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  1. いだてん 東京オリムピック噺【大河ドラマ】

金栗四三のモデルは実在!いだてん中村勘九郎演じる主役の実話

2019年の大河ドラマ「いだてん 東京オリムピック噺」が1月6日(日)夜8時から遂にスタートします。

主演は中村勘九郎(なかむらかんくろう)さんと阿部サダヲ(あべさだお)さんが一年間をリレー形式で演じるんです!

そして、タイトルの「いだてん」の元になった人物は、中村勘九郎さんが演じる金栗四三(かなくりしそう)です。

「日本マラソンの父」と呼ばれた金栗四三の生涯とは?その史実は??

今回は大河ドラマ「いだてん」に登場する、金栗四三について、実話のストーリーを詳しくまとめてみました!

 

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いだてんに登場する中村勘九郎演じる金栗四三とは?

いだてんの意味とは?タイトルの由来は【大河ドラマ】

目標に向かってまっすぐに突き進む太陽のような男。故郷・熊本の往復12kmの通学路を走りぬける姿からいつしか”いだてん”と呼ばれるようになる。ストックホルムオリンピックのマラソン予選会で当時の世界記録を27分も更新し、日本最初のオリンピック選手としてストックホルムに旅立つ。

引用元:https://www.nhk.or.jp/idaten/r/cast/001/

日本で最初にオリンピックに出場した人物金栗四三!実在の人物です。

「いだてん」では中村勘九郎さんが演じます!

日本マラソンの父が半世紀以上を経て達成した不滅の大記録とは?

生涯をマラソンに捧げた金栗四三の人生には様々な逸話があるので、以下で詳しく紹介したいと思います。

 

日本人初のオリンピック代表となった金栗四三!

 

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明治24年(1891年)熊本県玉名郡春富町に生まれた金栗四三。

幼少の頃は、病弱で気も小さい男子でしたが、小学生の頃に走る事に目覚めました。

何と学校までの距離は片道で6キロ!往復12キロの道のりを子供たちが集団で走って通学したことが、マラソンとの出会いだったようです。

走ることに楽しみを見出した金栗は、足も速く他の生徒が来るのを待つほどであり、周囲からは「いだてん」と呼ばれるまでの脚力を身に着けます。

明治43年(1910年)、金栗は上京し東京師範学校に入学。全校生徒が参加する長距離走で三位となったことで自信を持ち、徒歩部に入部。

当時は本格的なマラソン大会は殆どなく、趣味として走る程度でしたが、そんな金栗に転機が訪れます。

羽田競技場(現羽田空港)でオリンピックに向けた国内予選会が開催され、加納治五郎(役所広司)の依頼を受けてマラソンに参加した金栗は、何と一位でゴール!!

当時の記録を大きく上回る結果を叩き出し、オリンピック日本代表に選ばれるのですヽ(^o^)丿

 

ストックホルム・アントワープ・パリオリンピックに参加!

いだてんのモデルは誰?2人の主役は実在で実話?

明治45年(1911年)、金栗はもう一人の代表選手・三島弥彦(生田斗真)と共にオリンピック参加の為、スウェーデンのストックホルムに船と鉄道を乗り継ぎ向かいます。

十日以上の長旅は体に疲労を蓄積させてしまい、到着後は数日練習も出来ない状態だったそうです。

一方のアメリカ選手団は、練習場を確保したフェリーでのストックホルムに入ります。この時点ではアメリカと日本では雲泥の格差があったみたいです・・・

ストックホルムオリンピックの開会式では、金栗、三島、選手団長の加納治五郎と大森平蔵監督(竹野内豊)、他にも京都帝国大学の留学生も何名か加わっての入場!!他の国と比べると寂しい光景だったようです。

そして、いよいよ始まったマラソン!

金栗は炎天下の中で出場しますが、途中折り返し点を回った直後にレースを棄権。沿道の家庭でもてなしを受け休憩し、ストックホルムに戻ったのはレースの翌日・・・(/ω\)

金栗にとっては苦い初めてのオリンピックとなり、翌日の申告となったためか、完全な消息不明として記録されてしまいます。

それ以来ストックホルムでは「消えた日本人ランナー」として金栗は名を知られるようになりました。

今回の結果を受けた金栗は、次のオリンピックに向けて懸命に励みます。

しかし選手として丁度ビークを迎えた、大正5年(1916年)ベルリン大会は第一次世界大戦により中止、満を持して参加した大正9年(1920年)アントワープオリンピックでは見事完走し16位!

大正13年(1924年)バリ大会では途中棄権と、三度のオリンピックを金栗は経験し、マラソンランナーとしての生涯を終えました。

 

金栗足袋の開発、駅伝の普及で陸上界へ多大な貢献!

いだてんの時代背景と時系列は?複雑で難しい?【大河ドラマ

選手として国際大会で活躍は出来なかったものの、練習を重ねる過程でより走りやすい履物を開発すべく金栗は奔走します。

改良を重ねたのは「足袋」でした。足袋の裏面をゴム底に改良した「金栗足袋」はランナーの間に普及し、昭和11年(1936年)ベルリン大会、昭和26年(1951年)のボストンマラソンでは金栗足袋を履いて優勝!

また、駅伝の普及にも一役買った金栗。

大正8年(1919年)アメリカ大陸横断駅伝の出場メンバー選考の予選会を開催!その第1回大会が、今もお正月の風物詩となっている「箱根駅伝」です。

戦後になってもマラソンの普及に尽力し、熊本で開催した「金栗賞朝日マラソン」が後に福岡国際マラソンへ発展!

「オリンピック・マラソンに優勝する会」を作り、各地で強化合宿を行うなど、後進の指導にも金栗は力を入れたそうです。

 

55年の時を超え不滅の記録を残した?

 

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ストックホルム大会から55年が経った昭和42年(1967年)思わぬ形で金栗は注目を集めます!

当時の大会の記録が「競技中に失踪し行方不明」となっている事に気づいたスウェーデンオリンピック委員会は、金栗をストックホルムオリンピック55周年記念祭に招待します。

ストックホルムスタジアムを颯爽と走りゴールテープを切った金栗。

その記録は、54年と8か月6日5時間32分20秒3

このゴールをもって、ストックホルム大会の全競技が終了したことになりました(^^)/

ゴール後金栗は言います。

「長い道のりでした。そのあいだに、孫が5人出来ました」

この記録はオリンピック史上、最も遅い記録でありおそらくこの後破られることは無いのではないでしょうか( ´∀` )

晩年、金栗は故郷の熊本で過ごし、昭和58年(1983年)92歳でその生涯を閉じました。

 

まとめ

古今亭志ん生のモデルは?いだてんビートたけし【落語家】は実在

今回は「いだてん」の前半の主人公金栗四三の生涯をまとめてみました!

三度のオリンピック出場、マラソン足袋の開発、駅伝の普及など、日本のマラソン界に多大な貢献をした金栗四三。

まさに大河ドラマの主人公にピッタリの波乱万丈の生涯を送っているのではないでしょうか?

当初は、こんな無名の人物が大河ドラマの主人公に?と懐疑的だったのですが、今では楽しみでなりませんヽ(^o^)丿

脚本の宮藤官九郎さんが、どのようなストーリーを展開してくれるのか期待が高まりますよねー!

大河ドラマ「いだてん 東京オリムピック噺」は1月6日(日)夜8時からのスタートです(^^)/

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