悠樂軒のモデルは燕楽軒!宇野千代が働いていた西洋レストラン【ゆうらくけん】

  • URLをコピーしました!
#ad #PR #スポンサー

朝ドラ「ブラッサム」第5週で、珠(石橋静河)がウエイトレスとして働きはじめる西洋レストラン「悠樂軒(ゆうらくけん)」。

悠樂軒のモデルは、珠のモデル・宇野千代(うの・ちよ)さんが、実際に働いていた本郷の西洋料理店「燕楽軒(えんらくけん)」だと考えられます。

今回は、ドラマの悠樂軒でこれから起こることのネタバレと、宇野千代さんが燕楽軒で働いていたころの史実、そして悠樂軒と燕楽軒の共通点をご紹介します。

目次

悠樂軒のモデルは燕楽軒!宇野千代が働いていた西洋レストラン【ゆうらくけん】

珠が悠樂軒で働きはじめる

第22回(10月27日放送)で、珠が「悠樂軒」の求人を見つけます。

珠(石橋静河)と保(金子大地)は下宿の大家に自分たちが兄妹ではないことを白状し、何とか同居を認めてもらうことに。しかし、保の父が入院し、仕送りが止まってしまう。どうにかして生活費を稼ぐために、珠は新しい仕事を探し始めるが、中々働ける場所は見つからない。そんな中、珠は新聞広告の片隅に西洋レストラン「悠樂軒」のウエイトレスの求人広告を見つける。さっそく、珠はそのお店に向かうが…。

引用元:番組表.Gガイド

保の実家からの仕送りが止まり、生活費をかせぐために、珠が見つけた仕事が悠樂軒(ゆうらくけん)のウエイトレスでした。

モデルは宇野千代(うの・ちよ)が働いた本郷の「燕楽軒」

珠のモデルは、作家の宇野千代さんです。
宇野千代さんも、東京に出てきたばかりのころ、本郷三丁目にあった西洋料理店「燕楽軒」で働いていました。

名前に「楽」の字と「軒」が入っていて、どちらも作家や編集者が集まる西洋料理の店。悠樂軒は、燕楽軒がもとになっているとみてよさそうです。

公式には、悠樂軒のモデルは発表されていません。
ですが、このあと紹介するように、お店の様子やお客さんまで、史実の燕楽軒とそっくりなんです。

宇野千代さんと芥川龍之介の出会いについては、こちらの記事でくわしくご紹介しています。
宇野千代と芥川龍之介の接点や関係は燕楽軒?

悠樂軒とは?朝ドラ「ブラッサム」のネタバレ

ここからは、今後のあらすじのネタバレです。

店長の熊田と、3人の先輩ウエイトレス

悠樂軒は、西洋風の華やかなお店です。
店長の熊田は、面接に来た珠をその場で採用します。
制服の着物に白いエプロンをつけた珠を見て、熊田は「実にいい!」と大よろこび。

こうして珠は、朝10時から夜8時まで、悠樂軒で働くことになりました。

店長の熊田を演じるのは、お笑いコンビ・トレンディエンジェルの斎藤司さんです。

お店には、先輩のウエイトレスが3人います。

  • 松子(瀬戸さおり):ウエイトレスの中で一番のベテラン。仕事にきびしい
  • スギ(愛/ヨネダ2000):ヨネと仲良し
  • ヨネ(誠/ヨネダ2000):スギと仲良し

スギとヨネを演じるのは、お笑いコンビのヨネダ2000のお2人です。

『首都公論』の黒崎たちが通う店

悠樂軒には、ハイカラなお客さんが次々にやってきます。

その中にいるのが、いま一番売れている文芸雑誌『首都公論』の編集長・黒崎大三郎(遠藤憲一)と、副編集長の山中勇三(井浦新)です。
日本中の作家が、自分の原稿を載せてもらおうと、黒崎に会いに悠樂軒へやってきます。

黒崎たちはとても気前がよく、珠に50銭のチップを置いて帰っていきます。
この「50銭のチップ」は、あとで紹介する史実とつながる大事なポイントです。

悠樂軒で出会う人たち

悠樂軒は、珠にとって、文学の世界への入り口になっていきます。

  • 人気作家の秋山格之介(高良健吾):お店で洋書を読みふけっているところを、松子から「作家の秋山」だと教えられる
  • 作家志望の青年・左良太(北野秀気):黒崎たちの会話をこっそり聞いて、文壇の情報を集めている。3年前に大阪から出てきた青年

珠は、書き上げた小説を黒崎に読んでもらいますが、「稚拙。つまらん」と言われてしまいます。
落ちこむ珠をはげましたのが、悠樂軒に来ていた秋山でした。

秋山格之介のモデルについては、こちらの記事でご紹介しています。
秋山格之介のモデルは芥川龍之介【朝ドラ ブラッサム】

珠が悠樂軒をやめる日

1918年(大正7年)5月、珠は保の子をみごもっていることがわかります。
保の卒業後は北海道で暮らすことが決まり、珠は悠樂軒の人たちに、保と結婚して北海道へうつることを伝えます。

黒崎たちにもあいさつをすると、「小説は、もう書かんのか?」と聞かれます。
珠は、まずはおなかの子のことに集中したいと答えました。

お店を出たところで会ったのが、左です。
左は、珠に見せようと持ってきた自分の第一作を、そっと引っこめます。
そして「お互い書き続けていたら、また会えるはず」と、再会を約束するのでした。

保が北海道で働くことになったいきさつは、こちらの記事でくわしくご紹介しています。
ブラッサム木村保(たもつ)のモデルは藤村忠!元夫の弟で驚きの結婚!?

燕楽軒とは?宇野千代が働いていた史実

ここからは、史実の宇野千代さんと燕楽軒のお話です。

本郷三丁目の角にあった本格的な西洋料理店

燕楽軒は、本郷三丁目の交差点から本郷通りを北へ100メートルほど行った、菊坂との角にあったお店です。
3階建ての大きな洋館で、とても目立つ建物だったそうです。

今はお店は残っていませんが、お店の目の前には「本郷薬師」という小さなお堂があったそうです。
本郷薬師は今もあるので、地図で場所をたしかめてみてくださいね。

燕楽軒は、この本郷薬師のすぐ前、本郷通りと菊坂がぶつかる角にありました(正確な番地はわかっていません)。

お店を開いたのは、「築地精養軒」で料理長をしていた西尾益吉さん。
本格的な西洋料理を出すお店として、文化人やお金持ちの人たちに人気がありました。

そして、燕楽軒のお向かいには、出版社の中央公論社がありました。
ここが、ドラマの『首都公論』の編集部とつながってきます。

宇野千代は「給仕女」として18日間だけ働いた

1917年(大正6年)、20歳の宇野千代さんは、本郷のある東京へ出てきました。
東京での暮らしは、それまで住んでいた京都よりもお金がかかり、宇野千代さんは家庭教師や雑誌の写真のモデル、ホテルや料理屋の給仕など、いろいろな仕事をしていました。

そのひとつが、燕楽軒の「給仕女」の仕事です。
当時の「女給」はお客さんにビールをついだりもしましたが、「給仕女」は料理を運ぶのが仕事で、少しちがったそうです。

宇野千代さんが燕楽軒で働いたのは、たった18日間でした。
それでもこの18日間が、のちの作家・宇野千代の人生を大きく動かすことになります。

常連客「金時さん」の正体は名編集長・瀧田樗陰

燕楽軒には、「金時さん」とよばれていた、まるまると太った常連のお客さんがいました。
金時さんは、いつも宇野千代さんの受け持ちの席にすわり、あっという間に食事を終えて、ビールを1杯飲みほします。
そして帰りぎわに、食事代とは別に、50銭の銀貨をチップとして置いていったそうです。

当時の50銭は、今のお金にすると5千円ほど。
とても気前のいいお客さんですね。

この金時さんこそ、向かいの中央公論社で雑誌『中央公論』の編集長をつとめていた、瀧田樗陰(たきた・ちょいん)でした。

瀧田樗陰は、『中央公論』に毎号のように文学作品を載せて、雑誌の売り上げを大きくのばした名物編集長です。
当時の作家にとって、『中央公論』に作品が載るのはあこがれでした。

ドラマで黒崎が珠に50銭のチップを置いていくのは、この瀧田樗陰のエピソードがもとになっていると思われます。

チップがたまったら、あっさりやめた

宇野千代さんは、なかなかしっかりした人でした。
50銭玉がたまって、質屋にあずけていた物を買いもどせるようになると、さっさと燕楽軒をやめてしまったそうです。

でも、燕楽軒での出会いは、お金にはかえられないものでした。
瀧田樗陰は、燕楽軒に作家たちを連れてきていて、宇野千代さんは「美人の給仕さん」としてすぐに評判になります。

作家の久米正雄が、ほかの作家に「あの娘を落とせたらおごる」と言った、という話も残っています。
また、当時まだ学生だった今東光(こん・とうこう)は、宇野千代さんにひとめぼれして、毎日のように燕楽軒に通ったそうです。

燕楽軒で宇野千代さんが知り合った作家たちについては、こちらの記事でまとめています。
宇野千代と芥川龍之介の接点や関係は燕楽軒?

燕楽軒の出会いが作家デビューにつながった

燕楽軒で知り合った瀧田樗陰との縁は、のちに宇野千代さんが作家になったときにも生きてきます。

1921年(大正10年)に懸賞小説で一等に選ばれた宇野千代さんは、次の作品を瀧田樗陰に送ります。
その作品は『中央公論』に載り、宇野千代さんは作家として歩きはじめることになりました。

ドラマの珠も、黒崎に小説を酷評されてしまいますが、この先、『首都公論』とどうかかわっていくのか気になりますね。

悠樂軒と燕楽軒の共通点と違い

共通点

ドラマの悠樂軒と、史実の燕楽軒をくらべてみると、こんなに共通点があります。

  • 珠が働く西洋レストラン「悠樂軒」 → 宇野千代さんが働いた西洋料理店「燕楽軒」
  • 悠樂軒に通う『首都公論』の編集長・黒崎 → 燕楽軒に通った『中央公論』の編集長・瀧田樗陰
  • 黒崎が珠に置いていく50銭のチップ → 瀧田樗陰が宇野千代さんに置いていった50銭の銀貨
  • 悠樂軒で出会う人気作家の秋山(モデルは芥川龍之介) → 燕楽軒で出会った芥川龍之介
  • 悠樂軒をやめて北海道へ → 宇野千代さんも、夫と北海道の札幌へうつった

違い

一番大きな違いは、働いた期間です。

史実の宇野千代さんは18日間でやめていますが、ドラマの珠は、1917年(大正6年)10月から、北海道へうつる1918年(大正7年)まで、悠樂軒で働きつづけます。

ドラマでは、悠樂軒を、珠が作家や編集者と出会い、自分も小説を書きはじめる大切な場所として、じっくり描いているようです。

宇野千代さんの最初の夫で、保のモデルの藤村忠さんとの史実は、こちらでまとめています。
宇野千代 2番目の夫は誰?藤村忠との史実まとめ

まとめ

朝ドラ「ブラッサム」で珠が働く西洋レストラン「悠樂軒」のモデルは、宇野千代さんが働いた本郷の「燕楽軒」だと考えられます。

  • 燕楽軒は、本郷三丁目にあった本格的な西洋料理店で、向かいには中央公論社があった
  • 宇野千代さんが燕楽軒で働いたのは、たった18日間
  • 常連の「金時さん」こと瀧田樗陰は、いつも50銭のチップを置いていった
  • ドラマでも、『首都公論』の編集長・黒崎が珠に50銭のチップを置いていく
  • ドラマの珠は、北海道へうつるまで悠樂軒で働き、秋山や左良太と出会う

史実を知ってから見ると、悠樂軒の場面がもっと楽しめそうですね!

小山牛丸のモデルについては、こちらの記事でご紹介しています。
小山牛丸のモデルはイワンのバカ 翻訳者の内田魯庵?【ブラッサム】

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
目次