べっぴんさんで百田夏菜子(多田良子)のモデルは田村江つ子!家族や生涯!

スポンサーリンク

戦争が終わり、いよいよすみれたちが、事業を起こしますね。

そんな中すみれの女学校時代の友達で手芸クラブだったももクロ百田夏菜子さんが演じる多田良子。後に、一緒に洋服づくりをして事業を立ち上げます。

ヒロインすみれのモデルは坂野惇子さんですが、多田良子にも実在のモデルがいます。田村江つ子さんと言います。

どんな家庭に育って、どんな少女だったのか?

良子のモデル田村江つ子さんについて、まとめてみました!

田村江つ子はどんな家庭で生まれ育ったの?

田村江つ子さんのお父さんは、榎並充造はゴムベルトメーカーとして知られる阪東式調帯(現在のバンドー化学)の創始者で、いわゆる神戸のゴム産業を発展させた神戸実業界の重鎮でした。

そう、すみののモデル坂野惇子さんと同じ生粋の御嬢さまなんですね。もちろんお金持ちです。

やっぱり類は友を呼ぶんですね~。もちろん当時、お金持ちじゃないと、なかなか女学校なんて行けません

江つ子さんは、そんな父親の娘として大切に育てられたそうです。

女学校時代は1人で映画を見に行くことを禁じられていたほど、箱入り娘だったそうです。

そんな事業で忙しかったお父さんの充造は、手帳に「エツコエイガ」とメモしておいて、仕事の合間を縫って時々一緒に映画を見に行っていたという微笑ましいエピソードもあります。

そして江つ子さんのお母さんテルは「男は外で働き、女は家を守る」という当時としては特に珍しくない典型的な考えを持つ女性で、この教えにのっとって江つ子さんを育てたそうです。

またテルさんは衣服に感心が高かったそうで、色彩センスに長けていたという話もあります。

ちなみに、坂野惇子さんと一緒に立ち上げた会社で後に商品開発担当として活躍するえつこさん。ご両親のセンスを受け継いだのかもしれないですね。

 

少女時代はどういう子だったの?絵画との出会い

また江つ子さんは絵画との出会いによって更にその感性を育んだようです。坂野惇子さんと同じように、早いうちから西洋文化に囲まれて育ったので、須磨浦小学校3年生の時に初めてアメリカの人形を買ってもらったそうです。

そして江つ子さんは人形をとてもかわいがって、クレパスで書いた絵が毎日新聞社の児童画展で5位に入賞したそうです。

江つ子さんはこのことがきかっけで絵画に目覚めて、結果、後の仕事で発揮する感性を磨くことになったようです。

そんな江つ子さんは女学校に入ってからも絵を書き続けて女流画家亀高文字の絵画研究所に通うようになり、本格的に洋画を学びます。

やがて、画才を表してきた江つ子さんは展覧会などで受賞するほどに。絵の世界で生きていくことを夢見たこともあったそうです。

そんな絵画表現で学んだ独自の色彩感覚や絵の構成力などが後の事業のオリジナルプリント図案などに活かされるようになったようです。

 

女学校で坂野惇子との出会い

スポンサーリンク

坂野惇子と江つ子は甲南高等学校で出会うことになります。

江つ子は坂野惇子とともに花嫁修業の習い事のひとつとして、洋裁を学びました。そして江つ子は、昭和を代表するデザイナー田中千代の個人授業を受けたことが大きな財産となります。

そして2人は女学校時代に手芸で物をつくる喜びを知ったのでした。

 

結婚とベビーショップモトヤの開店

田村江つ子さんは田村寛次郎と真珠湾攻撃の前年昭和15年に結婚します。寛次郎は大阪で繊維商社「田村駒」を創業した田村駒次郎の次男です。

戦争中は召集されますが、昭和21年に無事戻ってきて父親の会社田村駒を引き継ぎます。

しかし、寛次郎は後に立ち上げる会社ファミリアの専務を務めることになります。

 

終戦後の貧しい生活の中、坂野惇子がモトヤ靴店のショーケースで手芸品を売ることを田村江つ子に相談すると、えつこは義理姉の田村光子に相談。光子は既に洋裁の仕事の経験がありました。

しかし、3人は最初商売をすることを不安に思っていましたが、江つ子の夫田村寛次郎など3人の夫たちが妻の背中を押して働くことをすすめてくれたのでした。

そして手芸品を売るだけでなく、ベビーショップに方向転換して、女学校時代の村井ミヨ子も加わって、4人で活動することに決まったのでした。

ベビーショップ開店準備当初、江つ子は妊娠中だったため、手芸と編み物を担当。他のメンバーと仕入れや販売、洋服類の仕立てなどと役割分担したのでした。

当時は皆子供がいたので、環境は状況に合わせて、働ける時間や日が違うので、仕事の分担が必要だったのでした。

そして準備が終了して開店したショップは、上質なオリジナリティのあるものばかりだと評判になり、口コミで広がった結果、商売は成功しました。

しかし、商売のことを知らなかった坂野惇子や江つ子たちは、利益が正しく出ないようなずさんなやり方で商売を行っていました。そんな彼女たちに、田村寛次郎など夫たちは経理のイロハをアドバイスしたそうです。

その後、順調に商売た成功して、現在のアパレルブランド「ファミリア」を創設するに至ります。

ちなみに江の子父、榎並充造には「ファミリア」の銀行に対する保証を引き受けてもらいました。

 

まとめ

いかがでしたでしょうか?田村江つ子さんはべっぴんさんのモデル坂野惇子さんがファミリアを立ち上げて成功するために欠かすことにできない、大きな存在でした。

そんな田村江つ子さんが朝ドラでどんな活躍を見せてくれるのか楽しみですね!

Pocket
LINEで送る

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です