わろてんかでオチャラケ派のモデルは実在?伝統派との争いについても

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NHK連続テレビ小説「わろてんか」はモデルが多いお話です。

ヒロインのてん(葵わかな)は吉本興業の生みの親である吉本せいがモデルなのを筆頭に、他の登場人物たちにもそれぞれモデルと言われる人物がいます。

さて、寺ギンの嫌がらせで芸人を派遣してもらえなくなり、大変な状況になってきたてんと夫の藤吉(松坂桃李)の経営する寄席。

この嫌がらせの張本人である寺ギン率いる「オチャラケ派」ですが、果たしてモデルは存在するのでしょうか?

このオチャラケ派と伝統派とのからみなど、史実はどうだったのか調べてみました。

わろてんかに出てくるオチャラケ派とは?

わろてんかに出てくるオチャラケ派とは、元々僧侶であった寺ギン(兵動大輝)が作った芸能プロダクションのようなものです。

当時の言葉でいうと「太夫元(たゆうもと)」です(^ ^)

なぜ僧侶が芸能プロダクションを???

寺ギンは「死んだ人にお経を唱えるより、生きた人を救う」という考えのもと立ち上げました。

この寺ギンが抱えている芸人たちを「オチャラケ派」といい、ポリシーはこうです。

「芸には上も下もなく、安くて面白い芸が良い芸」。

このオチャラケ派は庶民的な演芸で、どんどん勢力を拡大していきます。

考え方はとても立派ですね。
ですがその考え方は、面白くない芸人は必要ない、ということでもあります。

しかも寺ギンは芸人にお金を貸しているので、芸人も身動きがとれない状態に。

寺ギンって、良い人なのか嫌な奴なのか、私にはさっぱりわかりません( ? _ ? )

さて、このオチャラケ派は実在したのでしょうか?

 

オチャラケ派のモデルは?

このオチャラケ派にもちゃ〜んとモデルは存在していました。

その名も「浪速落語反対派」です!

率いていたのは岡田政太郎で、寺ギンのモデルといわれている人物。

実際には養子先の風呂屋を手伝っていましたが、その風呂屋に来ていた芸人をそばでみていうるちに興味を持つようになったそうです。

また寺ギン大きく違うのは、岡田政太郎は芸人思いだったことです。

株で大儲けした(という噂です)岡田政太郎は「客を楽しませればいい」という考えで、手品やモノマネ、曲芸などの色物を中心とした演芸で庶民の笑いを得ました。

このような色物芸人は出演料が安かったので、入場料も安くでき入場者も多く取り入れることができました。

史実では岡田政太郎の浪速落語反対派が安い入場料というシステムを始めていて、吉本興業はそれに便乗した形になっています。

というのも、当時資金難であったため、出演料の安い芸人を呼べる浪速落語反対派と結託したようです。

当時吉本興業にお金がなかったのは、史実もドラマも一緒のようですね。

 

では伝統派とは?

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これについて説明するには時代をちょっと遡る必要があるので、少々お付き合いください。

江戸時代の後期から明治時代にかけて活躍した落語家がいます。

初代桂文枝といい、初代桂文団治など多くの逸材を育てた近代上方落語の中興の祖といわれる落語家です。

明治7年、1874年に桂文枝が亡くなったときに、弟子による跡目騒動が勃発します。

この騒動に勝利したのは人気や話芸の評価が高かった桂文三。
その結果破れた桂文都は桂派を脱退し、”月亭文都”と改名、「三友派」を立ち上げたのが1893年です。

どちらもすぐ近くの場所に本拠を置き争ったのが功を奏し、上方落語の黄金期を作り上げました。

この両派が伝統派になります。
ドラマでいうと吉楽亭文鳥(笹野高史)が筆頭となり活躍していますね。

初代桂文枝が素話で人気を博したように、話芸を引き継いだのが桂派。

一方三友派は派手で陽気な落語をするようになりますが、大衆が支持したのは派手な三友派でした。

なかにはフンドシ一丁で踊ったりする芸人までいたようです(⌒-⌒; )
裸芸って歴史が古いんですね。

時代の流れで笑いの文化も随分変わっていったようです。
新しいことをしないと客に飽きられてしまうのは、今と変わりません。

もしかしたら当時も今でいう「一発屋」なんていう芸人もいたのかもしれませんね。

当時これらの寄席が軒を並べていた道頓堀筋は、人が押し寄せる大阪一の盛り場でした。

 

オチャラケ派と正統派の争いってナニ?

ドラマでは落語の伝統を重んじる伝統派と、面白ければなんでもいいオチャラケ派は対立しています。

史実では1906年に三友派を仕切っていた藤原喜助が亡くなると、桂派と三友派は和解します。
合同興行なども行うようになりますが、そんな折登場したのが活動写真、今でいう映画といった娯楽です。

ドラマでは伊能栞(高橋一生)がこれからドンドン活躍するのかもしれませんね。

落語は新しい娯楽に押され、やがて伝統派の黄金期は終焉を迎えます。

そこに登場したのが、岡田政太郎率いる浪速落語反対派!

寺ギンことオチャラケ派が出てくるわけですね。

どんどん大衆の心を掴んでいくようになります。

和解した伝統派も桂派の三代目桂文枝が他界すると勢いをなくし、三友派に吸収されることになります。

当時一世を風靡していたのが浪花節で、落語だけでは寄席が成り立たなくなることを岡田政太郎は予見していたようです。

そして「伝統派(三友派)」対「浪速落語反対派with吉本興業」という構図になりますが、衰退し始めた落語に勝ち目はありません。

結果として三友派の寄席を吉本興業が買収したり、実力派の芸人の引き抜きをしていくことで、吉本興業に吸収される形となりました。

「わろてんか」ではてんと藤吉はお人好しで、のほほ〜んとしていますが、実際の吉本夫婦はバリバリのやり手のようですね。

もちろんそうでないと、あんな大企業にはなれなかったのでしょうが・・・。

 

まとめ

史実ではオチャラケ派のモデルである浪速落語反対派は、創立者の岡田政太郎が亡くなった後、吉本興業がその権利を買い取る形となりました。

さて、寺ギンを怒らせてしまい、芸人を派遣してもらえなくなったてんと藤吉はどうするのでしょうか?

浪速落語反対派や伝統派、それに映画興業などが今後ドラマにどのように絡んでくるのか、とても楽しみです!


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