チョッちゃん杉山学園のモデルはトモエ学園!校歌のエピソードも

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NHKBSで再放送中の古村比呂さんがヒロインの北山蝶子役を演じたNHK連続テレビ小説「チョッちゃん」。

蝶子の娘で黒柳徹子さんをモデルとした椎野愛さんが演じる岩崎加津子が通う杉山学園のモデルトモエ学園についてご紹介します。

ドラマに登場した校歌のエピソードについてもご紹介します。

目次

チョッちゃん岩崎加津子が通う杉山学園とは?

朝ドラ「チョッちゃん」とは?

NHK連続テレビ小説「チョッちゃん」は1987年4月6日から10月3日まで、全156話放送された第38作目の朝ドラです。

平均視聴率は38.0%と、今見るとものすごく高いですが、当時としては平均的な数字でした(^^;)

黒柳徹子さんの母親、黒柳朝さんの自伝『チョッちゃんが行くわよ』を原作とした作品。

北海道・滝川の大自然で自由に育った少女が、やがて音楽の道を志し、昭和の激動期を天真爛漫に乗り越えていく。黒柳徹子さんの母の半生がモチーフ。

引用元 公式サイト

脚本家は「大都会シリーズ」「池中玄太80キロⅡ」朝ドラ「走らんか!」大河ドラマ「義経」などの金子成人さんです。

主人公の北山蝶子役を古村比呂さん、夫になる岩崎要役を世良公則さんが演じ、ほかにも由紀さおりさん、佐藤慶さん、杉本哲太さん、役所広司さんなどがご出演されました。

今回は2度目のアンコール放送で、前回は2002年に放送。2025年3月24日からスタートしています。

チョッちゃんの娘・岩崎加津子とは?

かっちゃんこと加津子は、ヒロイン蝶子(古村比呂)と、夫の要(世良公則)の間に生まれた長女。

モデルは黒柳徹子さんです。ヒロインのモデル、黒柳朝さんの長女なので、設定は史実と同じです。

かっちゃん役は椎野愛さんが演じましたが、現在芸能活動はされていないようです。

かっちゃんは小学校で、庭先のスズメに話しかけたり、大工道具を学校に持ち込みそこら中に、線を引いたり釘を打ったりなど、度重なる問題行動を起こし退学を勧告されます。

まだ小学1年生です・・・(^^;)

要は学校に頭を下げ、退学を避けようと思いますが、蝶子は新しい学校で良い面を育てたいと思いました。

そんなとき、蝶子の小学校の時の恩師、神谷(役所広司)から、ある小学校を推薦されます。

加津子が通う杉山学園とは?

蝶子が神谷から推薦されたのが、杉山学園。子どもの目線で教育を実践する先進的な小学校です。

校長の自由な思想の元で、少人数ながら生徒たちは、伸び伸びと毎日を楽しんでいる、という学校。

加津子の面接の日。帰っても良い、と言われた蝶子は4時間校庭で待っていました。

校舎から出てきた加津子に「どうだったの?」と聞くと、加津子はこう答えます。

「校長先生が何でも好きなこと話してごらん、っておっしゃるからみ~んな話しちゃった。

話すことなくなったって言ったら、あたしの頭を撫でて、これで君もこの学校の生徒だよって」

翌日から楽しそうに登校していく加津子を、蝶子や要を始め、周りの人たちもホッとして見守りました。

以下の記事では校長先生役のキャストについてまとめてあります!

チョッちゃん杉山学園の校長役のキャスト俳優は誰?

このように杉山学園は、普通の小学校とは少し違うようですね。

ではモデルのトモエ学園とはどんな学校なのでしょうか?

チョッちゃん杉山学園のモデルはトモエ学園!黒柳徹子が通った学校?

黒柳徹子は小学校を退学させられた?

朝ドラ「チョッちゃん」で、黒柳徹子さんをモデルにした加津子は、小学1年生のときに学校から退学を勧められましたが、これは事実です(^^;)

黒柳徹子さんは小学校でこんな問題を起こしました。

「小学校にチンドン屋さんを呼び込む

机のふた(当時は上下に開けることができた)を何度も開け閉めする

授業中に窓から乗り出し、巣をつくっているツバメに「何してるの?」と何度も聞く

などなど(笑)」

母親の黒柳朝さんは学校から呼び出され「本当にお宅のお嬢さんには困っている」と言われます(^^;)

こうして黒柳徹子さんは小学校を退学することになりました。

朝ドラ「チョッちゃん」では、最初に杉山学園に行ったときに、校長先生はかっちゃんの話を4時間も聞いてくれましたが、これも実話です。

小林先生は「君は、ほんとうは、いい子なんだよ」と言って黒柳徹子さんを受け入れてくれました。

黒柳徹子が通ったトモエ学園とは?

トモエ学園は1937年。東京自由が丘に開校した私立幼稚園・小学校(旧制)。

音楽と身体の動きを融合させた音楽教育方法、リトミック教育を初めて日本で取り入れた学校です。

自由教育を提唱した手塚岸衛さんが、1928年に中学校(旧制)、小学校、幼稚園からなる自由ヶ丘学園を創設したのがはじまり。

1931年に自由が丘学園中学校の認可が下りましたが、1931年に手塚さんが亡くなり経営難になりました。

中学校部門は引き継がれ、現在の自由ヶ丘学園高等学校に。

日本のリトミック研究者・幼児教育研究家の小林宗作さんが1937年、小学校と幼稚園を引き受ける形で、トモエ学園を創設されました。

黒柳徹子さんが、トモエ学園に入学されたのは6歳の時なので、1939年のころ。設立して2年後くらいですね。

児童の保護者に東京横浜電鉄の重役がいたので、廃車となった電車を譲り受け、教室として使われたころがありました。

このころに黒柳徹子さんは在籍されていたようです。こんな教室なら楽しそうですね♪

ほかにもこんな特徴がありました。

◆子どもたちが自分で学ぶ内容を決める授業

◆お弁当のおかずに「海のものと山のもの」を持っていくルール

◆ピアノの伴奏に合わせ、工夫してリズムに乗って歩く

◆3時間くらい散歩をしたり、お寺に行ったり船に乗ったりした

◆畑でおしべやめしべを学ぶ

このようにとてもユニークな教育です。

子どもたちひとりひとりの個性や考え方を大切にし、失敗をしても温かく受け止め、可能性を引き出す教育方針。

「君は良い子なんだよ」と言うことで、自己表現や自己肯定感を高めます。

黒柳徹子さんも「君は良い子なんだよ」に強く影響を受けたそうです。

トモエ学園には体の不自由な子や、不登校になった子など、事情を抱えた生徒もたくさんいました。

体の不自由な子に対し、先生たちは「助けてあげなさい」とが言いませんが、生徒たちは「みんないっしょにやるんだよ」とみんなが自然に手をかしていたそうです。

トモエ学園は1945年に東京大空襲で校舎が焼失、のちに幼稚園のみ再建されました。

小学校が廃校となり、1963年に小林先生が亡くなり、幼稚園も閉園に。1964年に事実上廃園になります。

トモエ学園の名は1981年に刊行された、黒柳徹子さんの著書『窓ぎわのトットちゃん』で知られるようになりました。

『窓ぎわのトットちゃん』は、世界中で2510万部も読まれた超ベストセラーに!

「小林先生という人がいて、どんなに子どもに対して深い愛情を持っていたか、教育にどんな考えを持っていたかを多くの人に伝えたい」

という思いを持っていた黒柳徹子さんの願いは叶えられましたね。

杉山学園の校歌のエピソードは実話?

加津子が父・要に杉山学園の校歌の作曲を依頼!ところが・・・

チョッちゃんの98話と99話では、杉山学園の校歌についての騒動が起きました。

(99)
加津子(椎野愛)が落ち込んだ様子で学校から帰ってくる。新しい学校のために、校歌を父・要(世良公則)に作曲してもらった加津子だったが、先に校長先生から校歌の完成を発表されてしまい、父の曲を学校で披露できなかったのだという。せっかく作曲してもらったのに徒労に終わったことが心苦しく、父になんと報告してよいものかと、困っている加津子のかわりに、蝶子(古村比呂)が要に事情を説明するのだが…

引用元:公式サイト

杉山学園に校歌がないと父親の要に説明し、曲を作ってほしいとお願い。すると要を「じゃあ、寝ないで頑張って作るぞ!!」と困惑しながらも笑顔で応じます。

ところが・・・翌日学校から帰ってきた加津子の様子が暗い。

一体どうしたのか?すると加津子は蝶子に、せっかくお父さんが校歌を作ってくれたのに、すでに校長先生が曲を完成させていた、要にどういったらいいのか?と落ち込んでいます。

突拍子のない言動をする加津子ですが、要の気持ちを気遣うことができるやさしい子なんですね(+_+)

蝶子は自分が説明するから安心するように加津子に話すのでした。

杉山学園の校歌のエピソードは実話?

このように、杉山学園の校歌のエピソードは実話だったのでしょうか?

校歌のエピソードは黒柳徹子さんの「トットちゃん」でも描かれています。

徹子さんが校歌が欲しいとお願いしたことから、校長自らが子どもたちへの想いを込めて作った歌を制作。

ところがその歌詞は学校の名前「トーモエ♪トーモエ♪」を連発しているもの。

自分からお願いしたものの徹子さんや子供たちはその歌を聞いた「がっかりされた」したため、校長も表情を曇らせたことが書かれていました。

もちろんのことですが、この校歌は採用されなかったそうです。

このエピソードは有名なので、Xでも反響がありました。

トットちゃんで描かれたトモエ学園のエピソードとは?

4時間も話を聞いてくれた小林宗作先生!

以降では、更に黒柳徹子さんが著書で描いた「トモエ学園」のエピソードついて詳しくご紹介していきます。

黒柳徹子さんの自伝的エッセイ『窓ぎわのトットちゃん』には、普通とは少し違う――しかし、きわめて本質的な教育を実践していた学校、「トモエ学園」でのエピソードが描かれています。

トモエ学園でトットちゃんを迎えたのは、先ほどもご紹介した校長の小林宗作(こばやし・そうさく)先生。初登校の日、彼はなんと4時間も、6歳のトットちゃんの話をただひたすら聞き続けたといいます。

「何でも話してごらん」

この一言と向き合う姿勢こそ、小林先生の教育哲学そのものでした。

「君は本当はいい子なんだよ」と言ってくれた先生の存在が、トットちゃんの自己肯定感を大きく育て、「私はいい子なんだ」と信じ続ける力となったのです。

教室は本物の電車の車両!

トットちゃんが通ったトモエ学園は、全校生徒がわずか50人。黒柳さんのクラスはたったの8人という、超少人数制の環境でした。

教室は、先ほどもご紹介しましたが、本物の電車の車両。その中で、子どもたちは1時間目から順番に学ぶのではなく、好きな教科から自由に取り組めるスタイルを採用していました。

例えば、算数から始めてもいいし、国語からでもいい。自分のリズムで、午前中のうちに全ての課題を終えれば、午後は散歩や自然学習の時間。

子どもたちはお寺で仏像について学んだり、畑でおしべ・めしべの仕組みを観察したり、チョウチョの羽ばたきに目を輝かせたり。自然と触れ合いながら、「学び=楽しい」と実感できる日々を過ごしていたのです。

「助けてあげて」とは言わなかった先生の指導

トモエ学園には、身体に障がいのある子も複数在籍していましたが、校長の小林宗作先生は、彼らを「特別扱い」することはありませんでした。

「助けてあげなさい」ではなく、「みんな一緒にやるんだよ」

それがトモエ学園の基本スタンス。だからこそ、子どもたちは自然に、誰かを支えたり、待ったり、寄り添ったりする姿勢を身に付けていきました。強制されることなく、自分の中に“共に生きる”感覚が芽生えていったのです。

否定されないこと。それが子どもの心に最も必要な栄養

黒柳さんが最も強く語っていたのは、「子どもを否定しないことの大切さ」。

「何をやっても“ダメ”って言われたら、子どもは自分が愛されていないと感じてしまう」

個性が強い子ほど、それを否定せず、「それがあなたの良さなんだ」と認めてあげること。それが大人の最大の役割だというメッセージが、黒柳さんの言葉から伝わってきます。

まとめ

NHK連続テレビ小説「チョッちゃん」古村比呂さんが演じたヒロイン蝶子の娘、かっちゃんこと岩崎加津子のモデルは黒柳徹子さんです。

加津子は小学1年のとき、度々授業の妨げになるような行動をしてしまい、退学させられてしまいます。

これは実話で黒柳徹子さんも同じ理由で、退学を勧告されています。

「チョッちゃん」加津子は杉山学園に転入しましたが、モデルは黒柳徹子さんが通ったトモエ学園。

子どもの意志や考えを尊重する教育方針で、「君は本当は良い子なんだよ」と常に生徒に寄り添う小林先生が校長でした。

好きな授業から進められる授業や、お弁当のおかずに「海のものと山のもの」を持っていくルールなど、普通の小学校では考えられない教育スタイル。

黒柳徹子さんはトモエ学園で、豊かな感情を育てることができました。

ということで、朝ドラ「チョッちゃん」杉山学園のモデルはトモエ学園で、黒柳徹子さんが実際に通った学校です!

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