばしていきました。
ちょうどそのタイミングで惇子父親の佐々木八十八が創業した現在のレナウンの前進佐々木営業部のファッション施設レナウンサービスステーションが閉店することになります。そして佐々木営業部の 社長の尾上清が、惇子たちにその跡地で本格事業を始めることを提案。
このことがきっかけで昭和25年に「ファミリア」が誕生したのでした。
ファミリアの由来は、ある日惇子が偶然出会ったフランス人に家族のことを「ファミリア」と呼ぶことを聞いて英和辞典で意味を調べると「親しい」「親密な」「家族の」と書かれているのを見て「これだ!」と感じたそうです。
惇子の仕事への想いが伝わってくるエピソードですね。
ファミリアの発展!
[blogcard url=”https://dorama-netabare.com/archives/5664″]ファミリアはドラマと同じように大阪の阪急百貨店で委託販売を始めて成功します。詳しい内容は以下にまとめてあります!
[blogcard url=”https://dorama-netabare.com/archives/5667″]そして、阪急百貨店での成功の後の昭和25年、当時佐々木営業部に勤めていた惇子の夫坂野道夫はファミリアに入社。
取締役を務めて数年会社内の整備をして、終了した後、昭和31年にファミリアの社長に就任します。
そして関西から東京に進出。ファミリアは異例のスピードで発展していくこととなります。
ファミリアがどんなブランドであるかは以下にまとめてあります!
[blogcard url=”https://dorama-netabare.com/archives/2921″]またファミリアの転機となる美智子さまご懐妊のエピソードと皇室御用達になるまでのお話を以下にまとめてあります!
[blogcard url=”https://dorama-netabare.com/archives/6762″]
そしてドラマ同様ファミリアは次の世代に引き継ぎをします。
ドラマのすみれの娘のモデルである惇子の娘光子が結婚するのですが、その結婚相手である岡崎晴彦さんがファミリアの社長となります。
ドラマではさくらの幼馴染のけんちゃんこと健太郎がすみれと結婚しますが、そのモデルは社長となる岡崎晴彦さんだと思われます。
そんな健太郎のモデルであろう岡崎さんについては以下の記事にまとめてあります!
[blogcard url=”https://dorama-netabare.com/archives/9849″]岡崎さんは惇子や道夫から会社を引き継いだ後、その手腕から、ファミリアを支え続けて、今だに老舗ベビー服メーカーとして、一目置かれているポジションをキープし続けています。