べっぴんさんの夫紀夫(のりお)のモデルは坂野通夫!妻を支えた生涯

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NHK朝ドラ「べっぴんさん」。

このドラマで注目されているのが、ヒロインすみれの夫田中紀夫(のりお)。瑛太さんの弟さんの永山絢人さんが演じていますね。

ドラマでは寡黙で何を考えていない青年です。そんな紀夫さんにはモデルがいます。その名は坂野道夫さん。どんな人なのでしょうか?

またヒロインのモデルである坂野惇子さんにどのように関わっていたのでしょうか?坂田道夫さんについてまとめてみました。

モデル坂野惇子のと坂野道夫との出会いは?

坂野道夫さんは、坂野家の7男2女の末っ子として芦屋市で生まれました。

道夫さんのお父さんは、現在の三菱UFJ銀行である三菱合資銀行部などの銀行勤務を経て、山口財閥の大番頭として活躍し、大阪銀行界の重鎮に君臨したいわゆる銀行マンです。

そう、道夫もヒロインすみれ同様、お金持ちのおぼっちゃま君なんですね。

お父さんは厳格な方でしたが、末っ子であるゆえに、甘やかされて育ったそうです。

そんなお父さんも道夫さんが中学生の時に亡くなってしまいます。しかし、その後甲南高校、京都帝国大学経済学部に進学されたということは、お家はしっかりしていて、お金持ちのまま過ごされていたことが想像できますね。

そんな坂野さんと妻惇子さんの出会いは、惇子さんが女学校4年生、坂野さんが高校1年生の昭和10年。

惇子さんが六甲へスキーに出かけた帰りのバスで、リュックサックの紐がほどけてしまった時、その場に居合わせた道夫が結んでくれたことがきっかけです。

なんて、ロマンチックなんでしょう!!!この時代には珍しい恋愛結婚だった2人。

ドラマでは幼馴染のお見合い結婚でしたが、なんだか、こっちの出会いの方がロマンチックで良かった気がします。

その後、交際を始めた2人は昭和14年婚約します。

ちなみにヒロインのモデルになった妻の惇子さんについては以下の記事にまとめてあります!

 

坂野道夫の就職と戦争

婚約中の昭和15年、道夫は大学を卒業した後、現在商船大井である大阪商船に就職。将来は海外で働くことを希望していたことから、選んだ会社でした。英吾の勉強もしっかりされていたそうです。

すでに戦争が始まっていた日本。その中で道夫の社会人生活は始まりました。

そして就職後、昭和16年に惇子と結婚します。

戦争中でありましたが、道夫は中学生の時に肺に影があると診断されたことから、兵役は逃れていました。

そんな中、昭和17年、長女の光子が誕生。

しかし、念願だった子供を授かったのにもかかわらず、道夫は昭和18年に招集令状が。病気の道夫が招集されたというころで、それだけ日本が厳しい状況だったことがわかります。

 

終戦から復員と戦後

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昭和20年に終戦を迎えた日本。道夫は運よくケガも病気もなく生き延びることができました。

しかし、イギリス軍に拘留されていてジャカルタで帰国を待つ状態。終戦後しばらく惇子さんたちとは連絡を取ることができませんでした。

惇子さんも、少し諦めていたかもしれないですね。

しかし、道夫さんはやっと帰国を許されて昭和21年やっと惇子さんと愛する子供との再会を果たすのでした。

しかし、帰国した道夫さんを待っていたのは、戦後の厳しい生活。

家族3人で道夫は兵庫県尼崎市の兄の借家に移り住みます。

食料難のこの時代、食べるものもままならない生活が続いたそうです。

お金持ち育ちの夫婦にとって、辛い時期だったと思います。

そして道夫はこのころ、妻惇子の父親佐々木八十八の会社佐々木営業部を再建した尾上清に誘われて、佐々木営業部に転職していました。

 

妻の会社ファミリアの社長へ

ちょうどそのころ妻惇子は、自らのアイデアと技術でベビーショップを開店、成功を収めていましたが、そんな妻が仕事を始めるときにに躊躇していた背中を押したのは道夫だったそうです。

そのあと、道夫はベビーショップが成功して、惇子が立ち上げた会社「ファミリア」の社長をつとめることとなります。

しかし当時、勤めていた佐々木営業部を辞めるのには苦労したそうです。

尾上清さんが道夫を佐々木営業部の社長にしようと思っていたので、何度も引き留められたとのこと。

それだけ、道夫さんに実力と人望のあったことがわかるエピソードですね。

しかし、妻の会社を支えようとする道夫の意思は固く、ファミリアに入社。

しかしすぐに社長になったわけではなく、まずは、会社全体の経営状態を把握、改善点を洗い出し改革を進めました。というのも、ファミリアは妻とその友達の女性4人で始めた会社。

経営の素人が行き当たりばったりで始めたので問題は山積みでした。

商品管理もろくにできなかった惇子たち。商品が万引きされてもわからない状態で在庫表もつけていなかったそうです。

その一つ一つを惇子たちに教えて、改革にめどがついた昭和31年、道夫は社長に就任し、会社を支えていったのでした。

 

社長道夫の方針とは?

社長道夫さんの人格や人柄を物語る語録が多々あります。

「会社規模を大きくするよりも、内容を充実させることの方が大切」

「社員は人格、商品には品格を」

「売り場は快適な採光と温度と湿度、そして清潔さが大切」

「女性の直観力や発想力は男にはないもので素晴らしい。子供用品を作る上で女性の視点は欠かせない」

引用元:べっぴんさん 坂野惇子の生涯(書籍)

平成の昨今でさえも、男尊女卑発言を平気でする男性が多い中、昭和のこの時代に女性の力を認めて活躍の場を提供しようとして道夫さん。

こういう柔軟な考え方ができる人が成功をおさめるんだな~と納得の語録です。

他の語録も、誠実な人柄がうかがえますね。

道夫さんはとても厳しい人だったそうですが、根本にこういう誠実な部分があったので、社員から絶大な信頼を寄せられて慕われていたそうです。

 

社長道夫の成功と退任

こつこつと信念に基づいて丁寧に事業を進めていった道夫さん。

ファミリアの業績は伸びていき、第1子・浩宮親王をご懐妊された美智子妃がファミリアの商品を見学するという出来事もありました。

また外国からの直輸入を開始して、スヌーピーの販売権を獲得。このぬいぐるみが人気商品になるなど、ファミリアは世界規模のブランドになる成長を遂げていきました。

きっかけを作ったのはもちろん妻惇子さん。惇子さんの力は大きいですが、夫道夫さんの力なくしては、ここまでの大企業に成長することはなかったかもしれません。

そんな道夫さんは創立35周年を迎えた昭和60年に社長から会長へと退いたのでした。

 

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