NHK朝の連続テレビ小説「わろてんか」。
「笑い」をテーマにした作品とあって、一日が気持ちよくなるようなドラマですね(^_^)
さて、今気になっているのが、キースという人物。
子役時期はまえだまえだの前田旺志郎くん、大人バージョンは大野拓朗さんが演じています。
キースには実在のモデルがいるのをご存知でしょうか?
それは、横山エンタツさん。
この人は実は今のお笑い界にとって、とても重要な人なんです。
今回はこの横山エンタツさんについてまとめました!
横山エンタツって?大正時代にアメリカ巡業?
[blogcard url=” https://dorama-netabare.com/archives/24306″]キースのモデルである横山エンタツさん。
この人は「漫才をつくった」といえる、お笑い界にとって、とても重要な人物なんです。
そんな横山さんの経歴を追っていきましょう!
職を転々としていたエンタツは、19歳の頃にある一座に入ります。
その一座で、なんと朝鮮や満州まで巡業に行っていたんだとか。
その後はコンビを組んで主に東京で「万歳」で活躍しますが、今度は
自分で一座を組んでアメリカ巡業へ飛び立ちます!
(「万歳」についてはこの後でご説明しますね!)
残念ながら、興業そのものは失敗してしまいます。
万国共通で笑うって、難しいですもんね・・・。
ですがエンタツは転んでもタダでは起きませんでした!
チャップリンの喜劇に感銘を受け、その後の芸に大きく役立てるのです。
横山エンタツが現在の「漫才」をつくった?
さて、その頃の大阪では、吉本に所属する花菱アチャコ(はなびしあちゃこ)が大人気でした!
そんな彼に見合う最高の相方を探す吉本興業は・・・
アメリカ帰りのエンタツに目を付け、スカウト。
こうして二人は出会い、歴史に残る名コンビが誕生しました。
二人は「新しい笑いのスタイル」を模索します。
そこで、アメリカで影響を受けたエンタツは、洋装で舞台に出演することを提案し、それが大ウケ!
今までのありきたりの万歳ではなく、
「しゃべくり漫才」として人気を博すのでした。
万歳と漫才?違いは何?
[blogcard url=” https://dorama-netabare.com/archives/24246″]さて、読み方は同じですが、万歳と漫才は何が違うのでしょうか?
それまでの「万歳(まんざい)」とは、和装で太鼓囃子などを用い、相方を叩いたり、滑稽な動きで笑わせるのが普通でした。
一方、二人がやった「漫才」は、モダンな洋装で鳴り物も唄もなく、日常生活をもとにした身近な話題で観客を笑わせる、というもの。
現在では当たり前のスタイルですが、当時の人々にとっては珍しい芸なのでした。
ちなみに「漫才」という名前は吉本興業が付けたものだそう。
「滑稽コント」「ニコニコ問答」「ユーモア対話」などいろいろな候補の中から、万歳と同じ読み方の漫才に落ち着き、それが広がっていきました。
その後、二人の人気を聞きつけたラジオ局から出演オファーがあり、ラジオ出演をすることに。
すると、あっという間にふたりの名は全国に知れわたり、漫才が一気に新たな笑いのジャンルとして確立されていくことになりました。
エンタツ・アチャコの活動期間は?
[https://dorama-netabare.com/archives/24293]当初は漫才を低くみていた落語界からも乗り換える落語家たちが現れるほど、漫才は人気ジャンルになりました。
しかし、漫才をそこまで確立した二人ですが、活動期間は意外にも4年という短いものでした。
アチャコが中耳炎にかかったものの、無理を押し通して舞台に出演し続けたため、中耳炎が悪化。
長期療養することになってしまうのです。
そこで吉本興業はエンタツを他の芸人と組ませることにし、その後二人がコンビで漫才を披露することはありませんでした。
しかし二人の共演を望む声は非常に大きく、その頃流行っていた、映画に出演することでその願いに応えたそうです。
なんと、二人の映画出演は100本以上!
いかに人気だったかが分かる数字ですよね~(^_^)
その後、ふたりは別々に40年近く活動を続けたそうです。
今は普通に見ている「漫才」の歴史がこんなだったとは、興味深いです。
ドラマではどんな風に描かれるのか、楽しみですね!