わろてんかで兵動大樹【寺ギン】のモデルは岡田政太郎で実在!衝撃の死についても

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忙しい朝の時間を笑いの渦に引き込んでくれるNHK連続テレビ小説『わろてんか』ですが、舞台は関西お笑い界のドン・吉本興業の創生前の物語です。

現在のお笑いブームがあるのも、この時代のお笑いを牽引した方々がいたからと言っても過言ではありません

そして、その扉を開いた人物の一人でもある兵動大樹(ひょうどうたいき)さん演じる寺ギンのモデルと称される岡田政太郎(おかだせいたろう)さんです。

そこで今回は、岡田政太郎さんについてまとめてみたいと思います。

 

わろてんかで寺ギンのモデルの岡田政太郎とは?

岡田政太郎さんの出生については、あまりにも昔のこと過ぎて、はっきりとしたことがわからないのですが、没年と年齢から逆算すると1863年(江戸時代後期・慶応3年)ということになります。

出身は、大阪府牧岡市池之島町(現在は大阪府東大阪市)で、ご実家は大きいな農家だったようです。

しかし父が没後、実家は急速に没落してしまい、近くの商家へ養子に出されてしまいます。

養子先の家が始めた大阪市玉造の風呂屋の事業で、商才を磨いた岡田は、みるみる業績を上げていきました。

その後、芸能の楽しさを知ると、風呂屋で得た資金を元手に寄席を手に入れます。

寄席では、落語家など演芸をメインにと考えていたのですが、落語家は新規の寄席には出演が叶いませんでした。

しかし、ただでは起きない岡田は「浪花落語反対派」を発足し、安くて面白い「富貴亭」オープンし、人気店に仕上げました。

 

岡田政太郎の運命の出会いとは?

「富貴亭」が軌道に乗り始めた頃、後に吉本興業を立ち上げる創始者・吉本吉兵衛(よしもときちべい)と出会います。

当時、吉本は演芸には興味がなく「剣舞」に熱中していたそうです。

しかし岡田との出会いで、「寄席経営」に興味を持った吉本は、岡田と同じく寄席を買収し、大正2年(1913年)には共同経営とした「芦辺合名社」の名前で、次々に寄席を買収し、勢力を広げていきました。

 

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岡田政太郎の衝撃の死とは?

そんな岡田政太郎ですが、大正9年(1920年)に53歳という若さで急死してしまいます。

死因は不明ということです。

しかし、その裏には吉本興業を立ち上げて勢いづいていて、芸人たちを抱え込みたいと考えている吉本吉兵衛がいることはもちろん、「浪花落語反対派」として活動していた経緯もあります。

つまり、岡田の周りは「敵だらけ」だったということです。死因が急死というのも、もしかしたら暗殺されてしまったのかもしれません。

岡田の死後、反対派の芸人たちは吉本興業を拠点に活動することになり、現在の吉本興業のように多くの芸人を抱えていくこととなりました。

吉本吉兵衛が吉本興業を立ち上げるきっかけとなった人物である岡田政太郎と言う人物の偉大さと悲しい末路がお分かりいただけたのではないでしょうか。

大きな存在と言うものが、次第に目の上のたんこぶに変わっていくと言うのは、人間の野心の上では仕方がないことなのかもしれませんが・・・もし岡田が急死していなければ、関西には吉本興業と相対する「富貴亭」の名前があったのかもしれませんね(笑)

 

まとめ

 

今回『わろてんか』の寺ギンのモデルとされる人物・岡田政太郎についてまとめてみたわけですが、偉業の影には知られざる偉人の存在があるのですね。

もちろん吉本興業をここまでの大きさにした吉本吉兵衛も偉人ではありますが、吉本吉兵衛の才能を見出し、偉業につながる線路を敷いてくれた岡田政太郎と言う人物の存在を忘れてはなりませんね。


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