べっぴんさんで大急百貨店のモデルは阪急百貨店!大急特選などネタバレ

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NHK朝ドラ「べっぴんさん」も大急百貨店(だいきゅうひゃっかてん)への進出問題で盛り上がっていますね。

大急特選マークとかすごい言葉も飛び出しています(笑)

俳優伊武雅刀さんが貫禄ある演技で社長大島演じている百貨店ですが、ちゃんとモデルがあるんです。

それは阪急百貨店です。言わずと知れた関西の老舗百貨店ですね。

今回はその阪急百貨店とキアリスのモデルとなったファミリアとの関わりについて史実をまとめてみました。すると、朝ドラ「べっぴんさん」は史実(原作)にしたがってかなり忠実に描かれていることがわかりました!

 

 

目次

阪急百貨店社長清水雅とファミリアとの出会い

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伊武雅刀さん演じる大島保社長ですがそのモデルも阪急百貨店清水雅さんです。

清水さんについては以下の記事に詳しくまとめてあります!

[blogcard url=”https://dorama-netabare.com/archives/5664″]

そんな清水社長とキアリスのモデルとなっている子供服ブランド「ファミリア」との出会いは、「べっぴんさん」で忠実に描かれていました。

社長が婦人と休日に神戸の町を散策していた時に、目に留まったファミリアの店舗。

他のお店にはないオリジナリティを感じて「この店は成長する!!!」と直感。

すぐに部下にファミリアについて調べて商品の仕入れを検討するように指示しました。

ドラマでは社長夫人がすみれたちのファッションショーを訪れて興味を持ったという設定でした。

そして部下の課長鳥居正一郎は佐々木営業部で阪急百貨店の担当をしていた坂野道夫に「神戸のファミリアというお店を知っているか??」とたずね「それは妻がやっているお店です」と話すと鳥居がびっくりしたということです。

そう、この坂野道夫がすみれのモデルとなった坂野惇子の夫で、紀夫のモデルになった人です。このエピソードもドラマとほぼ同じですね。

 

なかなか折り合いがつかないファミリアと阪急百貨店

 

 

道夫は「絶好のチャンス」と惇子たちを連れて阪急百貨店へ向かいます。

そして宣伝部長から取引の条件を聞きます。

するとファミリアのネームタグを「阪急特選」のマークに付け替えて納品すること、価格はできるだけ好条件で買い取ることが告げられて、良い条件だと道夫は思いました。

出た阪急特選(笑)これも史実と同じだったんですね~。

しかし、惇子たちは首を縦には振りませんでした。

自分たちの商品にファミリア以外の名前が付けられることを嫌ったのでした。

通常百貨店で小売店の名前の付いた商品を売ることはできないと説明されてもその意志は変わりませんでした。

ファミリアは商品を作るメーカーであると自負していたんです。惇子たちがそれだけこだわりを持って、商売をしていたことがわかるエピソードですね。

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また惇子の父親からの「商標を大切にしなさい」という助言も胸に刻まれていたようです。

でもこの時の惇子たちのこだわりがなければ、ファミリアの今の成功はなかったかもしれません。

困り果てた百貨店は「阪急ファミリア・グループ」という名称を用いる折衷案を出して、ようやく納得するのでした。

大型百貨店の体制を変えてしまうなんて、それだけ百貨店がファミリアに期待をかけていたことがわかりますね。

しかし、納品が近づいたある日、惇子たちは、百貨店で売れ残りの商品が段ボールに無造作に投げ入れられているのを見て「自分たちの商品も同じように扱われるのは耐えられない。自分たちで販売したい」と主張。

困り果てた百貨店でしたが、こうして委託販売形式を取ることとなりました。

委託販売とは百貨店に商品を販売する契約から、百貨店に直営店を出す契約に変更することです。ただし金銭的には条件が悪くなる。しかし惇子たちは、自分たちで販売する道を選びました。

これもドラマで忠実に描かれていますね。

 

阪急百貨店での委託販売の行方は?

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こうしてようやく昭和26年に阪急百貨店4階の子供服売り場に陳列台2台の阪急ファミリアグループ売り場がオープンしました。

前宣伝もしていないのに関わらず人気は髙く、商品の補充が追い付かないほどだったそうです。

これはドラマと少し違っていて、ドラマ「べっぴんさん」では最初客の年齢層が高い百貨店で苦戦を強いられます。

これをしった阪急百貨店社長の清水は惇子たちと直接会って「きっと成功するから」と商品を増やすように熱心に要請します。

清水の熱意に動かされた惇子は2カ月後にはケースを3台に増やせるまでに努力しました。

加えて、6月には7階催事場でマネキン15体を並べた「夏の子供予約展示会」を開催し大成功させました!

そして昭和27年の4月に惇子の夫である道夫は当時働いていた佐々木営業部を退社して、ファミリアに移って妻の事業を手伝うこととなります。

以降関西を経て東京進出して更にその規模を拡大していくファミリアですが、その発展の大きな転機となったのが、この阪急百貨店での事業開始だったと言えます。

引用元:出典「べっぴんさん 坂野惇子の生涯」

 

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