わろてんか映画製作の吉本興業のネタバレは?戦争が大きく影響?

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これから話の中心が「戦争と映画」へと移っていきそうな「わろてんか」。

高橋一生(たかはしいっせい)さん演じる伊能栞(いのうしおり)がネチネチと内務省の検閲官にいじめられているように見えてしまいましたが(⌒-⌒; )とても心配です・・・。

映画といえば、史実では吉本興業は映画を製作しています。

この事業にも戦争が大きく影響してきます。

今回は吉本興業の映画製作についてのネタバレについてまとめてみました。

 

吉本興業製作の映画とは?

吉本興業にとって初めての映画のタイトルは『佐渡情話』です。

1934年10月に封切られた浪曲入りの映画で、日活と提携してつくられ、当時大ヒットとなりました。

今でこそ「浪曲?」と疑問に思うか、そもそも浪曲をご存じない方も多いかと思います。
浪曲とは三味線の伴奏のもと、独特のダミ声で物語を語る芸で、浪花節ともいいます。

当時大阪でこそ漫才が人気でしたが、全国的にはこの浪曲がブームで、そこに目をつけたのはさすが吉本興業ですね!

そして1935年、現在の東宝(創始者は伊能栞のモデルとされる小林一三)の前身、PCL映画製作所と提携、林正之助(風太のモデル)が東宝の役員になるなど、ともに映画製作に携わっていきます。

吉本興業で当時大ブレイクしていた花菱アチャコ(アサリのモデル)と横山エンタツ(キースのモデル)などを起用した映画が次々とヒットしていきました。

ですが1937年日中戦争の開始とともに、娯楽への締め付けが厳しくなり、ドラマに登場した「わろてんか隊」実際には「わらわし隊」を派遣するなど、吉本興業としてもお国に協力してますよ、という実績をつくります。

そして東京大空襲で劇場が次々と焼失し、戦後は演芸をあきらめかけますが、そこでスポットを当てたのが映画でした。

 

映画に対する戦争の影響とは?

 

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1945年、広島と長崎に原爆が落とされるという悲劇が起きて、ようやく終戦を迎えます。
戦争は終わりましたが、広島や長崎以外も日本の都市は壊滅状態で、GHQのもと日本は復興へと逞しく進んでいきました。

終戦からわずか2ヶ月経ったとき、戦後の映画第一弾として松竹配給の「そよかぜ」が封切り。
劇中歌の「リンゴの唄」は空前の大ヒットとなりました。

「あ〜か〜い〜 リンゴに くちび〜る よ〜せ〜て〜♪」って知ってる方は結構お年を召した方かな(笑)

 
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娯楽への興味が高まってきた庶民のために、吉本興業も焼け残った劇場を映画館へと転換。

そしてさらに新しい事業で復興を目指します。
それはアメリカ人のGHQ将校たちのための娯楽施設の経営です。

京都祇園にキャバレー「グランド京都」をオープンさせ、東京の吉本は本格的に映画製作を始めます。

そして1947年東京大泉に映画撮影の「太泉スタジオ」を設立し、エンタツ・アチャコを始め、美空ひばりや高峰秀子、山村聡などの映画を手掛けていきました。

終戦間近の頃には吉本興業が持っていた寄席や劇場はほとんど戦争によって焼失、花菱アチャコ以外の芸人との専属契約は戦後の混乱のなか解除されました。

松竹との芸人の引き抜きトラブルなどもありました。

そんな中、戦後吉本の笑いを支えたのは、ただ一人残った花菱アチャコ!


ラジオや映画で圧倒的な人気を誇っていました。

そして1950年代半ば頃からテレビが普及しだし、映画の衰退をいち早く察した吉本興業は、また演芸部を復活します。

コメディを中心としてテレビ時代に対応できるビジネスモデルを展開するようになりました。

 

わろてんかの映画事業と史実の違いは?

北村笑店の芸人たちには全国から慰問の依頼が殺到し、全てに行くことができないため映画に出ればみんなに笑いを届けられると考えます。

一方伊能栞(高橋一生)は政府から「反発する者」として目をつけられ、ことごとく映画が上映されなくなってきています。

キースやアサリが出演の映画も検閲に引っかかり上映できなくなりました(T . T)

史実では戦前東宝と吉本興業が提携し、エンタツ・アチャコの映画を大ヒットさせますが戦争が激しくなってくると、それどころではなくなってしまいます。

吉本興業が本格的に映画事業に携わるのは戦後になります。

ドラマでは北村笑店の映画事業、どのように描かれるのかとても楽しみです。

 

まとめ

映画やお笑いといった娯楽に深い影を与えた戦争。

自由な表現ができなくなり、検閲にとおるような表現をするように迫られました。

戦争が終わり、自由な表現ができるようになったと思ったら、こんどはテレビの登場で娯楽に対する常識が覆ります。

そんな時代の移り変わりを先見の目を持って生きてきた吉本興業、改めてそのすごさを実感しました。

 


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